Top  > 古今和歌集の部屋  > 本居宣長「遠鏡」篇  > 巻ニ 春歌下

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69   
  春霞  たなびく山の  桜花  うつろはむとや  色かはりゆく
遠鏡
  霞ガタナビイテ  其カスミヘ色ノウツヽテ見エルアノ山ノ桜バナガ  チラウトテヤラ  霞ノ色ガカハツテキタ

70   
  待てと言ふに  散らでしとまる  ものならば  何を桜に  思ひまさまし
遠鏡
  チリカヽツタ桜ニ向フテ  シバラクチラズニ待テクレト云フノヲ聞入レテ  ソレデシバシデモチラズニ留ルモノナラバ  何ヲ桜ヨリマサツタモノヂヤトハ思ハウゾ  ソレデハ  モウ世ノ中ニ桜ヨリマサツタモノハアルマイニ  惜イノニ早ウチルバツカリガ  アツタラ桜ノキヅヂヤ

71   
  残りなく  散るぞめでたき  桜花  ありて世の中  はての憂ければ
遠鏡
  ワルウナツテ  ウザ/\ト残ツテアラウヨリ  サツハリト残リナシニ早ウ散テシマウノガサアヽケツカウナコトヂヤ桜花ハ  世ノ中ト云モノハ  ソウタイ何ンデモ  長ウアレバカナラズ  シマイクチガ  ワルイ物ナレバサ

72   
  この里に  旅寝しぬべし  桜花  散りのまがひに  家路忘れて
遠鏡
  コヨヒハ此ノ里デトマラウコトヂヤ  此ヤウニオモシロイ桜花ノチルマギレニ内ヘイヌルコトヲバ思ヒダサズニサ

73   
  空蝉の  世にも似たるか  花桜  咲くと見しまに  かつ散りにけり
遠鏡
  桜花ハサ  咲イタワト思フタウチニ  ハヤカタ一方カラ散テシマウタワイ  人間一生ノアヒダハ  ナンノマモナイモノヂヤガ  ソレニマアヨウ似タコトカナ

74   
  桜花  散らば散らなむ  散らずとて  ふるさと人の  きても見なくに
遠鏡
  遍昭師ガ大方コノ花ヲ見ニ来テクレラルヽデアラウト思フテ  毎日/\マテドモ見エヌ  ケフマデ見エヌカラハ  モウ大方見エヌノデアラウ  スレヤヨイワ桜花ヨ  チルナラ勝手ニ散テシマウサ  チラズニアツタトテ在所ノ人ガ来テ見モセヌニ  カヤウニヨミ候ユヱ御目ニカケ候已上

75   
  桜散る  花のところは  春ながら  雪ぞ降りつつ  消えがてにする
遠鏡
  桜花ノチル所ヘキテ見レバ  時節ハ春デアリナガラ  雪ガサチラ/\トフツテ  ヂキニハキエニクイ  春ノ雪ハソノマヽ消ルモノヂヤニ  コレハ正ノ雪デナイ桜バナヂヤニヨツテ
(千秋云。初二句は。さくら花のちるところはといふことなるを。さは云がたき故に。はなとちるとを。下上にはいへるなり。)

76   
  花散らす  風の宿りは  誰か知る  我に教へよ  行きてうらみむ
遠鏡
  サテモ/\アツタラ花ヲ  此ヤウニチラス風メガ逗留シテ居ルトコロハ  タレゾハ知テ居ルモノガアラウ  誰レガ知テ居ルゾオレニ教ヘテクレイ  ソコヘ行テ  ゾンブンニ恨ミヲイハウ

77   
  いざ桜  我も散りなむ  ひとさかり  ありなば人に  うきめ見えなむ
遠鏡
  此ヤウニ桜ノ早ウ散テシマウノハ  アヽヨイ料簡ヂヤ  ドレヤ桜ヨ  オレモイツシヨニ散テドウナリトモナツテシマハウ  人ト云モノモ  一トサカリ  盛リナ時ガアツテ  ソレガ過ギテ  オトロヘタナラバ  老ボレテ  ラツシモナイヤウスヲ人ニ見ラルヽデアラウホドニ
>> 「ラツシモナイ」の意味不明。

78   
  ひと目見し  君もや来ると  桜花  今日は待ちみて  散らば散らなむ
遠鏡
  此間ダチヨツトキテ見テイナシヤツタ人ガ  又ゴザルカト  今日一日ハマア待テミテ  ソシテゴザラズハ  チルナラチツタガヨイ  桜花ヨ  大カタ今日ハゴザリサウナモノヂヤ

79   
  春霞  何隠すらむ  桜花  散る間をだにも  見るべきものを
遠鏡
  霞ハナゼニ此ヤウニ桜花ヲカクスヤラ  ユルリトミルコトハナラズトモ  セメテハ枝カラチルアヒダナリトモマア  見ヤウモノヲソノアヒダサヘ霞デ見ラレヌ

80   
  たれこめて  春のゆくへも  知らぬ間に  待ちし桜も  うつろひにけり
遠鏡
  ワシハアンバイガワルウテ  帳ノ帷ヲオロシテ  ヒツコモツテバカリ居テ  春モイクカヤラ日ノ過テイクモシラヌマニ  咲タラ見ヤウ/\ト思フテ  セツカク待タ桜モ  ハヤコノヤウニ  ウツロウテシマウタワイノ

81   
  枝よりも  あだに散りにし  花なれば  落ちても水の  泡とこそなれ
遠鏡
  水ノ上ヘチツテ流レル桜花ガアレトツト沫ノヤウニ見エル  枝カラモモロウ散タ花ヂヤニヨツテ  下ヘ落テモ又同クアノヤウニモロイ水ノ沫ニサナルヂヤワ

82   
  ことならば  咲かずやはあらぬ  桜花  見る我さへに  しづ心なし
遠鏡
  トテモ此ノヤウニ早ウチルクラヰナラバ  一向ニシヨテカラサカヌガヨイニ  ナゼニサカズニハヰヌゾ桜花ハ  此ノヤウニ早ウ散テハ見テ居ルコチマデガ  心ガサワ/\トシテオチツカヌ
打聞。ことならばの説。いと物どほし。此詞はいづれも右の訳の意を以て見るべき也。例を考へ合せて味ふべし。

打聴
  かく殊ざまにとくちらんものならばさかでやはあらぬなまじひに咲出てとく散みだるゝゆゑに見る人の心をさへ乱らしむると花にうらみ難じていへりことならば殊様ならば顕昭は同じくはと云意也といへり又如[ゴト]ならばと云人も有ニ説ともにわろし新撰万葉に玉かづらことはねさへにほりてすてなんといふも殊者と書り此詞後撰にも源氏の柏木にも有右にて心得ればよろしき也

83   
  桜花  とく散りぬとも  思ほえず  人の心ぞ  風も吹きあへぬ
遠鏡
  オレハ桜ノ花ハ早ウチルモノヂヤトモ思ハレヌ  ソレヨリハ  人ノ心ガサ  アダナモノヂヤ  ナゼト云ニ  桜ハマダ風ガフカネバメツタニチリモセヌガ  人ノ心ハ風ノフクマデモマタズニ早ウウツル物ヂヤワサテ
余材。下句の注わろし。

余材
  ...此心は花の散よりも惜む人の心の静ならぬ事をいはんとて風も吹あへぬとはよめり人の心の静ならぬは風による物ならねと花は猶風を待て吹あへたれはさていへるなりうつほ物語にこれを取りて
  花よりも静ならぬは君がさは  風も吹きあへぬ心なるらん
前後しつ心なしと読る中に有て此うつほ物語の歌にもかく心得てとられたれは風も吹きあへすうつろふといふにはあらぬなり...

84   
  久方の  光のどけき  春の日に  しづ心なく  花の散るらむ
遠鏡
  日ノ光リノノドカナ  ユルリトシタ春ノ日ヂヤニ  ドウ云コトデ花ハ此ヤウニサワ/\ト心ゼワシウチルコトヤラ

85   
  春風は  花のあたりを  よぎて吹け  心づからや  うつろふと見む
遠鏡
  春風ハ花ノ咲テアルアタリヲバヨケテフケ  モシ風ハフカイデモ  花ハジブンノ心カラヒトリデニモ  チルモノカナ  タメシテミヤウニ

86   
  雪とのみ  降るだにあるを  桜花  いかに散れとか  風の吹くらむ
遠鏡
  サクラ花ハヒトリデニモ  ヒタスラ  雲ノヤウニフルモノヲ  ソレサヘアルニ  マダコノ上ヘドノヤウニチレト云コトデ  風ハフクコトヤラ

87   
  山高み  見つつ我がこし  桜花  風は心に  まかすべらなり
遠鏡
  アノ桜ノアル所ヘ行テ見テ折リタカツタケレドモ  山ガ高サニエノボライデ  残念ナガラオレハヨソニ見イ/\来タニ  風ハアノ桜ヲ心マカセニ  スルデアラウト思ハル
余材。山高みの説わろし。

余材
  ...此山高みは山高み人もすさめぬといひ山高み雲ゐにみゆるとおなし詞なからひえの山は名高き山なれはうやまふ心をこめて山の高くたふときにおそれて我は思ひなからえをらて見つゝのみこし桜を風は山の高きを便に立やすき物なれはかへりて心のまゝに吹つくしてこそ行らめとよめるなるべし

88   
  春雨の  降るは涙か  桜花  散るを惜しまぬ  人しなければ
遠鏡
  桜ノチルヲ惜マヌ人ハナケレバ  此ノヤウニ此ノセツ春雨ノフルノハ世間ノ人ノ桜ヲヲシンデ  泣クナミダカイ

89   
  桜花  散りぬる風の  なごりには  水なき空に  浪ぞたちける
遠鏡
  桜ノチルトキニ  風ガ吹タテヽ  其ノ花ガシバラク  中デサワグケシキハ  テウド浪ノタツケシキヂヤ  ソシテ海ベニナゴリト云コトガアル其ナゴリハ浪ガタツヂヤガ  花ヲチラシタ此ノ風ノアトノナゴリニハ  水ノアリトモセヌ空ニサ浪ガタツタワイ

90   
  ふるさとと  なりにし奈良の  みやこにも  色はかはらず  花は咲きけり
遠鏡
  フルイ昔シノ都ニナツテシマウタ此ノ奈良ノ京ニモ  ヤツハリ色ハ昔シニカハラズ  都デアツタ時ノトホリニ  花ハサイタワイ

91   
  花の色は  霞にこめて  見せずとも  香をだにぬすめ  春の山風
遠鏡
  花ノ色ヲバ  霞ノ中ニコメテオイテ見セズトモ  セメテソノ香ヲナリトモ  霞ノ中カラヌスミダシテキテ  コヽヘモニホハセイ  春ノアノ山ノ風ヨコレヤ

92   
  花の木も  今はほり植ゑじ  春たてば  うつろふ色に  人ならひけり
遠鏡
  花ノ咲ク木モ  モウ今カラハ  ホツテ来テウヱマイ  春ニナレバ  花ガサイテ早ウウツロウ色ヲ見ナラウテ  人ノ心モウツロヒヤスウナルワイ

93   
  春の色の  いたりいたらぬ  里はあらじ  咲ける咲かざる  花の見ゆらむ
遠鏡
  春ノ色ハドコモカモヒラ一マイナレバ  イキワタツタ里ト  イキワタラヌ里トノ  ワケヘダテハ  アルマイニ  ドウ云コトデ  花ハ咲タ所トサカヌ所トガアルコトヤラ

94   
  三輪山を  しかも隠すか  春霞  人に知られぬ  花や咲くらむ
遠鏡
  サテ/\三輪山ハキツウ霞ンダコトカナ  コノヤウニマアカスミノ隠スノハ  此ノ山ニハ人ニシラサヌ  ナイシヨウノ花ガアルカシラヌ

95   
  いざ今日は  春の山辺に  まじりなむ  暮れなばなげの  花のかげかは
遠鏡
  ドレヤケフハ日ノクレルマデモ  此ノ春ノ山ベヲ  カケアルイテアソバウゾ  日ガクレタトテモ  花ノ陰ガナササウナカイ  イクラモ花ノカゲガアレバ  モシ暮タナラ  サイハヒヂヤ花ノカゲニトマラウワサ
なげは。は。無にて。は。何げとおほくいふ詞也。打聞なげの説わろし。くれなばといふにかなはず。

打聴
  ...なげは歌集共にあまたみゆる中に曽丹集にあればありなげらのよそに見し人を秋風吹ばそれぞこひしき是は有ども無気[ナゲ]の如くする事に云今もなげやりと云は転りての詞也なげの花の陰かははなげにはあらぬと打かへして聞也

96   
  いつまでか  野辺に心の  あくがれむ  花し散らずは  千代もへぬべし
遠鏡
  花ガチラズハ  イツマデコノ野辺ニ心ガウカレテ居ルデアラウ  モシ花ガチラズニアツタラバ  千年デモ此ノ野デタテウヤウニ思ハレル

97   
  春ごとに  花のさかりは  ありなめど  あひ見むことは  命なりけり
遠鏡
  花ハノ今年チツテモ  又来年カラ後モ  春ゴトニ盛ハアラウケレドモ  ソノ盛リニ逢テ見ルコトハコチノ命次第ヂヤワイ  ナンボ花ザカリガ毎年アツテモ  命ガナケレヤ  又ト見ルコトハナラヌ  サウ思ヘバアヽ残リオホイ花ヂヤ

98   
  花のごと  世のつねならば  すぐしてし  昔はまたも  かへりきなまし
遠鏡
  花ハチツテシマウテモ  又春ニナレバ  年々相替ラズ  定マツテ咲ク物ヂヤガ  世ノ中ガ花ノトホリニ定マツテ  カハラヌ物ナラバ  過シテキタ昔シモ  又フタヽビカヘツテクルデアラウニサ  世ノ中ハ過タ昔シガフタヽビカヘルト云コトハナイ

99   
  吹く風に  あつらへつくる  ものならば  このひともとは  よぎよと言はまし
遠鏡
  吹テクル風ニ  頼ンデ  イヒツケラルヽ物ナラ  此ノ花一本ハ  ヨケテ吹テクレトイハウニ  サウイフコトハナラヌモノナレヤ  ドウモ散テモセウコトガナイ

100   
  待つ人も  来ぬものゆゑに  うぐひすの  鳴きつる花を  折りてけるかな
遠鏡
  此花ヲ馳走折テ生テオイテ  来タナラバ見セウト思ウテ  待ツ人モ来モセヌニ  アヽ鶯ノオモシロウ鳴テヰタ  アツタラ花ノ枝ヲオレハ折タワイ  サテモヲシイコトヲシタコトカナ  待ツ人ガ来ヌクラヰナラ  折ラネバヨカツタニ
こぬものゆゑには。来もせざるにといふ意なり。

101   
  咲く花は  ちぐさながらに  あだなれど  誰かは春を  うらみはてたる
遠鏡
  ヨニ春サク花ハイロ/\アルガ何ンノ花デモ皆アダナ物ナレド  ソレデモ誰レガ春ノ花ハアダナト云テ  トント見カギツタ者ガアルゾ  アダナモノヂヤ/\トハ誰モイヒツヽ  咲ケバ又ヤツハリ賞翫スルヂヤ
余材。後の説はわろし。

余材
  ...或抄の心花といふ花は皆あたなれと春をしたふ心から恨みはてたる人はなきとなり人を思ふやうに花をあたなれとゝいひ春を恨みはてぬなと心をつくしていへりもしは花は千種なからあたなれと立かへり春毎に咲を誰か独なからへはてゝそのあたなることを恨みはてたるとよめるか

102   
  春霞  色のちぐさに  見えつるは  たなびく山の  花のかげかも
遠鏡
  霞ノ色ガイロ/\ニ見エルノハ  ソノ霞ノタナビイテアル中ナ山ノ花ノイロガ霞ヘウツヽタノカイノ

103   
  霞立つ  春の山辺は  遠けれど  吹きくる風は  花の香ぞする
遠鏡
  霞ノ立ツテアル春ノコロノ山ハ遠ウミエルケレドモ  カクベツ遠ウモナイカシテ  吹テクル風ハ花ノニホヒガサスル
この歌の意。諸説ともにくはしからず。

104   
  花見れば  心さへにぞ  うつりける  色にはいでじ  人もこそ知れ
遠鏡
  ウツロウタ花ヲ見レバ  アヽヲシヤト思ウ心ガ花ニシミコンデ  コチノ心マデガサ  花ノ色ニウツヽタワイ  此ノヤウニ花ノ色ニウツツタ心ヲ  ドウゾ顔イロニハダスマイ  人ガ知ラウモシレヌホドニ  人ガ知テハ  アマリアハウラシイコトヂヤ
打聞よろし。余材わろし。
>> 「アハウラシイコト」とは、アホらしい、ということか。

余材
  ...うつろへる花は厭はしくて又盛なる花に心のつくはよのつねの習ひなれは思ひ返して色には出しといへるか又はうつろへる花をみて無常を観して世をも捨はやなと心の転する時にさりとて背かれぬ物なるをなましひに色には出しといへるか...

打聴
  うつろふ花を深く思ひつゝみるに付て心も花にしみてうつろへる如くおもはるゝをけしきには出さじ人の見知てあまりしきと嘲けらんにと也花に心の入[シミ]たるよし也それをうつろふとは云

105   
  うぐひすの  鳴く野辺ごとに  来て見れば  うつろふ花に  風ぞ吹きける
遠鏡
  鶯ノナク野ヘ来テ見レバドコノ野モ/\  ウツロウタ花ヲ風ガ吹テチラスワイ  鶯ガ惜シガツテナクハダウリヂヤ
(千秋云。ニの句の。ごとにといふ詞は。下の句へかけて心得べし。来て見ればへはかゝらざるなり。)

106   
  吹く風を  鳴きてうらみよ  うぐひすは  我やは花に  手だにふれたる
遠鏡
  鶯ガオレガチカクヘ来テ恨メシサウニ鳴クガ  ソチハ花ノチルガ惜ウテウラミルナラアノ吹テクル風ヲ恨ンデナケサ  オレガアノ花ニチヨツトナリトモ手ドモフレタナラコソ  オレヲ恨ミヤウケレ  オレハ手モフレハセヌゾヨ  スレヤコチガ知タコトデハナイワサテ

107   
  散る花の  なくにしとまる  ものならば  我うぐひすに  おとらましやは
遠鏡
  散テユク花ガ  惜ンデ泣ノデ  チラズニトマルモノナラ  コチモ鶯ニオトロウカイ  鶯ニオトラヌホド泣ウケレド  ナンボ泣テモ花ハドウモトマラヌワイノ

108   
  花の散る  ことやわびしき  春霞  たつたの山の  うぐひすの声
遠鏡
  霞ノタツテアルアノ立田山ニ鶯ノナク声ガスルガ  花ノチルコトガツラウ思ハレテアノヤウニ鳴クカイ

109   
  こづたへば  おのが羽かぜに  散る花を  誰におほせて  ここら鳴くらむ
遠鏡
  鶯ガアノヤウニ花ノ枝ヲアチラヘコチラヘコヅタヘバ  自分ノ羽ノアヲチノ風デ花ハチルモノヲ  ソレヲ誰レガ咎ニシテ  アノヤウニ恨メシサウニ  シキリニ鳴クコトヤラ  外ノ物ガチラスカナンゾノヤウニマア
(千秋云。こゝらは物の数の多きことなれば。シキリニといふ訳はあたらざるがごとくなれども。俗語にていふときは。必ずしきりになくといふ勢なるところ也。すべてこの類多し。なずらへてしるべし。)
>> 「アヲチノ風」の意味不明。

110   
  しるしなき  音をも鳴くかな  うぐひすの  今年のみ散る  花ならなくに
遠鏡
  鶯ノナンノセンモナイ鳴ゴトカナ  今年バカリチル花デハナイイツノ年トテモツヒニ鶯ノナクノデ花ガチラズニアツタト云コトハナイニ

111   
  駒なめて  いざ見にゆかむ  ふるさとは  雪とのみこそ  花は散るらめ
遠鏡
  タレカレサソヒアハセテ  馬ヲノリナラベテ打ツレテ  ドレヤ見ニユカウゾ  此ノセツフル京ハサゾヤ  雪ノフルヤウニサ  ヒタ/\ト花ハチルデアラウワイ
>> 「フル京」は「フルサト」。

112   
  散る花を  何かうらみむ  世の中に  我が身も共に  あらむものかは
遠鏡
  花ノチツテユクヲ  何ンノ恨メシウ  コチガ身トテモ  イツマデモ  此ノ世ニカウシテアラウモノカイ  花ト同ジヤウニオツヽケ死ンデユクモノヂヤ  花バカリヲ早ウチルトテ恨ミヤウヤウハナイ
>> 「恨ミヤウヤウハナイ」の「ヤウ」の重なりは底本の誤りか。

113   
  花の色は  うつりにけりな  いたづらに  わが身世にふる  ながめせしまに
遠鏡
  ヱエヽ  花ノ色ハアレモウ  ウツロウテ  シマウタワイナウ  一度モ見ズニサ  ワシハツレソフテ居ル男ニツイテ  心苦ナコトガアツテ  何ンノトンヂヤクモナカツタ  アヒダニ長雨ガフツタリナドシテ  ツイ花ハアノヤウニマア
世にふるとは。男女のかたらひするをいふ。男女の中らいのことを。世とも世の中ともいへる多し。此集恋の歌にも。これかれあり。いせ物語に。世ごゝろつける。源氏物語に。まだ世をしらぬ。などあるたぐひもこれ也。

114   
  惜しと思ふ  心は糸に  よられなむ  散る花ごとに  ぬきてとどめむ
遠鏡
  散テユク花ヲ  ヲシイト思フ心ハ  ドウゾ糸ニヨラルヽ物ナラヨイニソシタラ  ソノチル花ヲ一ツ/\ソノ糸デツナイデ  チラヌヤウニトメテオカウニ

115   
  梓弓  はるの山辺を  越えくれば  道もさりあへず  花ぞ散りける
遠鏡
  春ノコロ山ヲ越テクレバ  ドウモ道モヨケラレヌホド  花ガチツテクルワイ  アノ女等ガサ

116   
  春の野に  若菜つまむと  こしものを  散りかふ花に  道は惑ひぬ
遠鏡
  此ノ春ノ野デ若菜ヲツマウト思フテ来タモノヲ  アチラヘコチラヘチリマガウ花デワカナヲツム所ヘユク道ハマギレテ  フミマヨウテ  ソデモナイ所ヘキタワイヨレヤ
>> 最後の「ヨレヤ」は「コレヤ」の底本の誤りか。

117   
  宿りして  春の山辺に  寝たる夜は  夢の内にも  花ぞ散りける
遠鏡
  花ノチル時分ニ山ニトマツテ寝タ夜ハソノ花ヲ惜イ/\ト思フユヱカ  夢ノウチニモサ  花ノチルコトバツカリヲミルワイ

118   
  吹く風と  谷の水とし  なかりせば  み山隠れの  花を見ましや
遠鏡
  フキチラス風ト流レテユク谷川ノ水トガ ナイモノナラバ  ミ山ノオクニカクレテ咲テアル花ヲバ見ヤウモノカイ  見ラレハスマイニ  スレヤ風ヤ川ノ水モ  花ノタメニ  メツタニワルイコトバカリデモナイモノヂヤ

119   
  よそに見て  かへらむ人に  藤の花  はひまつはれよ  枝は折るとも
遠鏡
  チヨツト立ヨツタバカリデ足モ留メズニ  ヨソニ見テイヌル人ニ  ハヒマツウテイナスナ藤ノ花ヨ  タトヒ枝ハ折レルトモ  ドウゾハヒマツウテトメヨ

120   
  我が宿に  咲ける藤波  立ち返り  すぎがてにのみ  人の見るらむ
遠鏡
  コチノ庭ニ咲テアル藤ノ花ヲ  アノヤウニ人ガヒツカヘシ/\シテドウモ見ステヽイナレヌヤウニ  ヒタスラ見ルガ  ドウ云コトヤラ  エイ庭デモナイニ

121   
  今もかも  咲き匂ふらむ  橘の  こじまのさきの  山吹の花
遠鏡
  タチバナノ小島ノ崎ノ山吹ノ花ハ  ケフコノゴロカナ  見事ニサイタデアラウ
初句は二つともにやすめ辞にて。今か也。今もといふにはあらず。

122   
  春雨に  匂へる色も  あかなくに  香さへなつかし  山吹の花
遠鏡
  此ノ山吹ノ花ワイ  春雨ニヌレテ一入マサツタ色モドウモイヘヌニ  色バカリデナシニ  香マデガ  雨ニヌレテ別シテ  シホラシウニホフ
春雨。香の方へもかゝれり。物のにほひは。しめれば増る物也。
>> 「一入」は「ヒトシホ」。

123   
  山吹は  あやなな咲きそ  花見むと  植ゑけむ君が  今宵来なくに
遠鏡
  山吹ハワケノタヽヌ物ヂヤ  コンナコトナラサカヌガヨイ  花ガサイタラ見ニ来ウト  思フテ植テオカシヤツタデアラウニ  其御方ガ  コヨヒミエモセヌニ  咲テモ何ンノセンモナイコトヂヤ  咲ククラヰナラ其御方ガ見ニミエルヤウニシテクレレヤ  ソレデハ咲タカヒガアツテ  ワケノタツト云モノヂヤニ
恋の歌なり。

124   
  吉野川  岸の山吹  吹く風に  底の影さへ  うつろひにけり
遠鏡
  吉野川ノ岸ナ山吹ヲ見レバ  風ガ吹テチルガ  ソノ風デ川ノ水ガ  ウゴクニヨツテ  底ヘウツヽタ影マデガチツタワイ

125   
  かはづなく  ゐでの山吹  散りにけり  花のさかりに  あはましものを
遠鏡
  コノ井手ノ山吹ガ  ハヤモウ散テシマウタワイ  アヽ残念ナコトヲシタ  マソツト早ウ  花ノサカリノ時分ニ逢フヤウニ来テ見ヤウデアツタモノ

126   
  おもふどち  春の山辺に  うちむれて  そことも言はぬ  旅寝してしか
遠鏡
  ソンデフソコヘイクト云テ定マツタ旅デハ  ヨソニトマルノハ  ウイ物ヂヤガ  サウイフ定マツタ旅デハナシニ  心ノアフタドウシ  春ノ山ヘツレダツテイテ  一日日ノクレルマデアソンデ  イキガヽリニトマツテミタイモノヂヤ  ソレデハオモシロイ旅寝デアラウ
打聞。下句の意くはしからず。
>> 「ソンデフ」の意味不明。

打聴
  春の山方[ベ]はよろづの花咲鳥の囀も面白ければ思ふどち打群てそこともさゝず行まじり旅寝などもしてしかなと願ふ也そこともいはぬ顕昭注にそこともしらぬと有定家卿の密勘にともかくもいはず然ば古本にはしらぬと有けんいはぬもめぐらせて聞ば同意にて且こともやすくてよし旅寝は野山に行暮てぬるを云にて人を訪ひなどするにあらずかはかなの略にて例多し

127   
  梓弓  春たちしより  年月の  いるがごとくも  思ほゆるかな
遠鏡
  古歌ニ梓弓春トツヾケテヨンデアルガ  マコトニ月日ガ早ウタツテ  矢ヲイルヤウニ思ハルヽ  春ニナツテカラマダナンノマモナイニ  サテモ早ウタツタカコトカナ
とし月とよめるは。まことは年の暮の歌なればなるべし。春の暮の歌にては。此詞いかゞにきこゆ。

128   
  鳴きとむる  花しなければ  うぐひすも  はてはものうく  なりぬべらなり
遠鏡
  ナンボ惜ンデ鳴テモ/\  花ハミナ散テシマウテ  鳴タデトマル花ハナケレバ  コレデハセンノナイコトヂヤト思フテ  鶯モシマヒニハ鳴トモナウナツタデ  アラウサウアリソナコトニ思ハレル  ソレデ久シウナカヌヂヤマデ
余材わろし。
>> 最後の「マデ」の意味不明。

余材
  詞書によれははては物うくなりにけらしもとあるへきを今のことくあるは今たにかゝり春もくれはてなはいとゝ物うくなりぬへしと行末をかけてよめる心なり

129   
  花散れる  水のまにまに  とめくれば  山には春も  なくなりにけり
遠鏡
  此の人は。こゝに始めて出たれば。姓をあぐるべき例なるに。姓なきはいかゞ。又打聞に。此名のを。みなとせるはひがことなり。
花ノ散テ流レル川スヂニソウテ段々ミナカミノ方ヘ  尋ネテキテミレバ  山ニハモウ花ハミナチツテシマウテ  ハヤ春モナイヤウニナツタワイ
>> 「此の人」とはこの歌の作者、清原深養父のこと。打聴では「ふかやぶ」が下のように「ふかや」に
    なっているということ。


打聴
      (嘉永二年 補刻版「古今和歌集打聴」より)    

130   
  惜しめども  とどまらなくに  春霞  かへる道にし  たちぬと思へば
遠鏡
  春ヲ惜ムケレドモ  モウシヨセントマリハセヌ  春ハモウタツテイヌル道ヘ旅ダチシタレバ  トマラヌハズヂヤ
霞は。たつ縁にいへる也。結句はたゞたちぬればといふ意にて。思ふには意なし。すべて思又いふといふ詞を。そへていへる例つねに多し。思へばを。春の思ふと見たる説はわろし。

131   
  声絶えず  鳴けやうぐひす  ひととせに  ふたたびとだに  来べき春かは
遠鏡
  春ハ一年ノ内ニ  イク度モ来レバ  重畳ノコトヂヤガ  サウハナラズトモ  セメテ二度トナリトモ来レバヨケレドモ二度トモクル春カイ  タツタ一度ナラデハナイ春ヂヤニ  クレテユクハサテ/\ノコリ多イコトヂヤ  鶯ハズヰブン絶ズ鳴テ恨ミヨヤイ  イカニモ鳴キドコロヂヤ

132   
  とどむべき  ものとはなしに  はかなくも  散る花ごとに  たぐふ心か
遠鏡
  アノ花ガアマリ惜サニ  一本/\チツテユク花ゴトニ  コチノ心ガツイテイクワアノ女ニ  サテモマア  アホラシイコトカナ  ツイテイタトテ  トメラレウモノデハナイニ
打聞みなわろし。

打聴
  風に花の散をとゞめむの心はなしに散行かたへ心をたぐへやるがはかなき事と云てさて女共のゆくに我心をたぐへやるをそへたると也又さなくば女どもの散花を追てあるくやうなるを嘲るか

133   
  濡れつつぞ  しひて折りつる  年の内に  春はいくかも  あらじと思へば
遠鏡
  此ノ藤ノ花ハドウゾソコモトヘ  御目ニカケウト存ジテ  今日ノコノ雨ニヌレ/\サ  ムリニ折リマシタ  春ハマダイクカモアルデハアルマイ  モウ当年ノ内ニハ  タツタケフ一日ナラデハ春ハナイト存ズユヱニサ
諸説。下句の意を得ず。

134   
  今日のみと  春を思はぬ  時だにも  立つことやすき  花のかげかは
遠鏡
  春ヲ  モウ今日バカリヂヤトハ思ハヌ時デサヘ  花ノ下ハ  立ツテイヌルノカ何ントモナイガサア  ソレデサヘ花ノ下ハ  立チサリトモナイニ  マシテケフギリノ春ヂヤモノ

( 2004/02/24 )   
 
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