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       題しらず 凡河内躬恒  
1015   
   むつごとも  まだつきなくに  明けぬめり  いづらは秋の  長してふ夜は
          
     
  • むつごと ・・・ 寝床の中での男女の会話 (睦言)
  • いづら ・・・ さあ、どこに
  
睦言もまだ尽きないのに夜が明けてしまったようだ、いったいどこに行ったのか、長いと言われる秋の夜は、という歌。 「秋の夜」ということで 「つきなくに」に 「月が無い」ということを掛けているようである。 「月なし」ということでは同じ誹諧歌に分類されている 1048番の平中興(なかき)の「夜深からでは 月なかりけり」という歌が思い出される。そちらの 「つきなし」は 「手だてがない」ということである。

  "明けぬめり" の「めり」は推量の助動詞で、視覚からの推測を表わしたり、婉曲に「〜である」ということを言うために使われる。ここでは 「明けてしまったようだ」ということ。この 「めり」を使った歌には次のようなものがある。

 
     
283番    竜田川 もみぢ乱れて  流るめり  読人知らず
459番    浪の花 沖から咲きて  散りくめり  伊勢
946番    世の中は 浪の騒ぎに  風ぞしくめる  布留今道
1015番    むつごとも まだつきなくに  明けぬめり  凡河内躬恒


 
       "いづら" という言葉は 874番の藤原敏行の歌や 943番の読人知らずの歌でも使われているが、 
"むつごと" という言葉はこの歌でしか使われていない。 "まだつきなくに" で使われている逆接の「なくに」については、19番の歌のページを参照。 "長してふ" の 「〜てふ」という表現を持った歌の一覧は 36番の歌のページを参照。

  「秋の夜は長いと言われるがそうでもない」という歌としては、恋歌三に次の小野小町の歌と躬恒の歌が並べられている。

 
635   
   秋の夜も    名のみなりけり   あふといへば  ことぞともなく  明けぬるものを
     
636   
   長しとも    思ひぞはてぬ   昔より  あふ人からの  秋の夜なれば
     
        また、この誹諧歌は、上記の 636番の歌のページにも引いた万葉集・巻十2303の「秋の夜を 長しと言へど 積もりにし 恋を尽せば 短くありけり」という歌を俗っぽく崩したような感じでもある。

 
( 2001/10/25 )   
(改 2004/02/18 )   
 
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