Top  > 古今和歌集の部屋  > 本居宣長「遠鏡」篇  > 巻十四 恋歌四

<<  1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  >>

677   
  陸奥の  安積の沼の  花かつみ  かつ見る人に  恋ひや渡らむ
遠鏡
  カツ/゛\ニチヨツトカウ逢タバカリノ人ヲ  コレカライツマデモ恋シウ思ウテ月日ヲタテルコトデアラウカイ

678   
  あひ見ずは  恋しきことも  なからまし  音にぞ人を  聞くべかりける
遠鏡
  一度モ逢タコトガナクバ此ノヤウニ恋シイコトモアルマイ  アフタコトガナクバタヾヨソノコトニ聞テ居ルバカリデサアラウニト思ハルヽ

679   
  いそのかみ  ふるのなか道  なかなかに  見ずは恋しと  思はましやは
遠鏡
  ナマナカニ一度モ逢タコトガナクバ  此ノヤウニ恋シイトハ思モハウカイ  コノヤウニハ思フマイニ

680   
  君と言へば  見まれ見ずまれ  富士の嶺の  めづらしげなく  もゆる我が恋
遠鏡
  富士ノ山ノモエルノハジヤウヂウノコトデ  メヅラシイコトモナイガ  ワシモオマヘノコトサヘイヘバ  逢テモアハイデモ  イツデモフジノ山ノヤウニ恋ノ思ヒガモエマス

681   
  夢にだに  見ゆとは見えじ  朝な朝な  我が面影に  はづる身なれば
遠鏡
  ワシヤモウ思フ人ノ夢ニモ見エルトハ見ラレマイゾ  朝々鏡ヲ見ルニモキツウヤツレタオモカゲデ  ハヅカシイ身ヂヤニヨツテサ

682   
  石間ゆく  水の白浪  立ち返り  かくこそは見め  あかずもあるかな
遠鏡
  ドウゾ又ヒツカヘシテ来テ此通リニサアハウワイ  サテモ/\マアノコリオホイコトカナ

683   
  伊勢の海人の  朝な夕なに  かづくてふ  みるめに人を  あくよしもがな
遠鏡
  ドウゾ/\思フ人ニ存分ニハラ一ハイ  逢ハレルヤウニシタイ
朝な夕なは。朝食の菜。夕食の菜なり。魚類をもといふ。菜と同言也。此の歌などの朝な夕なを。たゞ朝夕のことゝみるはひがことぞ。

684   
  春霞  たなびく山の  桜花  見れどもあかぬ  君にもあるかな
遠鏡
  カスミノタナビイテアル山ノ桜花ヲミルヤウデ  見テモ/\逢テモ/\サテモマアアカヌ君ヂヤコトカナ

685   
  心をぞ  わりなきものと  思ひぬる  見るものからや  恋しかるべき
遠鏡
  心ト云モノハ  ムリナコトヲ思フモノヂヤトサ思ハレル  カウシテ逢テ居ナガラモヤツハリ恋シイワイ  逢テ居ナガラ恋シカラウハズカイ  逢テ居テハ  恋シカラウハズハナイニ

686   
  枯れはてむ  のちをば知らで  夏草の  深くも人の  思ほゆるかな
遠鏡
  夏シゲル草モ  冬ハノコラズ枯レルモノヂヤガ  ワシガ思フ人モ  今コソアレ  後ニハカレテ  遠ノイテシマウデアラウニ  サウ云フコトヲバガテンセズニ  サテモ/\  夏草ノヤウニ深フ思ハレルコトカナ

687   
  飛鳥川  淵は瀬になる  世なりとも  思ひそめてむ  人は忘れじ
遠鏡
  アスカ川ハ淵瀬ガヨウカハルト云コトデ  世間ノ人ノ心モソンナ物ヂヤト云フコトヂヤガ  タトヒソノヤウナ世中ヂヤトテモ  ワシハ一トタビ思ヒソメテアラウ人ヲバイツマデモ  忘レハスマイ

688   
  思ふてふ  言の葉のみや  秋をへて  色もかはらぬ  ものにはあるらむ
遠鏡
  ソウタイ木デモ草デモ  秋ハ色ガカハルモノヂヤガ  秋ヲコシテモ  色ノカハラヌモノハ  ワシガオマヘヲ思ウト云此ノ詞バカリデカナアラウ  何ハカハルト云テモ  此ワシガ詞バツカリハカハリハセヌゾエ
打聞わろし

打聴
  是は人の心はかはりても思ふと云詞のみはいく秋を経てもかはらずおもひ出ると也

689   
  さむしろに  衣かたしき  今宵もや  我を待つらむ  宇治の橋姫
遠鏡
  今夜モ帯ヲトイテ  フトンノ上ヘキルモノヽ片一方ヲシキテ  我ヲ待テ居ルデガナアラウ  宇治ノ橋姫ガサ
打聞はし姫の説いかゞ

打聴
  ...宇治のはし姫といふ事につきて奇しき説どもあれどより所もなく云にたらぬ事也思ふに万葉にはしき妻はしき妹など多くよめりはしきとはくはしきと云事にてくはしきはいにしへよき事をのみいへり即うつくしむ意也さらばはし姫ははし妻と云に同じく我うつくしむ妻の宇治にあるを思ひて今宵もや我を待らんにとよめる成べし又是は古歌なればはし妻と有けんを後になほしつらんとおぼゆ

690   
  君やこむ  我やゆかむの  いさよひに  真木の板戸も  ささず寝にけり
遠鏡
  君ガクルデアラウカ  ワシガ行ウカト  シバラク見合セテ居タデ  戸モサヽズニネタワイ

691   
  今こむと  言ひしばかりに  長月の  有明の月を  待ちいでつるかな
遠鏡
  オツヽケソレヘ参ラウト云テオコシタバカリニ  此ノ九月ノ末ノ夜ノ長イニサテマツホドニ/\  オソイ有明ノ月ガハヤモウ出タワイ  約束モセナンダ有明ノ月サヘ待チダシタニ  ソレニサ待ツ人ハサテモサテモ来ヌコトカナ  コレハマアドウシタコトゾ

692   
  月夜よし  夜よしと人に  つげやらば  こてふににたり  待たずしもあらず
遠鏡
  今夜ハキツウ月ガヨウゴザル月ガヨウゴザルト人ノ所ヘシラセテヤツタナラ  ソレデハチトゴザレト云テヤルモ同ジヤウナモノヂヤ  ドレヤシラセテヤラウ  オレモアマリヨイ月ヂヤニヨツテ  モシワセモセウカトマタヌデモナイニ
月夜よしよゝしは。月夜よし月夜よしと重ねたる詞なるを。はぶきたるもの也。東屋のまやのと云るも。同じ格にて。東屋の東屋のとかさねたり。こてふはこよといふなり。こんといふにはあらず。こよをといふは常なり。こんをとのみいへる例なし。すべて此の歌。諸注みな説き得ず。

693   
  君こずは  ねやへもいらじ  濃紫  我がもとゆひに  霜は置くとも
遠鏡
  君ガコズハイツマデモ閨ヘモハイルマイ  カウシテ外ニ立ツテヽ  髪ヘ霜ガオクト云テモイトヒハセヌ  ヤツハリコヽデ待テ居ヤウ

694   
  宮城野の  もとあらの小萩  露を重み  風を待つごと  君をこそ待て
遠鏡
  宮城野ノ本アラノ小萩ノ露ガ重サニ風ノフイテクルノヲ待ツヤウニサ  ワシハ君ヲマツワイノ
本あらは。本だちのしげからず。あら/\生たる也。さる故になびきやすくて。ことに露のおもきよしなり。こ萩のは。小菅小柴などの類の小也。木萩にはあらず。又小はつけていふ詞のみにて。ちひさきをいふにもあらず。

695   
  あな恋し  今も見てしか  山がつの  かきほにさける  大和撫子
遠鏡
  アヽヽ恋シイ  ドウゾ今モ逢タイモノヂヤ  山中ノ家ノ垣ニヨウ咲テアルアノヤマトナデシコノヤウナカアイラシイソノコニサ

696   
  津の国の  なには思はず  山しろの  とはにあひ見む  ことをのみこそ
遠鏡
  何コトモホカノコトハ思ヒハセヌ  タヾ逢ヒタイ/\ト  ソレバツカリヲサ  ジヤウヂウワシヤ思フテ居ルワイ
とはには。あひ見んへかゝれるにはあらず。とはに思ふといふ意なり。上の思はずといふを下へひゞかせて。思ふといふことをしらせたり。

697   
  敷島や  大和にはあらぬ  唐衣  ころもへずして  あふよしもがな
遠鏡
  ドウゾアヒナシニ又アウヤウニシタイコトヂヤ

698   
  恋しとは  たが名づけけむ  ことならむ  死ぬとぞただに  言ふべかりける
遠鏡
  恋シイナドヽ云名ハ  ダレガツケタコトヂヤヤラ  ソンナマハリドホイ名デイハウヨリハ  ナニガナシニ  死ヌルトサスグニ云タガヨイワイ  キツウ恋シウ思フトキニハ実ニ死ヌルヤウナワサテ

699   
  み吉野の  大川のべの  藤波の  なみに思はば  我が恋めやは
遠鏡
  一トホリニ思フコトナラ  ワシガ此ノヤウニコヒシタハウカイ  一トホリノコトデハナイワイナ

700   
  かく恋ひむ  ものとは我も  思ひにき  心のうらぞ  まさしかりける
遠鏡
  サイシヨカラサ  後ニハコノヤウニ恋シカラウモノヂヤトハ  ワシモ思フタコトヂヤ  サイシヨノワシガ心ノウラナヒガヨウ合タワイナ

701   
  天の原  ふみとどろかし  なる神も  思ふなかをば  さくるものかは
遠鏡
  神ナリト云フモノハ  ヨニオソロシイ  何ンデモタマラヌ  ケシカラヌイキホヒナモノヂヤケレド  ソレデモ人ノ思ヒアウタ中ヲバトホノケルモノカイ  ソンナカミナリサヘトホノケハセヌコトナレバ  タトヒ何ゴトガアツタトテモ  ノクコトデハナイワシヤ

702   
  梓弓  ひき野のつづら  末つひに  我が思ふ人に  ことのしげけむ
遠鏡
  末テハドウゾ  ミガ此ノヤウニ思フ人ニ  名ガ立テ  イロ/\トウハサガシゲウナルデアラウ

703   
  夏引きの  手引きの糸を  くりかへし  ことしげくとも  絶えむと思ふな
遠鏡
  タトヒ世間ノウハサハドノヤウニシゲウゴザリマセウトモ  イツマデモワタシヲ絶ウトハ  思召テ下サリマスナ
くりかへしとは長くつゞきて。たえきれざる意にいへる也。
>> 「絶ウトハ」は「キラウトハ」と振ってある。

704   
  里人の  ことは夏野の  しげくとも  枯れ行く君に  あはざらめやは
遠鏡
  人ノウハサヲハヾカツテ  君ハトホノイテイクガ  在所デノウワサハ  タトヒ夏ノ野ノ草ホドシゲクトモ  オレガ逢ズニ居ヤウカ  コレカラトテモアハズニハオクマイ
余材の説くだ/\し打聞きこえず

余材
  萬葉に里人とよめるはおほくの人の心也かれ行とは夏野といふよりよそへていへり人言の夏のゝ草のことくしけきによりてかれ行君なれはその夏のことくなる人言に時ありてやむへければうつりかはりて又あはすあらめやあふ時あらむとなり古歌のすかたなり...

打聴
  今やかれゆく方になる共あはざらめやよし人はいひさわぐとも今逢ずばつひにたえんぞとの心也夏野の茂くともとは夏野の草の如くしげく人のいひさわぐと云也

705   
  かずかずに  思ひ思はず  とひがたみ  身を知る雨は  降りぞまされる
遠鏡
  ワシガコトヲ  シンセツニ思召テ下サルヤラサウモナイヤラ  ソコノホドハドウモキヽタダシガタサニコヨヒノ雨デソレヲ考ヘテ見テ  ソレデワシガ身ノ仕合セ不仕合セモシレルヂヤガ  ソノ雨ハサ  此ノヤウニ段々ト大ブリニナリマス  コレデワシガ不仕合セモシレタヂヤワイナ  コノ雨デワシガ身ノ仕合不仕合ヲ知ルト申スワケハ  マアタヾ今ノ御文ノ通リナレバ  此ノ雨ガ止ンダナラ御出ガアラウシ  ヤツハリフツタラ御出ハアルマイヂヤ  スレヤコノ雨ハワシガ身ノ仕合不仕合ノシレル雨ヂヤワサテ
かず/\にと云詞。諸説みなあたらず。これは俗言に深切にといふにあたれり。そはまづ数々とは物の多きをいふ言なり。さて古歌に。「わが恋によむともつきじ云々など。恋の数おほきよしをつねによみ。又おもひのしげきよしをいふ。多きしげきは。恋る心の深く切なるをいへり。これにてかず/\にをもさとるべし。こゝの外にも。此の詞をよめる古歌ども。みなこの意なり。考へあはせて知るべし。

706   
  おほぬさの  ひくてあまたに  なりぬれば  思へどえこそ  たのまざりけれ
遠鏡
  祓ノ時ニ大ヌサヲアマタノ人ガ手ン手ニ引クヤウニ  オマヘハ近イコロハ方方カラヒツハル所ガ多ウナツタレバ  思ヒハスルケレドモ  ワシハドウモオマヘヲ頼ミニハサ  エイタサヌワイナ

707   
  おほぬさと  名にこそたてれ  流れても  つひによる瀬は  ありてふものを
遠鏡
  サアワシハソノヤウニ引ク人ガ多イ大ヌサヂヤト  名ニコソ立ラレタレ  ソノ大ヌサハ川ヘ流レテハユクケレド  ドコゾデハ流レテヨル所ノ瀬ハアルト云フノニ  アンマリソノヤウニ大ヌサヂヤ/\ト云テ下サルナ  ワシヂヤトテ末デハトウデヨル所ガナウテハサ  ソノヨル所ハオマヘヨリ外ニアロウカイノ

708   
  須磨の海人の  塩やく煙  風をいたみ  思はぬ方に  たなびきにけり
遠鏡
  スマノ浦ノアマノ塩ヲヤク煙ガ風ノツヨサニワキノ方ヘナビイテイクヤウニ  ワシガ思フ人モ  思ヒモヨラヌ人ノ方ヘナビイテイタワイノ

709   
  玉かづら  はふ木あまたに  なりぬれば  絶えぬ心の  うれしげもなし
遠鏡
  オマヘハテウド  カヅラノアノ木ヘモ此ノ木ヘモハヒカヽルヤウニ  アチコチト御通ヒナサル所ガ方々ニデケタレバ  ワシガ方ヲタエハナサライデモ  ソノタエヌ御心ガナンノウレシイコトモナイ

710   
  たが里に  夜がれをしてか  郭公  ただここにしも  寝たる声する
遠鏡
  夜中ニアレ時鳥ガツイコヽデサ  鳴ク声ガスル  イツモトマル里ハドコノ里カシラヌガソノ里ヲバ今夜ハトマルノヲ一夜カヽシテ  メヅラシイコチノ庭デ寝タトミエル  アソコデネテヰテナク声ヂヤ
これはたゞ時鳥の歌なるを。こゝに入たるは誤なるべし。恋のたとへとしては。ねたる声するといへることを聞えがたし。然るを恋の意に注したるは。しひごとなり。菅家万葉には夏の歌とし。六帖にもほとゝぎすの歌とせり。

711   
  いで人は  ことのみぞよき  月草の  うつし心は  色ことにして
遠鏡
  イヤモウ人ト云モノハ  口バツカリナモノヂヤ  ウツリヤスイ心ハ  口トハキツイチガヒデサ

712   
  いつはりの  なき世なりせば  いかばかり  人の言の葉  うれしからまし
遠鏡
  誰デモ口デハ嬉シイコトヲ云テクレルケレド  皆ウソデ  ネカラ頼ミニハナラヌガ  ウソ云フコトノ無イ世ノ中デアラウナラ  人ノ云テクレルコトガ  ドレホドウレシイコトデアラウゾ

713   
  いつはりと  思ふものから  今さらに  たがまことをか  我はたのまむ
遠鏡
  ウソヂヤガトハ思ヒナラガモ  コレマデ頼ミニ思フテ居ル人ノ云フコトナレヤワシヤヤツハリソレヲ頼ミニ思フテ居ルワイノ  タトヒ外ニマコトナ人ガアツタトテモ  今サラ心ヲウツシテ  誰ヲタノミニハセウゾイノ  ワシヤトツトサウ云心ハナイ

714   
  秋風に  山の木の葉の  うつろへば  人の心も  いかがとぞ思ふ
遠鏡
  此ノゴロノ秋ノ風ニ山ノ木ノ葉ノ色ガカハツテチツテイクヲ見レバ  人ノ心モドウアラウゾ  カハリハスマイカトサ  キヅカヒニ思ハル

715   
  蝉の声  聞けばかなしな  夏衣  薄くや人の  ならむと思へば
遠鏡
  蝉ノナク声ヲキケバ  モウオツツケ秋ガ近イト思ヘバ  頼ミニ思フ人ノ心モ秋風ガタツテ  心ザシガ  此ノ節ノ夏衣ノヤウニウスウナルデアラウカト  思フノデカナシイワイノ
余材あまりくだ/\し。夏衣といへるは。蝉の羽衣の縁をかねて。たゞうすくといはん料の枕詞のみなり。打聞説ニの句にかなはず。

余材
  ...五月蝉声送来秋とも詩につくりたれとまさしくは六月節のころよりなけは夏衣のうすさもおほえて秋風さむくなる事もほとなけれは蝉のこゑにおとろきて時節の変改する事を思ふに付て人の心もかはりてうすくやならんとおもふ故に悲しき也蝉の羽衣ともよめは夏衣とはそのよせ有か右の素性歌よりも上にあるへきを次の歌空蝉のことはにつゝけんとてこゝにはおける成へし

打聴
  上は薄くやといはん為に時節の物をもてつゞけなせるのみ也蝉は六月の節たてば鳴物故に夏衣の薄さもおぼえて秋風さむくなるもほどなければ時節の変改する事を思ふなべに人の心もうすくやならんと思ふには此声を聞が悲しき也と云は入過るたる説なるべし

716   
  空蝉の  世の人ごとの  しげければ  忘れぬものの  かれぬべらなり
遠鏡
  世間ノ人ノウワサガシゲヽレバ  ワシヲ忘レハセヌナガラ  オノヅカラトホノクノデアラウト思ハルヽ  又人ヲワスレハセヌナガラ  オノヅカラトホノクノデアラウト思ハルヽ

717   
  あかでこそ  思はむなかは  離れなめ  そをだにのちの  忘れ形見に
遠鏡
  思フ中ナラ  タガヒニアキノコヌウチニサ  ハナレテシマハウコトヂヤ  ドウシテモ久シウナレバ  アキノクルナラヒナレバ  セメテ今此タガヒニアカヌトコロヲナリトモ  後々ノ思ヒダシグサニシテサ  ハヤアキガキテカラハナレテハ  何ンニモ思ヒダシグサモナイワサテ
余材わすれがたみの説わろし。

余材
  ...忘れかたみとは顕注にわすれかたしといふ詞をやかて人の形見にといひつゝけてそへたる也とあれといかゝと見ゆ又或抄にわすれて後のかたみなりといへるもかなへりとも聞えす形見をみて心をなくさめて憂を忘なれはわすれかたみとはいふ也...

718   
  忘れなむと  思ふ心の  つくからに  ありしよりけに  まづぞ恋しき
遠鏡
  コチノ思フヤウニモナイ人ヲ思フテ此ヤウニ心ヲ苦シメウヨリハ  ワスレテシマハウゾト思ヘバ  又ドウヤラ心ボソウナツテ  今マデヨリハナホキツウカナシイ  サウ思フ心ガツクカラシテ  ハヤマア  此ヤウニカナシウテハ  トテモワスレテシマハルヽコトデハナイ
(千秋云。もじは。ニの句へつくべし。)

719   
  忘れなむ  我をうらむな  郭公  人の秋には  あはむともせず
遠鏡
  ワスレテシマハウト思フガ必ズオレヲ恨ムナヨ  時鳥ノ秋ニナラヌサキニ早ウドコヘカ  インデシマウヤウニ  オレモ人ノ秋風ニハアハウトハ思ハヌ
(千秋云。ニの句にてよみ切て。三の句は下へつゞけてよむべし。)

720   
  絶えずゆく  飛鳥の川の  よどみなば  心あるとや  人の思はむ
遠鏡
  タヘズ流レテツヒニヨドンダコトノナイ  此ノ飛鳥川ノヨドンダヤウニ  オレガモシタマ/\サシツカヘデモアツテ  通ハヌコトガアツタラ  ナンゾ心ニシナノアルヤウニカノ人ガ思フデカナアラウ
四の句。一本に心あるとやとあるにつきて。田中道まろが。心あるごとやの。もじのおちたるならんといへる。まことにさること也。此の歌ふるきすがたなれば必しかるべし萬葉の歌の例みなしか也。あるとやにては。語とゝのはず。

721   
  淀川の  よどむと人は  見るらめど  流れて深き  心あるものを
遠鏡
  此間ワシガエイカヌヲ  川ノヨドンダヤウニ  ナンゾトヾコホリガアルト思フテアラウケレドモ  ワシヤ末長ウイツマデモト思フ深イ心ヂヤモノナンノトヾコホリガアロゾイ

722   
  そこひなき  淵やは騒ぐ  山川の  浅き瀬にこそ  あだ浪はたて
遠鏡
  山ノ川ノ浅イ瀬コソザワ/\ト浪ハタツモノナレ  底ノナイヤウナ深イ淵ガサワグモノカ  深イ淵ハケツクサワギハセヌ  テウドソンナモノデ  シンヂツニ深ウ思フ人ハ口ヘダシテ何ントモイヒハセヌ  シンジツラシウナンノカノト云ノハソレヤケツク心ノ浅イアダ浪ヂヤ

723   
  紅の  初花染めの  色深く  思ひし心  我忘れめや
遠鏡
  サイシヨカラ深ウ思ヒソメタ心ヲ  ドンナコトガアツタトテワスレウカワシヤ  イツマデモ  忘レルコトデハナイ

724   
  陸奥の  しのぶもぢずり  誰ゆゑに  乱れむと思ふ  我ならなくに
遠鏡
  タレユヱニ外ヘ心ヲチラサウゾ  オマヘヨリ外ニ心ヲチラスワシヂヤナイゾヱ
しのぶもじずりの説。顕注よろし。打聞わろし。
>> 余材から顕注の引用部を引くと次の通り。

余材
  ...顕注陸奥国の信夫郡にもちすりとてかみをみたしたるやうにすりたるをしのふもちすりといふ...

打聴
  是は陸奥に信夫[シノブ]郡と云がある故にしのぶ草といはん冠にみちのくといひしのみさてしのぶ草もて衣を摺もとろかしたるは乱れたる物故にそれを心の一すぢならず乱るゝにいへり一度契おきしにはたとひいかなる誰にもその人に乱んとおもふ我にはあらずと也...

725   
  思ふより  いかにせよとか  秋風に  なびくあさぢの  色ことになる
遠鏡
  ワシハコレホドニ深ウ思フニマダ此ウヘヲドウセイト云コトデ  人ハ心ガハリノシタコトゾ  コレホドニ思フ此ノウヘハモウドウモ  シヤウガナイ

726   
  ちぢの色に  うつろふらめど  知らなくに  心し秋の  もみぢならねば
遠鏡
  人ノ心ハアチヤコチヤイロ/\ニウツルデアラウケレド  心ハ紅葉ノヤウニ色ノ見エルモノデハナケレバ  ウツロウノガシレヌ
余材はじめの説わろし。打聞よろし。

余材
  ...人の心はちゝの色にこそうつろふらめとわか心はうつろはんやうをしらぬとなり秋にあく心をそへたり或抄には人の心の秋の紅葉のことく上にみえねはいろ/\うつろふへけれとしられすといふ人をいふはわかうつろふこゝろなきをいはんため也

打聴
  是は人の心ぞいろ/\にうつりかはるらんなれど其心は秋の紅葉の如く色に出て見えねばしられぬと云也小町が色見えでうつろふものはよの中の人の心の花にぞ有けると云歌の類也

727   
  海人の住む  里のしるべに  あらなくに  うらみむとのみ  人の言ふらむ
遠鏡
  海辺ノアマノスム里ノ案内者ニコソ  浦ヲ見ヤウトハ云ハウハズノコトナレ  ワシハソンナ  浦ノ案内者デモナイニ  ドウ云コトデ  ウラミヲ云ハウ  ウラミヲ  云ハウバツカリヒタモノ人ノイフコトヤラ

728   
  曇り日の  影としなれる  我なれば  目にこそ見えね  身をば離れず
遠鏡
  ソラノクモツタ日ニハ  人ノ影ノアツテモ  見エヌヤウナモノデ  ソレト目ニ見エコソセネ  ワシハ恋ニヤセホソツテ  此ヤウニ影ノヤウニナルホド思フコトナレバ  人ノ影ノ身ヲハナレヌヤウニ  心ハジヤウヂウ  思フ人ノ身ヲハナレハセヌ

729   
  色もなき  心を人に  染めしより  うつろはむとは  思ほえなくに
遠鏡
  色ノアルモノナレバコソ  ウツロウテカハリモセウケレ  人ノ心ハ色ハナイモノナレバ  ソノ色モナイワシガ心ガ  カノ人ニシミコンダカラハ  イツマデモカハラウトハ思ハレヌ

730   
  めづらしき  人を見むとや  しかもせぬ  我が下紐の  とけ渡るらむ
遠鏡
  久シウアハヌメヅラシイ人ニアハウトテヤラ  サウシモセヌノニ  ワシガ下紐ガコノゴロハ度々ヨウトケル
(千秋云。訳にサウシモセヌノニとあるは。即ち下紐をときもせぬにといふこと也。)

731   
  かげろふの  それかあらぬか  春雨の  降る日となれば  袖ぞ濡れぬる
遠鏡
  サウカサウデハナイカ  モウ見ワスレタクラヰヂヤ  サテモ/\久シウアハナンダ人ヲ見レバ  イゼンノコトガ思ヒダサレテ  涙ガサコボレル
四の句。六帖また顕昭本に。ふる人見ればとあるぞよろしき
(千秋云。此の集のなればゝ。にうつし誤れるなり。と似たり。)

732   
  堀江こぐ  棚なし小舟  こぎかへり  同じ人にや  恋ひ渡りなむ
遠鏡
  堀江ヲ往来スル小船ノ  イク度モ同ジ川筋ヲノボリ下リスルヤウニ  ワシハマヘ方ノ同ジ人ヲ  又タチモドリ/\  此ヤウニイツマデコヒシタウコトヤラ

733   
  わたつみと  荒れにし床を  今さらに  はらはば袖や  泡と浮きなむ
遠鏡
  ワシガ床ハ  久シウウチタエテ思フ人ト逢テ寝タコトモナイユヱ  カナシサニ涙ハ海ノヤウデ  ソノ海ノアレルヤウニアレテシマウタ床ヂヤニ  久シブリデ又今サラ  ソノ人ニアフヂヤトテ  ソノ床ノツモツタ塵ヲ  袖デハラウタナラ海ヘ沫ノウクヤウニワシガ袖ガ涙ニウクデアラウ

734   
  いにしへに  なほ立ち返る  心かな  恋しきことに  もの忘れせで
遠鏡
  今デモヤツハリ昔ニ立カヘツテ  マヘ方ノ人ガ恋シイ  サテモ/\物ワスレセヌ心カナ  ドウゾ此ノヤウニ恋シイコトニ物ワスレヲシテ  マヘ方ノ人ヲバドウゾ忘レテシマハイデ

735   
  思ひいでて  恋しき時は  初雁の  なきて渡ると  人知るらめや
遠鏡
  思ヒダシテ恋シイトキハ  アノ雁ノ鳴テワタルヤウニ  我モ此ノトホリニ此門ヲ泣テトホルト云コトヲ  コノ家ノ内ノ思フ人ハ知ウカヤ  カウヂヤトハシリハスマイ

736   
  たのめこし  言の葉今は  かへしてむ  我が身ふるれば  置きどころなし
遠鏡
  コレマデイロ/\ト末タノモシサウニ  オツシヤツテ下サレタ御文ドモモウ御モドシ申シマセウゾ  ワタシガ身ガコノヤウニアカレテシマウタレバ  今デハモウ此ヤウナ御文ナドハ  此ノ方ニオキドコガゴザリマセヌ
ふるればは。ふるさるれば也。ふりぬればとは異なり。

737   
  今はとて  かへす言の葉  拾ひおきて  おのがものから  形見とや見む
遠鏡
  モウハト云テカヘシオコサレタ此ノ文ヲ  ヒロウテトツテオイテ  モト自分ノ物ナガラモ  ソナタノ形見ヂヤト  思フテ見マセウカイ

738   
  玉ぼこの  道はつねにも  惑はなむ  人をとふとも  我かと思はむ
遠鏡
  オマヘハ今デハ  毎夜御通ヒナサル所ガ外ニアルヂヤガ  タマ/\今夜コレヘ御出下サレタハ  定メテ道ヲトリチガヘナサツタデアラウヂヤケレドモ  コノウヘトテモ  イツデモコヨヒノヤウニドウゾ  道ヲトリチガヘテ御出下サレバヨゴザリマス  ソシタラ余ノ人ノ所ヘ御出ナサルノデモ  実ニワタシガ所ヘ御出下サレタノカト思ヒマセウワサテ

739   
  待てと言はば  寝てもゆかなむ  しひて行く  駒のあし折れ  前の棚橋
遠鏡
  マアシバラクト申スカラニハ  コヨヒハ  トマツテモインデ下サレカシ  ソレニナンゾヤトリイソイデ  トツカハトイナシヤルハ  サテモ/\キコエマセヌ  カウシテフリモギツテイナシヤルヘ  アノオ人ノ馬ノ足ヲツマヅカシテコケサシテクレイ門ノ前ナ溝ノ橋ヨコリヤ
(千秋云。訳のはてに。コリヤといふ詞をそへられたるおもしろし。さる勢ある歌也。さて此の歌俳諧の類なり。)

740   
  あふ坂の  ゆふつけ鳥に  あらばこそ  君がゆききを  なくなくも見め
遠鏡
  ワシガ身モ  相坂ノ関ニハナシテアル庭鳥ナラバ  ナキ/\モセメテハオマヘノ近江ヘ御通ヒナサルノヲナリトモ見ヤウケレ  ワシハサウシテ御往来ナサルノヲ見ルコトサヘナラヌガカナシイワイノ

741   
  ふるさとに  あらぬものから  我がために  人の心の  荒れて見ゆらむ
遠鏡
  故郷コソアレテ見ユルモノナレ  ワシガ思フ人ノ心ハ  故郷デナケレドモワシガタメニ此ノヤウニアレテウト/\シウナツタハドウ云コトヤラ
余材打聞わろし。見ゆといへるは。古里のあれて見ゆるかたにいへる詞なり人のこゝろの方へかけては見べからず。

余材
  萬葉にあらふる妹ともよみまた放鳥あらひなゆきそとよめるもあるゝにおなしすさましきまて人の心のかはりゆくを故郷によせてよめり

打聴
  是は凄しきまて人の心のかはりしをふるさとによせてあれるとそいへり

742   
  山がつの  かきほにはへる  あをつづら  人はくれども  ことづてもなし
遠鏡
  思フ人ノ所カラ此ノアタリヘ  人ハ度々来ルケレドモ  ワシガ方ヘト云テハネカラコトツテモナイ
上句はたゞくるの序なり

743   
  大空は  恋しき人の  形見かは  物思ふごとに  ながめらるらむ
遠鏡
  空ハ  恋シイ人ノ形見カイ  カタミデモナンデモナイニ  ドウ云コトデ恋シフ思フタビゴトニ  コノヤウニナガメラルヽコトヤラ

744   
  あふまでの  形見も我は  何せむに  見ても心の  なぐさまなくに
遠鏡
  又アフマデノ形見ノモノモ  ナニヽセウゾ  ヤクニタヽヌ物ヂヤ  コレヲ見テモオレハ  恋シウ思フ心ガ  ネエカラヤスマルコトモナイ

745   
  あふまでの  形見とてこそ  とどめけめ  涙に浮ぶ  藻屑なりけり
遠鏡
  コノ裳ヲノコシテオカシヤツタハ  定メテマタ逢フマデノ形見ニ見ヨトイフ御心デコソゴザラウガ  コレヲ見レバ  オマヘノコトガ思ヒダサレテ  涙ガナガレテサ  海ノ浪ニウク藻屑ノヤウニ  涙ニウク裳ジヤワイノ

746   
  形見こそ  今はあたなれ  これなくは  忘るる時も  あらましものを
遠鏡
  形見ハサ  ケツク今デハモウ  ニクイカタキヂヤワイノ  コレガナクハ  ヲリニハ又ワスレテヰルトキモアラウ物ヲ  コノ形見ガアルユヱ  見テハ思ヒダシ/\シバシノマモワスレラレヌ

( 2004/03/07 )   
 
<<  1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  >>