Top  > 古今和歌集の部屋  > 本居宣長「遠鏡」篇  > 巻十九 雑体

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1001   
  あふことの  まれなる色に  思ひそめ  我が身は常に  天雲の...
遠鏡
>> いくつかの語に訳が振られているものの、歌全体に対する訳はない。

1002   
  ちはやぶる  神の御代より  呉竹の  世よにも絶えず  天彦の...
遠鏡
>> 同じく訳なし。

1003   
  呉竹の  世よのふること  なかりせば  いかほの沼の  いかにして...
遠鏡
  やよければ。今の世の言に。物の多きをよけいとも。ようけともいふこれ也。よけいは余計などの字音かとも聞ゆめれど。然にはあらじ。古言なるべし。余材に引ける佛足石の歌の夜與都[やよつ]もこれ也。よけいといふは。やを略けるなり。此やよければを弥過[いやよぎ]ればといふ説ひがこと也。数の過るといふことあるべくもあらず。又打聞にさへぎることゝあるもいはれず。
>> 訳はない。

余材
  ...やよければは顕昭云弥生をやよひといへは弥をやよとよむへきか常の本にはせめくれはと有密勘に云おいの数さへやよけれは用是説金吾説にはいやよきれはといふ也弥過也いよ/\過行心云々此事猶覚束なしとそ申されし今案弥生は弥をやよとよむにあらす三月に至れば若草のいよ/\生ひそへばいやおひと云へきを弥はいやを上略し生はおとよと同韻にて通してやよひとはいふ也然は其儀にあらす弥生の説はみつからおほつかなしとなり只今何となくおほけれはといふ心と見てあるへきにこそ薬師寺に光明皇后の立給へるといふ佛足の跡をゑり付たる石あり拾遺集には山階寺にある佛跡といへり其傍に此事をよませ給へる二十首はかりの和歌おなしく石にゑりて立らる其中に「己乃美阿止阿止夜與都比賀利乎波奈知伊太志毛呂毛呂須久比和多志多麻波奈  この夜與都比賀利は今のように都をくはへておほくのひかりとのたまへるなるへし...

打聴
  ...やよげればやは弥也よげればゝさへぎればにて私の齢もさへぎりかさなるを云身はかくいやしきつとめをして年のみたかきがくるしきと也...

1004   
  君が代に  あふ坂山の  岩清水  こ隠れたりと  思ひけるかな
遠鏡
  カヤウナアリガタイ  君ノ御世ニアフ時節モアルモノヲ  今マデハタヾヒタスラ  ウヅモレテ居ルコトバツカリ思フタコトヨ  アハウナコトカナ

1005   
  ちはやぶる  神無月とや  今朝よりは  雲りもあへず  初時雨...
遠鏡
>> 訳なし。

1006   
  沖つ浪  荒れのみまさる  宮の内は  年へて住みし  伊勢の海人も...
遠鏡
>> 訳なし。

1007   
  うちわたす  をち方人に  もの申す我  そのそこに  白く咲けるは  何の花ぞも
遠鏡
  ウチミワタス  アチノ方ノ人ニ  ワシハトヒマシヨ  ソノソコニ咲テアル白イ花ハナンノ花デゴザルゾマア  サテモ見事ナ花ヂヤ
打わたすは。見わたすこと也。古歌の例みなしかり。

1008   
  春されば  野辺にまづ咲く  見れどあかぬ花  まひなしに  ただ名のるべき  花の名なれや
遠鏡
  コレハ春ニナレバ  野ヘンニマヅ  一番ガケニサク花デ  見テモ/\見アカヌ花デゴザルガ  其ノ名ハ  何ンゾツカハサレネバ  ドウモ申サレヌ  タヾデ申スヤウナ  ヤスイ花ヂヤゴザラヌ  ヘヽ/\ヘヽ/\
(千秋云。まひは。人にものを贈るをいふ。今俗にいふまひなひにはかぎらず。)

1009   
  初瀬川  ふる川野辺に  ふたもとある杉  年をへて  またもあひ見む  ふたもとある杉
遠鏡
  年ガタツテ後ニモ重ネテ  又御目ニカヽラウ
上三句は。年をへての序にや。又稲掛大平がいはく。上は又といはん序也。二本ある木の岐(また)の意につゞけたる也。

1010   
  君がさす  三笠の山の  もみぢ葉の色  神無月  時雨の雨の  染めるなりけり
遠鏡
  三笠山ノ紅葉ノ色ハ  ドウシテアノヤウナヨイ色ニナツタカト思ヘバ  シグレノ雨ガシミツイテ  染ツタノヂヤワイ
そめるはそみたるといふ意なり。俗言にそむることをそめるといふとは異なり。

1011   
  梅の花  見にこそきつれ  うぐひすの  ひとくひとくと  いとひしもをる
遠鏡
  梅花ヲ見ニキタノデコソアレ  ドウモスルコトデハナイニ  ナゼニヤラ  鶯ガ人ガクル人ガクルト鳴テ  人ノ来ルノヲイヤガツテ  マア居ル

1012   
  山吹の  花色衣  主や誰  問へど答へず  くちなしにして
遠鏡
  此ノ山吹ノ花ノ色ノ衣ハ  ヌシハ誰レヂヤトトヘドモ  ヘンジセヌ  山吹ハ梔子ノ色デ口ガナイニヨツテサ

1013   
  いくばくの  田をつくればか  郭公  しでの田をさを  朝な朝な呼ぶ
遠鏡
  ドレホドノ田ヲ作ルトテ時鳥ハアノヤウニ  シデノタヲサヲ  毎朝/\ヨブコトゾ

1014   
  いつしかと  またく心を  脛にあげて  天の河原を  今日や渡らむ
遠鏡
  今日ハ六日ナレバ天ノ川ハ明日ワタルヂヤケレドモ  牽牛ガ此ノイツカ/\ト待チカネテ居ル心ヲ  織女ニ見セウタメニ  今日渡ラウカシラヌ
人に物を。かくとあらはし見することを。古への語にはぎにあぐといふことのありしなるべし。土佐日記にいへるも。その意なり。この歌にては待わびたる心を見せんために。七日に渡るべきを六日にわたらんといへる也。さて脛をかゝげて渡ることをかねたり。右の如く見ざれば心をといへる詞聞えずよく味ふべし

1015   
  むつごとも  まだつきなくに  明けぬめり  いづらは秋の  長してふ夜は
遠鏡
  ムツゴトモマダ皆マデエイハヌノニ  ハヤ夜ガアケル様子ヂヤ  秋ノ夜ノ長イト云フハ  ドコガ長イゾ

1016   
  秋の野に  なまめきたてる  女郎花  あなかしかまし  花もひと時
遠鏡
  秋ノ野ニアノヤウニ女郎花ガ大ゼイ  ヂヤラクラト云テ立テ居ルガ  アヽヤカマシヤ  アノヤウニ花ヤカナノモ  一トサカリノワヅカノ間ノコトヂヤ  オツヽケシボンデ  見苦シイ物ニナルコトヲバシラズニ  アヽヽ

1017   
  秋くれば  野辺にたはるる  女郎花  いづれの人か  つまで見るべき
遠鏡
  秋ニナレバ野ヘンニジヤラツイテ居ル女郎花ヲ  来テ見ル人ハ  誰レデモガツメツテタハムレル  ツメツテ見ヌモノハナイ
つむは花を摘をかねたり

1018   
  秋霧の  晴れて曇れば  女郎花  花の姿ぞ  見え隠れする
遠鏡
  霧ガハレタリクモツタリスレバ  女郎花ノウツクシイ姿ガサ見エタリカクレタリスル
結句かくれのもじ清みてよむべし。余材打聞ともにわろし

余材
  みえかくれは俗に常に申ことは也みゆるにもあらすかくるにもあらすまたは見え又はかくるゝをいふわれかほよしと思ふ人のまほにみえぬ物からものゝひまよりほのかにみゆるにはれくもる霧間のをみなへしをよそへていへり

打聴
  若き女ばうなどの物陰にあらはならぬをたとへり

1019   
  花と見て  折らむとすれば  女郎花  うたたあるさまの  名にこそありけれ
遠鏡
  女郎花ヲ花ヂヤト思フテ折ウトスレバ  女郎ト云名ハ  ヒヨンナ名デコソアレドウモ女郎ニ手ヲカケテ折ラレハスマイ
余材打聞ともにうたゝあるの注かなはず。すべて雅言をとくにその本の意にのみかゝづらひてはなか/\に物どほくして用たる意に違ふこと多し歌にまれ文にまれその用ひたるやうを他の例ども引合せてよく考へてとくべきなり

余材
  日本紀に奇偉をうたてあるとよめりてとたと五音通してうたゝある也...貫之集にありとほしの神をいふ所にとしころやしろもなくしるしも見えねとうたてある神也以上心かよふへしはなやか也とみて立よりてをらむとすれはたけもたかく枝も長くひろこりて奇偉なるすかたにてをみなへしといふは只名のみ也といふにや菅萬にうたてを別様とかゝせ給へるにも奇偉の心か或説にうたゝあるさまはあまりあるさまなりとて後拾遺に「思ふ事なけれとぬるゝ我袖はうたゝあるのへの萩のつゆかな  といふをひけりまことに此後拾遺の歌はさもきこゆれとそれにては俳諧のこゝろなくまた外にあまりあるさまとよめる例なきや後の歌をもて昔を証すましきもあるへし

打聴
  ...うたゝはうたてに同じ上に委しくいへり転をうたてとよむはいづ方へまろばしてもと云義もてかけりいづ方より見て女郎花とはよく名付たるぞと云心にこゝは見るべし

1020   
  秋風に  ほころびぬらし  藤ばかま  つづりさせてふ  きりぎりす鳴く
遠鏡
  藤袴ガ秋風デホコロビタサウデ  ソノホコロビヲ  ツヾリサセ/\ト云テ  キリ/゛\スガナク

1021   
  冬ながら  春のとなりの  近ければ  中垣よりぞ  花は散りける
遠鏡
  マダ冬ナレド  モウ明日春ガタツ今日デ  近イ春ノトナリヂヤニヨツテ  サカヒノ垣ノ上カラサ  ソノ春ノ花ガチツテクルワイ

1022   
  いそのかみ  ふりにし恋の  かみさびて  たたるに我は  いぞ寝かねつる
遠鏡
  何ンデモ年久シウナレバ  神ノヤウニ性ガ入ルモノヂヤガ  オレガ恋モ年久シウナツタユヱ性ガ入ツテ  ソノ恋ガタヽツテ  オレハサ  夜ルモエネムラヌ

1023   
  枕より  あとより恋の  せめくれば  せむ方なみぞ  床なかにをる
遠鏡
  オレハ夜ルネテ居ルノニ  枕ノ方カラモ跡ノ方カラモ  両方カラ  シキリニ恋ト云鬼メガ  セメヨセテクルニヨツテ  アトヘモヨラレズサキヘモヨラレズ  ドウモシヤウガナサニ  床ノマン中ニサ  ヂツト起テ居ル
をるは。臥ずして座してゐるをいへり。かやうのをるは例みなしかり。なみは無み也。涙の意はなし打聞に。恋を泥(こひぢ)になして云々とあるはわろし。

打聴
  うたゝはうたてに同じ上に委しくいへり転をうたてとよむはいづ方へまろばしてもと云義もてかけりいづ方より見て女郎花とはよく名付たるぞと云心にこゝは見るべし

1024   
  恋しきが  方も方こそ  ありと聞け  たてれをれども  なき心地かな
遠鏡
  ドノヤウニ恋ヲスル人ノ形デモ  ヤツレナガラモホソリナガラモ  ソノ身ハアルモノヂヤトコソキケ  ソレニオレハ恋デ心ガ心デナケレバ  立テヰテモスワツテヰテモ  此ノ身体ガドウヤラ無イヤウナ心モチガスル
恋しきがかたとは。恋をする人の身体(かたち)をいへる也。なきこゝちするは。わが身体のなきやうにおぼゆるなり。あるかなきかのこゝちしてなどいへるに同じ。たてれをれどもといふも身体につきていへるなり。こゝろをつくべし。余材打聞ともに。上下のかけ合かなはず。

余材
  こひしきかはこれにふたつの様侍へしひとつにはかは哉にてこひしきかなと一句をたてゝ下はそれをことわるにやこひしきかたもありこひしからぬ方もありとこそきけなとかたてれともをれともこひしくて恋しからぬかたのなき心ちはするそとよめるにやふたつにはこひしきか方とつゝけて恋しき人の方はそなたと定まりて有とこそきけとて下はさきとおなし心にや萬葉にかなしきか駒はたゝともにとよめるはかなし思ふ人か也

打聴
  恋しきがはこひしき人の也さて恋しきと思ふ人の方はそなたぞと云を聞ども我は立ても居てもいづ方ともなきこゝちすると思ひにせまりて心まどひするをいへり

1025   
  ありぬやと  こころみがてら  あひ見ねば  たはぶれにくき  までぞ恋しき
遠鏡
  アハズニモ居ラルヽモノカト  タメシテ見ガテラニ  アハズニ居レバ  ソンナジヤウタンコトモシテ見ラレヌホドサ  恋シウテ  ドウモ逢ズニハ居ラレヌ

1026   
  耳なしの  山のくちなし  えてしがな  思ひの色の  下染めにせむ
遠鏡
  アヽヽ耳無シ山ノ支子ガホシイモノヂヤ  恋ノ思ヒノ色ノ下染ニセウニ  ソレデ下染ヲシタラ  忍ブ思ヒヲ  耳無シデ人モエ聞クマイシ  口ナシデ  人ニ云レモスマイホドニ  ソシテ思ヒト云ニヒノ字ガアルニヨツテ緋ノ色ト云ヂヤ

1027   
  あしひきの  山田のそほづ  おのれさへ  我をほしてふ  うれはしきこと
遠鏡
  山ノ田ノカヾシヲ見ルヤウナ  汝サヘ  ワシヲノゾンデ逢ヒタイトイフ  サテモイヤラシイ  コマツタコトヤ
人をいやしめてもおのれといふ也。打聞にあやしの我をさへとあるはかなはず。

打聴
  いとあやしの我をさへえまほしと云がうれたき事よとよめる也...

1028   
  富士の嶺の  ならぬ思ひに  もえばもえ  神だにけたぬ  むなし煙を
遠鏡
  出来ヌ恋ノ思ヒニムネノモエルノハ  キツウ苦シイケレドモ  ハテドウモセウコトガナイ  モエルナラモエヨサ  富士ノ山ノ神様サヘエ御消シナサレイデ  ジヤウヂウ思ヒノ煙ニモエサツシヤルモノヲ  人間ハソノハズノコトヂヤ
初句は四の句へつゞきて。ふじのねの神といふことなり。

1029   
  あひ見まく  星は数なく  ありながら  人に月なみ  惑ひこそすれ
遠鏡
  アヒタイト思フ心ハ  腹一ツハイアリナガラモ  ソノ人ニアハレル手ガヽリガナサニドウシタラヨカロカ  カウシタラヨカロカトイロ/\ニ心ガサマヨウワイ  ソレヲ夜ルノ月ヤ星ノコトニシテ星ハタントアリナガラモ月ガナイ故ニクラクテ道ニマヨウト云フコトニシタノガ俳諧デゴザル

1030   
  人にあはむ  月のなきには  思ひおきて  胸はしり火に  心やけをり
遠鏡
  思フ人ニアハレル寄付ノナイ夜ハ  ソノ人ヲ思フ思ヒガ火ノハシルヤウニハシツテ胸ガモエテ寝ズニ起テ居ル
ニの句にはゝ。夜はとある本よろし。もじはを写し誤れる也。さて二三の句は。月のなき夜は。月を思ひてといふ詞のしたて也。又おきてに熾[おき]をかねて。はしり火とはいへり。余材にかねてよりおもひおきてと注したるはひがことなり。その意はなし。たゞ思ひておき(起)て居る也。
>> 「寄付」には「よりつき」と振ってある。

余材
  顕注には月のなきよはと有思ひおきてとはつきなき事をかねてよりおもひ置といふにおきゐたるをそへたりむねはしり火とはむねのさわくをは走といふ也それをはしり火にそへて心やくとはよめる也...

1031   
  春霞  たなびく野辺の  若菜にも  なりみてしかな  人もつむやと
遠鏡
  モシ思フ人ガツムカドウヂヤ  春ノ野ヘンノ若菜ニマアナツテ  ツマレテ見タイモノヂヤ  若菜ハ誰デモツムモノヂヤワサテ  ツマレテ見タイトハ  ツメラレテミタイト云コトヂヤゾヱ
若菜といへるを。老たる人の若きを願ふ意に見るはわろし。その意はなし。

1032   
  思へども  なほうとまれぬ  春霞  かからぬ山も  あらじと思へば
遠鏡
  ワシガ思フ人ハキツイ性ワルナレバ  方々ヘカヽリアルイテ  テウド春ノカスミノドコノ山ヘモ  カヽラヌ所ハナイヤウナモノデ  アラウト思ヘバ  思ヒナガラモヤツハリ  ウト/\シイ心モチガスル

1033   
  春の野の  しげき草葉の  妻恋ひに  飛び立つきじの  ほろろとぞ鳴く
遠鏡
  オレハ女ヲ思フ思ヒガシゲウテ  ホロ/\トサ泣マス
上句は。春の野の草葉のごとく。しげき妻恋といふこと也。草葉のつまとつゞきたるに意はなし。打聞に草のはしとあるはわろし

打聴
  雉の妻恋にほろ/\と鳴と云心なるを雉は春専らつまごひすれば春の野をいへり且いにしへは春の草葉を茂きといへればかくいひさて草の葉のつまとは草のはしを云より雉がすむ所の物をもて草葉の妻恋とはいひかけたり雉の声はけん/\と鳴故にきゞしともきゞすとも云ほろゝは飛立羽音也されど此歌は恋なれば我しげき妻乞に涙をほろ/\と落して泣と云を雉によせていへばほろゝと泣と云も嫌ひなし

1034   
  秋の野に  妻なき鹿の  年をへて  なぞ我が恋の  かひよとぞ鳴く
遠鏡
  毎年/\  秋ノ野デ  妻ノアリモセヌ鹿ガ  我恋ノカヒヨ/\トサナクガ  アレハドウシタコトヂヤゾ  妻ニアフタラバコソ  恋ノカヒガアルトハ鳴ウコトナレ  妻ノナイノニ恋ノカヒヨト鳴ウハズハナイニ
此の歌下句のてにをはの事なぞと切て右の意に見べし。又詞の玉の緒ニの巻の終にいへるも一つの見やうなり。

1035   
  蝉の羽の  一重に薄き  夏衣  なればよりなむ  ものにやはあらぬ
遠鏡
  今コソ一向ニウスイ心ナレ  馴タラバユク/\ハ厚ウ我レニ思ヒヨツテ来サウナモノデハナイカ  馴タラ大カタヨツテ来サウナモノニ思ハルヽ
打聞よろし。余材わろし。但しよりなんといへるは。衣の縒[よる]ことにていへるはたがはず。

余材
  ひとへにうすきとは夏衣によせて人の心のうすきをいへりなれはよりなん物にやはあらぬとはよるはきぬのやふれかたになる也...たてぬきのかなたこなたによる心なるへし下の句は二つの心有へし夏衣はうすき故に早くなれてよるものなれは人の心のあたにてうすきをたよりになれよりやすかるへしといへるにやまたなつ衣のことくうすきこゝろなれはなれたらはやかて衣のよることくいとゝうすらくへき中なりといふ心にや...

打聴
  今こそ思ふ人の心うすくあらめかくてもなれゆかば我に又思ひよりもしなんと云を夏衣の薄きにたとへ且衣はなるれば折目のまよひかたよるにたとへていへり

1036   
  隠れ沼の  下よりおふる  ねぬなはの  ねぬなは立てじ  くるないとひそ
遠鏡
  一シヨニ寝サヘセズ  メツタニ名ハタチハスマイホドニ  随分忍ンデオレガ来ルバカリヲバ  ソノヤウニイヤガラシヤルナイ

1037   
  ことならば  思はずとやは  言ひはてぬ  なぞ世の中の  玉だすきなる
遠鏡
  トテモ逢フテクレヌクライナラ  イツソイヤヂヤト云ヒ切テシマヘバヨイニ  ナゼニイヤトモオヽトモ云ヒキラズニヒツカヽツテ居ルコトゾ  アヽ世中ト云モノハ
打聞ことならばの説わろし。この歌はかけたるといふことを玉だすきなるとのみいへるが俳諧なり。下にいでや心は大ぬさにしてといへるとおなじたぐひなり

打聴
  ...ことならば上にも云如く異にあらばにて思ふ物ならば逢べきに思と云ながらあふゆるしなきは思ふと云に異ならばの意也玉襷はかゝるにいひよせたり

1038   
  思ふてふ  人の心の  くまごとに  立ち隠れつつ  見るよしもがな
遠鏡
  オレヲ思フ/\トイツデモ云人ノ心ノ内ヘソノ度ゴトニハイツテ隠レテ居テ実ニ思フニチガヒナイガ  ウソデハナイカ  ジツシヤウノ所ヲ  見トヾケタイモノヂヤ

1039   
  思へども  思はずとのみ  言ふなれば  いなや思はじ  思ふかひなし
遠鏡
  コレホドニワシハ思フケレドモ  ソレヲソノ人ハトカク思ハヌ/\トバツカリ云ナレバ  イヤ/\コレカラモ思フマイゾ  思フテモソノカヒガナイ
>> 底本では「ワシハ」の所が「ワシヲ」になっている。また「コレカラモ」は「コレカラモウ」の誤りか。

1040   
  我をのみ  思ふと言はば  あるべきを  いでや心は  おほぬさにして
遠鏡
  思フ/\ト云ノモ  ワシバカリヲ思フノナレヤ  ソレデヨイガ  イヤモウ  面白ウナイ  ソノ人ノ心ハ大ヌサデ  引手ガ多ケレバドウモ

1041   
  我を思ふ  人を思はぬ  むくいにや  我が思ふ人の  我を思はぬ
遠鏡
  ワシヲ思ウテクレル人ヲ  コチカラワシガ思フテヤラヌ  ムクイカシテ  ワシガ思フ人ガ  ワシヲスツキリ思フテクレヌ

1042   
  思ひけむ  人をぞ共に  思はまし  まさしやむくい  なかりけりやは
遠鏡
  マヘカタ誰ゾオレヲ思フタ人ガアツタデアラウ  ソノトキニコチカラモソノ人ヲ思フテヤレバサ  ヨカツタニ  コチカラハ思ハナンダデ  ソノムクイガキテ  今オレガ思フ人ガ  オレヲ思フテクレヌ  アヽヽアラソハレヌコトヤノ  ムクイト云フコトハナイコトカイ  キツトアルコトヂヤワイノ

1043   
  いでてゆかむ  人をとどめむ  よしなきに  となりの方に  鼻もひぬかな
遠鏡
  出テイナウトスル人ヲ  ドウモ留ウシカタガナイニ  ドウゾ今  近所隣デタレナリトクサメヲスレバヨイニ  ヱヽヽカウ云フトキニハ  クサメヲスル人モナイコトカナ

1044   
  紅に  染めし心も  たのまれず  人をあくには  うつるてふなり
遠鏡
  深ウ思フノモドウモ頼ミニハナラヌ  ソノ人ヲアイテクレバ  ドノヤウニ深カツタ心デモカハルヂヤ
紅灰汁にうつるをもて。詞をしたてたり。

1045   
  いとはるる  我が身は春の  駒なれや  野がひがてらに  放ち捨てつつ
遠鏡
  人ニキラハルヽワシガ身ハ  春ノ駒カシテ  テウド春ノコロ駒ヲ  野飼ガテラニハナシテヤツテカマハズニオクヤウニ  ワシヲ見ステヽ  ネカラカマハヌ

1046   
  うぐひすの  去年の宿りの  ふるすとや  我には人の  つれなかるらむ
遠鏡
  ワシニ人ノツレナイノハ  フルイモノニシテシマウテノコトカシラヌ
上ニ句は。たゞ詞のつゞきのみなり。打聞に。ふるすのごとくとあるはわろし。

打聴
  我はひさしく馴来るに古巣の如くに珍らしからねばとて人の我には今更つれなかるらんやと成べしふるすとは上にもあだ人の我をふるすとも人ふるす里をいとひてともよめり物の古びしは人の捨るごとく捨らるゝをふるされ人と云

1047   
  さかしらに  夏は人まね  笹の葉の  さやぐ霜夜を  我がひとり寝る
遠鏡
  オレモ夏ノ間タタハイシコサウニ  暑イニヨツテ  独寝ヲスルト  人ナミニ云テ  マギラカシテオケドモ  冬ニナツテ此ノヤウニ寒イ夜独寝ルノハ  何トモ云ヒヤウガナイ
>> 「間タタハイシコサウニ」の部分は意味不明。「間はかしこそうに」ということか。

1048   
  あふことの  今ははつかに  なりぬれば  夜深からでは  月なかりけり
遠鏡
  逢コトモモウ今デハ  ハツ/\ナコトニナツテ  夜ガフケテカラデナケレバ  其サリヤクガデケヌワイ
三の句。ぬればといふてにをは。廿日になりぬれば。月のおそきよしの。詞のしたての方のみによれり。歌の意にはあらず。
>> 「其サリヤク」の意味不明。「その御利益」ということか。

1049   
  もろこしの  吉野の山に  こもるとも  おくれむと思ふ  我ならなくに
遠鏡
  吉野山ハ殊ノ外深山ヂヤケレドモ  日本ノ吉野山ハオロカナコト  タトヒソナタガ唐天竺ノ吉野山ノオクヘコモツタト云フテモ  我ハソノ分ンニシテ  跡ニ残ツテ居ヤウトハ思ハヌ  ドコマデモアトヲシタウテオツカケテ行ウトサ思ウ

1050   
  雲はれぬ  浅間の山の  あさましや  人の心を  見てこそやまめ
遠鏡
  何ンゾ気ニ入ヌコトガアツテ  ワシニ逢フコトヲ止ウト思フテナラ  コチノ心ヲトツクト見定メテ  ソノ上ヘデコソヤメルナラ止メタガヨイ  雲ノカヽツテアル山ノヤウナモノデ  コチノ心ハドウヂヤヤラ知ハスマイニ  カル/\シウ逢フコトヲ止メタノハマア  アマリケカラヌキモノツブレタコトヤノ
人は我也。あなたのことにみたるは誤なり。余材結句のもじを濁る説はわろし打聞あさましの説わろし。

余材
  くもはれぬ浅間の山のみえぬことく人のこゝろをみすしてこそやまめそれなんあさましきといふかこれは見てこそのてもし濁る心也又やむとも人の心をみはてゝこそやまんすれ雲はれぬあさまの山のことく見すしてやむなんあさましきとよめるか浅間の山は浅ましやとつゝけむためなりてもしの清濁によりて右の両義有なり...

打聴
  是はたとひやむとも人の心を見はてゝこそやまめ雲はれぬ浅ま山の如く見ずしてやみなんはあざましきと也あざましはおぞましと云詞也我と我身をにくみあざむ也あざみと云花も花と葉のさまのいとおぞましとてよべる名也

1051   
  難波なる  長柄の橋も  つくるなり  今は我が身を  何にたとへむ
遠鏡
  今マデハ何デモフルウナツテシマウタモノヲバ  難波ノ長柄ノ橋ニタトヘタヂヤガ  ソノ長柄ノ橋モ  今度新シウ出来タヂヤ  スレヤ此ノヤウニ人ニアカレテ  フルイ物ニナツテシマウタワシガ身ヲバ  モウ今デハ何ニタトエウゾ  ナンニモ譬ヘルモノモナイ

1052   
  まめなれど  何ぞはよけく  刈るかやの  乱れてあれど  あしけくもなし
遠鏡
  オレハ随分実体ニ堅ウ身ヲモツケレドモ  何ンノエイコトガアルゾ  ソレデモナンニモエイコトハナイ
世間ノ人ハ刈タ萱ノ乱レタヤウニ乱レテハウラツナ者モアレドソレデモサノミワルイコトハナイ  スレヤ実体ニタシナムブンガソンヂヤ

1053   
  何かその  名の立つことの  惜しからむ  知りて惑ふは  我ひとりかは
遠鏡
  ナンノソノ名ノタツコトガヲシカラウ  恋ヲスレバ名ガタツトシリナガラ迷フノハ  オレヒトリカ  オレバカリヂヤナイ  皆サウヂヤ

1054   
  よそながら  我が身に糸の  よると言へば  ただいつはりに  すぐばかりなり
遠鏡
  此詞書の意は。くそがいとこなる男の。くそを思ひてけざうするよしを。ある人のしか/\のことをきゝつと。くそにいひければ也。よそへては。さもあらぬことを。さ也と言依する也。万葉などに例多し。考へて知るべし。余材。この詞書の意をあやまれるから。歌をもときあやまれり。
ソンナコトハワシヤ夢ニモシラヌ  スレヤソノヤウニ  ワシガイトコガ  ワシニ恋ヲスルヤウニ  ヨソナガラ云フノハ  ソレヤホンノコトデハナイヂヤ  タヾウソニソノヤウニ云バカリヂヤ  ソレガモシホンノコトナレヤ  ワシガ方ヘ何ントゾ云ヒカケサウナ  物ヂヤワサテ
三の句いへばは。いふなるべし。そはもと云はとかけるを。心得あやまりて。いへばとはうつしなせるなるべし。余材わろし。すくはすきことをする也。過にはあらず。糸による針に着[すぐ]るをもて。詞とせる歌なり。

余材
  ...くそかいとこなるをとこの思ひかけたるよしにほのめかしいひよりけるなるへし...よそなからとは他人にして也我身にいとのよるといへはとはいとこによそへていへるをいとのよるとよせたりいとこにもあらぬ人のいとこなるをとこによそへていふことはたゝいつはりにすくのみなりといふことを針に著くとよせたりすくとはまめなり心なくて色このみなるをいへりいつはりを針にいひなせるは上に友則かうたにいとはれてのみといふに痛晴てとそへたるかことし

1055   
  ねぎことを  さのみ聞きけむ  やしろこそ  はてはなげきの  もりとなるらめ
遠鏡
  ソノヤウニメツタニ人ノ云コトヲ聞入レテ  タレニモカレニモ逢フ人ガサ  シマイニハナゲキガシゲウナルデアラウワイ
ねぎことやしろ杜をもてしたてたり。稲掛大平が云く。下句は。歎きのきを。木にとりて。その木のしげくて。杜となるならんとよめる也。歎きのと切て心得べし。然るを後の世に。なげきの森といふ名所とせるは。この歌を心得たがへたるより出たるひがこと也。さる森の名あるにはあらずといへり。この説よろし。

1056   
  なげきこる  山とし高く  なりぬれば  つらづゑのみぞ  まづつかれける
遠鏡
  イロ/\ノ歎キガ山ノヤウニツモツタレバ  ヤヽモスレバヒタモノマヅ肘杖ヲツイテ  ツムリヲ傾ケルヤウニサナルワイ
木をこり来て。山高くて。道すがら杖をつくをもて。したてたり。

1057   
  なげきをば  こりのみつみて  あしひきの  山のかひなく  なりぬべらなり
遠鏡
  恋ユヱニ此ノヤウニ歎キバツカリガツモツテ  シヾウソノカヒモナイコトニナルデアラウヤウニ思ハルヽ

1058   
  人恋ふる  ことを重荷と  になひもて  あふごなきこそ  わびしかりけれ
遠鏡
  重荷ヲニナウタヤウニ  ジユツナイ恋ヲシテ  ソシテイツアハレルト云フ時節モナイハ  サテモ難儀ナコトデコソアレ
拐[あふこ]と荷をになふとをもてしたてたり。

1059   
  宵の間に  いでて入りぬる  三日月の  われて物思ふ  ころにもあるかな
遠鏡
  コノゴロハマア  サテモ/\ワリナイ物思ヒヲスルコトカナ

1060   
  そゑにとて  とすればかかり  かくすれば  あな言ひ知らず  あふさきるさに
遠鏡
  ドウシタガヨカラウカ  カウシタガヨカラウカト  レウケンノ定メニクイコトヲ  イロ/\ニ思案シテ見テ  ヨイレウケンヲ一ツ思ヒツイテ  サウヂヤト定メテ  ソノ通リニスレバ又一方ニサシツカエガアリ  又思案ヲカヘテシテ見レバ  又一方ニサシツカヘガアリ  トカク世ノ中ノコトハアヽドウモナラヌモノヂヤ  一方ガヨケレバ一方ガワルウテ
三の句の下にとありといふことをくはへて心得べし。上にならはせて。此詞をはぶけるもの也。余材わろし。但しそへての注に。古今著聞集を引たるは当れり。その意なり。

余材
  この初の五文字顕昭もいかゝおもはれけむ注せられす後撰にけふそへにくれさらめやはと思へともといへるは萬葉に副の字をさへとよみたれはけふさへにといふ心なれは今と同しからす此歌の外に見及はぬ詞なり但古今著聞第十六に近江法眼寛快といふ僧の事をかける所に云或日又こし車にひかれて参りけるに圓宗寺の前にてたけたかく大なる法師のかきのかたひらはかりに袈裟かけたるか同行とおほしき僧四五人具したるか行をみてこし車よりとひおりて何といふ事もなくしやこくひをかきて相撲を取けりたかひにひし/\と取組て此法師をうちまろはかしてけり其後おのれは聞ゆる文学かなといへはそへにといらへておのれは聞ゆる檀光かなといふ又そへにとこたふいさゝらは今一度とらんとて又寄あひて取に此度は檀光うてにけり其後いされ高雄へかいもちひくれにといへはさらなりとてそこよりやかてくして高雄へ行にけりそれよりとはすなりけるとそ云々右この中にそへにといらへてといへるはさよといふ心とみゆれはうき事のある時のかれんともせすさよと打まかせてをれはその事のみにてもはてす又ことうき事のかさなりくるをわひてとすれとかゝりといへるなるへし...あないひしらすはいふへきやうもしらすの心也詞も及はすといふかことしあふさきるさには...かなたこなたよりうき事のかさなりくる心也顕昭云あふさとはあふさま也きるさとはくるさま也とさまかくさまといふこゝろなり...

1061   
  世の中の  うきたびごとに  身を投げば  深き谷こそ  浅くなりなめ
遠鏡
  世中ノウイ度ゴトニコレデハ/\ト思フテ  人ガ身ヲナゲイタナラ  死骸ガオビタヾシウツモツテ  深イ谷ガサ浅ウナルデアラウト  此ノヤウニウイコトノ多イヨノ中ナレバ

1062   
  世の中は  いかにくるしと  思ふらむ  ここらの人に  うらみらるれば
遠鏡
  人コトニ世ノ中ハウイモノヂヤ/\ト云テ恨ミル  サウ数万人ノ人ニウラミラルヽコトナレバ世中殿ハサゾヤメイワクニ思フデアラウ

1063   
  何をして  身のいたづらに  老いぬらむ  年の思はむ  ことぞやさしき
遠鏡
  オレハマア何ヲシテ  此ノヤウニ年ヨツタコトヤラ  何ンニモセズニ年バツカリヨツテ  身ニツモツタ齢ノ思フトコロガサ ハヅカシイ

1064   
  身は捨てつ  心をだにも  はふらさじ  つひにはいかが  なると知るべく
遠鏡
  トテモ立身ナドモエセネバ  此ノ身ハモウ無イモノニシテ居ルヂヤガ  セメテハ心バカリナリトモ大切ニ持テ  ステコンジヤウニハナルマイゾ  ソシテシヾウハドノヤウニナルゾト  見トヾケルヤウニサ

1065   
  白雪の  ともに我が身は  降りぬれど  心は消えぬ  ものにぞありける
遠鏡
  我ガ身ハ此ノヤウニ年ガヨツテドコモカモ  大ニチガウタレドモ  心ハクヅヲレヌモノデサ  ヤツハリ若イトキニカハラヌワイ
雪にふるきえぬといふ。詞のしたてなり。

1066   
  梅の花  咲きてののちの  身なればや  すきものとのみ  人の言ふらむ
遠鏡
  梅ノ花ノ咲テチツテシマウタ跡ヘナル実ハ酸イモノヂヤガ  オレハソノ梅ノ実ヂヤヤラシテ  人ガダレデモオレヲバ  スキモノヂヤ/\ト云フ
酸と好色とをもていへり。

1067   
  わびしらに  ましらな鳴きそ  あしひきの  山のかひある  今日にやはあらぬ
遠鏡
  猿ヨ  ソノヤウニ難儀サウニアマリナクナイ  今日ハ此通リニ忝クモ法皇様ノ御幸ガアツテ  此ノ山ノカウシテアルカヒガアルデハナイカ  アリガタイ日ヂヤゾヨ今日ハ

1068   
  世をいとひ  木のもとごとに  立ち寄りて  うつぶし染めの  麻の衣なり
遠鏡
  此ノコロモハ  世ヲイトウテ  一所不在ノ僧ノ  イツデモトコナリトユキカヽリニ木ノカゲヘ立ヨツテハ  帯ナドモトカズツイソノマヽデ寝ル  五倍子染ノ麻ノ衣デゴザル
うつぶしとは。神代紀に全剥[うつはき]とある全[うつ]とおなじくて。そのまゝにて臥[ふす]をいふまろねと云ふにおなじ。うつむきに臥にはあらず。又た打聞に。五倍子[ふし]はうつろなる物なる故に。うつぶしといふとあるも。いとわろし全臥を五倍子にいひかけたるにてこそ。俳諧にはありけれ。

打聴
  是は五倍子染[フシゾメ]の衣を人におくる時よみてそへたる成べし世をいとひ木の下ごとに立よりてとはやどりさためぬ法師のさま也うつぶしは五倍子はうつろなる物故に云名也それをやどりさだめぬ身の木のもと毎にふしぬるにそへたりさて其ふし染の麻衣也といひておくるにそへし也

( 2004/12/28 )   
 
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