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       題しらず 紀有朋  
1029   
   あひ見まく  星は数なく  ありながら  人に月なみ  惑ひこそすれ
          
        逢いたい気持ちは無数にあるのですが、逢う手だてがないので、惑うばかりです、という歌。 
「星」と 「月」を詠み込んで、暗い夜に惑うイメージに仕立てている。

  「見まくほし(欲し)」は、「逢いたい」ということで、この 「見まくほし」を使った歌の一覧は 620番の歌のページを参照。 「あひ見る」ことを詠った歌の一覧については 97番の歌のページを参照。

  "人に月なみ" の「月なみ」は 「月」という側から見れば、「月+無+み」で、「月がないので」ということ。一方、「人に」という修飾がついている側から見た場合、この 「つき」は 「便宜・手段」という意味の俗語だと言われている。現代でいう、勝負事で 「ツキがある/ない」と言う時の 「ツキ(付き)」と同じ語源か。 「名詞+形容詞の語幹+み」のかたちを持つ歌の一覧は 50番の歌のページを参照。次の小野小町の歌の 「月のなきには」という部分も、「月がない−つきがない」という掛詞を使っている。この 「つき」を使った歌の一覧は 1048番の歌のページを参照。

 
1030   
   人にあはむ  月のなきには   思ひおきて  胸はしり火に  心やけをり
     
        "惑ひこそすれ" の 「こそすれ」は 「こそ+すれ」で、強調の助詞「こそ」+サ変の一語の動詞「為(す)」の已然形。強調により 「〜だけれど」という逆接的なニュアンスを表すことも多い。次のような歌で使われている。

 
181   
   今宵こむ  人にはあはじ  七夕の  久しきほどに  待ちもこそすれ  
     
537   
   あふ坂の  関に流るる  岩清水  言はで心に  思ひこそすれ  
     
        「こそすれ」という言葉を使った歌をまとめなおしておくと次の通り。このうち 296番の忠岑の歌は 「心地+す」の間に 「こそ」が入ったかたちで、他のものとは少しパターンが異なっている。

 
     
181番    久しきほどに  待ちもこそすれ  素性法師
296番    錦たちきる  心地こそすれ  壬生忠岑
537番    言はで心に  思ひこそすれ  読人知らず
1029番    人に月なみ  惑ひこそすれ  紀有朋


 
        また、七夕の 「彦星」を除けば、古今和歌集に 「星」が出てくる歌は、この歌以外では次の藤原敏行の歌のみである。

 
269   
   久方の  雲の上にて  見る菊は  天つ星とぞ   あやまたれける
     

( 2001/10/19 )   
(改 2004/03/09 )   
 
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