Top  > 古今和歌集の部屋  > 本居宣長「遠鏡」篇  > 巻十七 雑歌上

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863   
  我が上に  露ぞ置くなる  天の河  と渡る舟の  櫂のしづくか
遠鏡
  ワシガウヘヽコレ空カラ露ガフツテクルハ  コレハナンデモ天ノ川ノ渡シ船ノカイノ雫デアロカイ

864   
  おもふどち  まとゐせる夜は  唐錦  たたまく惜しき  ものにぞありける
遠鏡
  カウ心ノアフタドウシ  ウチヨツテ居ル夜ハ  タツテイヌルノガノコリオホイモノデサゴザルワイ

865   
  うれしきを  何につつまむ  唐衣  袂ゆたかに  たてと言はましを
遠鏡
  此ノマアウレシイノヲ  何ニツヽマウゾ  此ヤウナ嬉シイコトガアラウトシツタラ  キルモノヽ袖ヲマソツト  ユツクリトタテト云ハウデアツタモノヲ  此キツイウレシサガコンナセバイ袖ヘハ中々ツヽマレルコトデハナイ

866   
  かぎりなき  君がためにと  折る花は  時しもわかぬ  ものにぞありける
遠鏡
  御命ノカギリモナイ君ニ御目ニカケウト存ジテ折リマスル花ハカヤウニイツト云フ時節ノワカチモナシニ咲クモノデサ  ゴザリマスワイ  君ノ御命ガ限リモナイユヱニ花モ時節ノカギリナシニイツマデモ咲クデゴザリマス

867   
  紫の  ひともとゆゑに  武蔵野の  草はみながら  あはれとぞ見る
遠鏡
  武蔵野ハ一本ノ紫ヲアハレニ思フ故ニソノ縁デ同ジムサシ野中ノ草ガミナノコラズアハレニサ思ハレル

868   
  紫の  色濃き時は  めもはるに  野なる草木ぞ  別れざりける
遠鏡
  拙者ガ妻ヲ大切ニ存スレバ  ソノユカリノ人ハ誰レデモミナサ妻同前ニワケヘダテナシニ大切ニ存ズルワイ

869   
  色なしと  人や見るらむ  昔より  深き心に  染めてしものを
遠鏡
  コレハ白ノ綾ナレバ  ナンニモ色ガナウテ  興ノナイヤウニ  思ハシヤルデガナゴザラウ  吾ハトウカラ貴様ヘキツウ深ウ心ザシテ濃ウ染テオイタ綾デゴザルモノヲ

870   
  日の光  藪しわかねば  いそのかみ  ふりにし里に  花も咲きけり
遠鏡
  御上ノ御メグミハドコマデモユキワタツテテウド日ノ光ノドノヤウナアレタ所デモワケヘダテナシニ御照シナサルヽ通リナレバ  久シウ引籠ツテゴザツテ御沙汰モナカツタ貴様モ  此ノ度ケツカウニ仰付ラレテ  マコトニ花ガ咲マシタワイ  マヅ目出度ウゴザル

871   
  大原や  をしほの山も  今日こそは  神世のことも  思ひいづらめ
遠鏡
  カヤウニ御子孫ノ藤原氏ノ御息所ノ東宮ノ御母儀トシテ御参詣ノアルナレバ  此ノ大原野ノ御神モ  カノ神代ニ天照大神ノ此ノ神ヘ勅定ノアラセラレタ御事モ  今日コソ思召シ出サレテ御満足ニ思召スデゴザラウ
此の歌の説。打聞よろし。

打聴
  こは小塩山にいはふ神は藤氏の祖神にて神代の神なればけふの詣給ふよそほひを見そなはしても神代の事も思し出らめといへるのみにていとやすらかにめでたき歌也然をいせ物語のつくり事を宗として今を説[トク]はひがこと也其外さま/゛\の説あれど皆とるにたらず

872   
  天つ風  雲のかよひぢ  吹きとぢよ  乙女の姿  しばしとどめむ
遠鏡
  アノ天女ノ舞ノスガタガ  キツウ面白イコトデ残リオホイニ  空ヲフク風ヨ  アノ天女ガ雲ノ中ヲ通リテ天ヘイヌル道ヲ吹トヂテイナレヌヤウニシテクレイソシタラモウシバラク留メテオイテ  マソツトアノ舞ヲ見ヤウニ
余材に。風雲ともにうきたる物なれば云々の説は。くだ/\し。

余材
  風は天よりおこるものなれは天津かせと云津は例のことはなり雲のかよひちも空の名也それを天女のおりのほる道にかけたり只今まひはてゝ天上にかへらんとするを人のちからにてとゝむへき様なけれは風にあつらへいふ心也雲をは風のこゝろにまかする故也雲のかよひち吹とちたらは天上への道をうしなひて今しはし下地にとゝまるへししはしかほとも猶其姿をみんといへる也もとより風雲共にうきたるものなれは久しく吹とつへきものにはあらすよりてしはしとよめる詞よくかなへり...

873   
  主や誰  問へど白玉  言はなくに  さらばなべてや  あはれと思はむ
遠鏡
  此ノ玉ノ主ハタレヂヤトトヘドモ  ミナワシヤシラヌ/\ト云テ  タレモワシガノヂヤト云モノモナシ誰ガノヂヤト云モノモナイニ  ソンナラ夕ノ舞姫ヲバ誰ト云コトナシニ惣々フアヽハレイトシヤト思フテヤロカイ
上句又  主シハ誰レヂヤト玉ニトヘドモイハヌニ

874   
  玉だれの  こがめやいづら  こよろぎの  磯の浪わけ  沖にいでにけり
遠鏡
  サキノ小亀ハドコヘイタゾ  催馬楽ニ玉ダレノ小瓶ヲ中ニスヱテ肴求メニコヨロギノ磯ニトアルガ  コチノ小亀モコヨロギノ磯ノ浪ヲ分テ沖ヘ出タワイ  御前ヘサ
玉だれの小がめ。諸説みなわろし。打聞よろし。
(千秋云。留りのけりは。けんをうつし誤れるにやと。田中道まろがいへるさもあるべし。)

打聴
  此小瓶[ヲガメ]は大御酒のおろしをとてそこ達のもとにこそ乞につかはしけれすゞろに奥深く出すべき物にあらぬをと云をかめと云より海のよせもて奥の御前を海の奥[ヲキ]にとりなしてかゝる小がめの海原に出べくもあらぬをと云也小瓶を小亀になしていへりこよろぎは相模の国の名所也こゆるぎとも後にはいへり玉簾の小簾[ヲス]玉だれの越[ヲチ]の大野なども玉簾の緒とつゞけたる冠辞也今も小瓶と書てをがめと読けんを後には小簾[ヲス]を鈎簾[コス]也とこゝろあやまりてこがめとよみかへし成べし猶冠辞考に委しくいへりいにしへ大をばおほ小はをと唱へし也

875   
  かたちこそ  み山隠れの  朽ち木なれ  心は花に  なさばなりなむ
遠鏡
  女中タチメツタニワシヲ  笑ハシヤルガ  コノ通リ形コソ深山ガオクノ朽木ノヤウナレ  ワシモ花ニセウナラ  心ハ花ニモナラウワサ

876   
  蝉の羽の  夜の衣は  薄けれど  移り香濃くも  匂ひぬるかな
遠鏡
  ユフベオカリ申シタ此ノ衣ハ時節ナレバウスウハゴザルケレドモ  ウツリカヾサテモマア濃ウニホヒマスルコトカナ  オタシナミノホド感心致シタ
余材わろし。打聞よろし。

余材
  ...蝉のはの夜の衣とはかのあるしまつしかりけると見えていたりてうすき心なり...うつりかこきは芳心のふかきを添たりまつしきをあはれみて心ある事をほめたり

打聴
  此時夏なるべし其夜上に着る衣をかしたるがそれは薄けれど移香は濃きといひて其人がらをほむる也

877   
  遅くいづる  月にもあるかな  あしひきの  山のあなたも  惜しむべらなり
遠鏡
  サテモ/\マアオソウ出ル月デゴザルコトカナ  コレハナンデモ  コチラデ此ノヤウニ待ツトホリニ  アノ東ナ山ノアチラデモ  山ヘ入ルノヲ人ガ皆惜ムト見エマス  ソレデコチラヘ  エ出テコヌデアラウ

878   
  我が心  なぐさめかねつ  更級や  をばすて山に  照る月を見て
遠鏡
  今夜此ノヲバステ山デ月ヲ見レバサテ/\サヤカナ月デ見テ居レバドコトモナウ物カナシウナツテキテ  ワシハドウモ心ガハラサレヌ
此の歌。をばすてといふ。山の名にかゝはることにあらず。又所がらにもかゝはらず。所はいづこにても同し事にて。歌の意はたゞ「月見ればちゞに物こそかなしけれ。などいへるたぐひなるを。たま/\をばすて山にて見たる時によめるのみなり

879   
  おほかたは  月をもめでじ  これぞこの  つもれば人の  老いとなるもの
遠鏡
  タイガイナコトナラ  モウ月モアマリ  賞翫スマイゾ  コノ見ル月ガサ  アノダン/\トツモレバ  人ノ年ノヨル年月ノ月ヂヤ
すべてこれぞこのといふ詞は。俗語にコレガアノ云々ヂヤといふ意なり。このかのゝ意なり。この外にも雅言には。かのといふべきことを。このといへる例多し。打聞に。初句。大かたとある本をとりて。はあしきよしあるはいかゞ

打聴
  是は大方はと有に付ていはゞ大テイならば月をも愛まじ此めづる影のつもりては即年月の月と成てそれが身の老となる物をと打なげきたる也これを真字伊勢物語には大方と有にていはゞ常に見る月を大方のといひさてそれがつもりてはつひに身につもれる年月の月となるといへるなり今の大かたはと有にては下にかけて見る時むつかしく且明らかに説得がたく古意ならぬ所あり仍て思ふに伊勢物語に大かたはと写誤りしを古本もて正しもせずかへりて今をも其方に引直せし後のしわざとおぼゆこれぞ此は何にても語同じくて心異なる物をいひつゞけて曲[フシ]をなす詞也此詞はいづれの歌も其義もて聞ゆ也ものといひとゞめたる歌いにしへ一ニ首ありたゞはかなくいひ捨たる也

880   
  かつ見れば  うとくもあるかな  月影の  いたらぬ里も  あらじと思へば
遠鏡
  月ハカウシテ見テ居ツヽモマア  ウト/\シウ思ハルヽコトカ  コヽバカリデハナシニ  ドコヘモカシコヘモ影ノユカヌ里モアルマイト存ズレバサ  貴様モソンナモノカシラヌ
(千秋云。はじめニ句。見れどかつうとくもある哉の意にて。かつは見るとうときと一つにまじれるにおきたる詞なり。)

881   
  ふたつなき  ものと思ひしを  水底に  山の端ならで  いづる月影
遠鏡
  月ハフタツハナイモノデ  山ノハデナケレバ出ヌモノヂヤト思フタニ  アレ山ノハデナイアノ池ノ水底ヘモ出タ  コレデハ二ツモアルモノト見エル

882   
  天の河  雲のみをにて  はやければ  光とどめず  月ぞ流るる
遠鏡
  天ノ川ハ雲ノ水スヂデ瀬ガ早イニヨツテ  月ノ光ガサ  シバラクモ留ラズニ早ウ流レテユク

883   
  あかずして  月の隠るる  山もとは  あなたおもてぞ  恋しかりける
遠鏡
  マダ見タラヌノニ月ノカクレルソノ山ノフモトデ見テ居レバ月ノ入ルアノ山ノアチラウラヘ行テサ  又見タイワイ

884   
  あかなくに  まだきも月の  隠るるか  山の端逃げて  入れずもあらなむ
遠鏡
  アノ月ハマダ見タラヌニキツウ早ウマアカクレルコトカナ  アノ月ノ隠レル山ガ ワキヘニゲテインデ  月ヲ入レテクレネバヨイニ  カウ云フノハ月ノコトバカリヂヤナイゾヱ

885   
  大空を  照りゆく月し  清ければ  雲隠せども  光けなくに
遠鏡
  空ヲ照テユク月ガ清イニヨツテ  ナンボ雲ガカクシテモドウシテモ光ハキエハセヌハサテ

886   
  いそのかみ  ふるから小野の  もとかしは  もとの心は  忘られなくに
遠鏡
  モトカラノ心ハナンボウデモ  ワスレラレヌモノヂヤ

887   
  いにしへの  野中の清水  ぬるけれど  もとの心を  知る人ぞくむ
遠鏡
  ムカシキツイケツカウナ  清水ヂヤト云テ  名ノ高カツタ野中ノ清水ハ今ハモウナマヌルウナツテアルケレドモ  ソレデモ昔ノコトヲ知テ居ル人ハサ  今デモ汲デノミマス

888   
  いにしへの  しづのをだまき  いやしきも  よきもさかりは  ありしものなり
遠鏡
  ヨイ衆バカリデハナイ  我ラガヤウナ  賤シイ者デモ  一度ハ男ザカリハアツタモノヂヤ

889   
  今こそあれ  我も昔は  男山  さかゆく時も  ありこしものを
遠鏡
  今コソ此ヤウニ年モヨツテビンボウヲスレ  オレモ昔ハイツカドノ男デ  繁昌ニクラシタ時節モアツテキタモノヲ  アヽクチヲシイコトヂヤ

890   
  世の中に  ふりぬるものは  津の国の  長柄の橋と  我となりけり
遠鏡
  ナンデモフルウナツテオトロヘタコトノタトヘニハ津ノ国ノ長柄ノ橋ト云ヂヤガ  世中ニフルウナツテシマウタ物ハ其ノ長柄ノ橋トオレトヂヤワイ

891   
  笹の葉に  降りつむ雪の  うれを重み  もとくだちゆく  我がさかりはも
遠鏡
  笹ノ葉ヘ雪ガツモツテ  末ガオモサニ  本ノ方ガカタムイテユクヤウニ  オレモ此ヤウニダン/\年ガヨツテ  衰ヘテユクガ  昔男ザカリノ時節ハマア  イツノコトデアツタゾイ  ハアヽヽ

892   
  大荒木の  もりの下草  おいぬれば  駒もすさめず  かる人もなし
遠鏡
  大荒木ノ森ノ草モ  キツウタケテカラハ馬モ喰タガラズ  刈ル人モナイガ  人モソンナモノヂヤ  年ガヨツテカラハ  誰デモキラウテヨリツカヌワイ

893   
  かぞふれば  とまらぬものを  年といひて  今年はいたく  老いぞしにける
遠鏡
  シバラクモトマラズニ早ウ過テユク年ヲ  アヽ早ウタツタ/\ト云テハ過ギ云テハ過ギシテ  ソノ年ノ数ヲカズヘテ見レバ  今年ハモウオレモキツウヨイ年ニサ  ナツタワイ
初句は四の句の上につけて心得べし。余材に上の三句引つゞけてよみて心得べしといへるは。誤なり。とまらぬ物とは。早き物といふ意にて年のこと也。

余材
  上の三句引つゝけて読て心得へし年といひては年を疾にかけたり下にとゝめあへすむへも年とはいはれけりといへる心也...

894   
  おしてるや  難波の水に  焼く塩の  からくも我は  老いにけるかな
遠鏡
  アヽヽナンギナオレハマア  キツウ年ガヨツタコトカナ

895   
  老いらくの  来むと知りせば  門さして  なしと答へて  あはざらましを
遠鏡
  此老ト云モノガ  来ウト云コトヲ  トウカラ  知ツタナラ  門ヲサシテオイテ  留守ヂヤト云テ  逢ズニ居ヤウデアツタモノヲ

896   
  さかさまに  年もゆかなむ  とりもあへず  すぐる齢や  ともにかへると
遠鏡
  月日ガドウゾマアサカサマニアトヘユケバヨイニ  ソシタラ  何ンノマアナウツイタツテユク  人聞ノ年モソノ月日トイツシヨニ跡ヘモドツテ又若ウナルデアラウカト思ヘバサ

897   
  とりとむる  ものにしあらねば  年月を  あはれあなうと  すぐしつるかな
遠鏡
  月日ノタツテユクノハトリトメラルヽモノデナケレバ  ドウモセウコトガナサニ  アヽハレ早ウタツタコトカナ  アヽウイコトヤト云テタテヽユクヂヤ

898   
  とどめあへず  むべも年とは  いはれけり  しかもつれなく  すぐる齢か
遠鏡
  トメウト思フテモドウモトメラレイデ  此ノヤウニマア  ヲシムノニ  シラヌカホデ心ヅヨウスカ/\ト年ハ過テユクコトカヤ  トシト云ハレルノハ  モツトモナコトヂヤワイ  トシト云ハ早イト云フコトナレバ
打聞に。句をおきかへて。一四五ニ三と次第して心得べしとあり。よろし。

打聴
  こはとゞめてもとゞめあへぬ物なれば暮行事のとしとは寔によく名付たりと也是も年を疾[トシ]に云かけたりしかもは如折[カク]もと同じつれなくはとゞめんとすれどさりげなくて過行をいへりよはひかは齢哉也こは一の句を下の句へつゞけてニ三の句を其下へ付て見るべし

899   
  鏡山  いざ立ち寄りて  見てゆかむ  年へぬる身は  老いやしぬると
遠鏡
  鏡山ト云山ナラ  人ノ影ガヨウウツルデアラウホドニ  久シウナツタ此ノ身ハ年ガヨツタカト  ドレヤ  タチヨツテ  見テユカウゾ

900   
  老いぬれば  さらぬ別れも  ありと言へば  いよいよ見まく  ほしき君かな
遠鏡
  世中ノナラヒデ  ゼヒトモノガレヌ別レモアルト云フコトナレバ  年ヨツテハ殊ニ明日モシレネバ  イヨ/\君ニドウゾ逢タイコトカナ
上句ニ三一と次第して心得べし。

901   
  世の中に  さらぬ別れの  なくもがな  千代もとなげく  人の子のため
遠鏡
  親ノ寿命ヲ  アヽヽドウゾ千年モト願フ子ノタメニ世ノ中ニハドウゾ遁レヌ別レト云コトノナイヤウニシタイコトカナ
(千秋云。人の子といふは。親にむかへてたゞ子といふこと也。人のおやといふも。たゞ親なり。これは語の例なり。)

902   
  白雪の  八重降りしける  かへる山  かへるがへるも  老いにけるかな
遠鏡
  オレガ頭ハマア雪ノイクヘモ/\ツモツタヤウニマツ白ニナツテ  カヘス/゛\モキツイ年ノヨリヤウカナ

903   
  老いぬとて  などか我が身を  せめきけむ  老いずは今日に  あはましものか
遠鏡
  我身ヲ年ガヨツタト云テ  ナゼニフソクニ思ウタコトゾ  今日思フテ見レバ年ノヨツタハウレシイコトヂヤ  カウ年ノヨルマデ生テ居ズハ  今日ノヤウナ  アリガタイコトニアハウモノカイ  年ガヨツテ生テヰレバコソ
せめきの説。顕注わろし。
>> 顕注では「せめきけむ」を「恨(うらみ)ケレト云也」とし、或人の説として「せめきは責来と書く」という
    ことを引き、それについて「セメタルコトヲ悔(くいる)か」と述べている。


904   
  ちはやぶる  宇治の橋守  なれをしぞ  あはれとは思ふ  年のへぬれば
遠鏡
  宇治ノ橋守ヨ  ホカノ人ヨリハ其ノ方ヲサ  オレハ  フビンニ思フ  オレト同ジヤウニ年ヘタ老人ヂヤト思ヘバサ

905   
  我見ても  久しくなりぬ  住の江の  岸の姫松  幾世へぬらむ
遠鏡
  此ノ住ノ江ノ岸ナ松ドモハ  オレガ見キタツテモモウ久シウナルガ  ソレヨリマヘ始メカラハ  イカホド年ヲ経タコトヤラ  サダメテ  キツウ久シイコトデアラウ

906   
  住吉の  岸の姫松  人ならば  幾世かへしと  問はましものを
遠鏡
  住吉ノ岸ノ姫松ガ人間ナラバ  イカホド年ヲ経タゾト問テ見ヤウニ

907   
  梓弓  磯辺の小松  たが世にか  よろづ世かねて  種をまきけむ
遠鏡
  此ノ磯ベノ松ハ最初ニタネヲ  マク時ニ定メテコレカラ後万年モオヒシゲレト思フテ蒔テオイタデアラウガ  ソレハ昔イツノ代ニ誰ガマイタコトヤラ
この小松は。たゞ松なり。ちいさきをいふにはあらず。そはたゞ馬を駒といひ。猪をゐのこ。鹿を鹿子といへる例なり。これらの例みな古書に見ゆ。

908   
  かくしつつ  世をやつくさむ  高砂の  尾上に立てる  松ならなくに
遠鏡
  オレハ此ヤウニ年バツカリヨツテ  今マデ何一ツコレゾト云テシダシタコトモナイガ  モウ此通リデ一生ハテルデアラウカ  高イ山ノ上ニアル松コソ  何スルコトモナシニ久シウアル物ナレ  オレハソノ松デモナイニサ
(千秋云。わかき人の。よく心得べきうたにぞ有ける。)

909   
  誰をかも  知る人にせむ  高砂の  松も昔の  友ならなくに
遠鏡
  オレハ此ノヤウニキツウ年ガヨツテ  今デハモウ同ジコロアヒノ友モネカラナイガ  誰ヲマア相手ニセウゾ  山ノ上ヘノ松ガ年久シイ物ナレド  ソレモ昔カラノ友デナケレバ  相手ニハナラヌ モウ松ヨリ外ニオレガクラヰ年ヘタモノハトントナイ
余材わろし。

余材
  此歌は興風老はてゝ昔の友のひとりも残らさる事をわびたる也誰をかもは何をかもと云心人の上に限らす萬物の上まで何をか友にせむと云心也萬物の中には高砂の松のみ色もかへす所もさらす齢も久しきものなれはせめてかれをと思へとかれも昔の友にあらねは外に又誰かあらんと云事也余りに我身の老たりといはむとて松さへわれにくらふれは猶此ころのもの也といふ心也...

910   
  わたつみの  沖つ潮あひに  浮かぶ泡の  消えぬものから  寄る方もなし
遠鏡
  オレハ海ノ沖ノシホアヒヘ浮ク沫ノヤウナモノデ  消ズニハアリナガラ  ドコヘモヨリツク所ロモナイ

911   
  わたつみの  かざしにさせる  白妙の  浪もてゆへる  淡路島山
遠鏡
  浪ノ白ウタツタノハ  トツト花ノヤウニ見エルガ  ソレデアノ浪ハ  海ノ神様ノ御ツムリノカザシヂヤトイノ  ソレニアノ淡路島ヲコレカラ見レバ  アレマアソノマツ白ナ浪デ  グルリトトリマハシテ  テウド帯ヲシタヤウナ  サテモ見事ナ  ケシキヂヤ
打聞わろし。かざしにさせるとは浪のことにこそあれ。又前後の説あはず。

打聴
  こは海神の挿頭[カザシ]にさせる淡路島山と見立し也わたづみは海を持[タモチ]ませる神なるを転[ウツ]して海の名と成ぬれどこゝは海神の御事也白たへの波もてゆへる淡路しま山とは冠帽[カンムリ]の巾子[コジ]のもとに日かげのかづらとて白糸を組たるにて日陰と云物をゆひて其糸のはしを総角[アゲマキ]に蜷[ニナ]をむすび下てかざる所に花の枝の作りたるなどを此かづらにまとひて立るをこゝろ葉と云是上代に髻華[ウズ]にさすといへる物也かざしは後の世に冠のわきに挿物なれども共に是をかざしにさすと云べければ白たへの波を日陰のかづらによせてそれもてゆへるあはぢしま山とかざしの事にいひなせりと見ゆ

912   
  わたの原  寄せくる浪の  しばしばも  見まくのほしき  玉津島かも
遠鏡
  此ノ玉津島ヲ見レバ  浪ノウチヨセルヤウスナド  サテ/\面白イケシキカナ  ドウゾ度々モ来テ見タイトコロヂヤ
(千秋云。玉つ島は。三代実録に。玉出島とかゝれ。うつほ物がたりには。玉ちる島とも有。を濁るべし。)

913   
  難波潟  潮満ちくらし  雨衣  たみのの島に  たづ鳴き渡る
遠鏡
  ハア  シホガミチテクルサウナ  難波ノタミノヽ島ニ鶴ガトビサワイデ鳴ク

914   
  君を思ひ  おきつの浜に  鳴くたづの  尋ねくればぞ  ありとだに聞く
遠鏡
  拙者ハ貴様ヲ思フテ忘レズニ此ノ辺マデ  尋ネテ参ツタレバコソ御無事ナト云コトナリトモ聞タレ  貴様ノ方カラトテハ  一向御尋ネモ下サレヌ  サテ/\キツイオミカギリデゴザル

915   
  沖つ浪  たかしの浜の  浜松の  名にこそ君を  待ちわたりつれ
遠鏡
  アノ高師ノ浜ノ松ノソノ松ト云フ名ノ通リニサ  拙者ハトウカラ貴様ヲ御待申シタワイノ

916   
  難波潟  おふる玉藻を  かりそめの  海人とぞ我は  なりぬべらなる
遠鏡
  難波ガタノ風景サテ/\面白サニ  シバラク此ノ辺ニ逗留シテ  当分玉藻ヲ刈ル海士ニサ  オレハナラウヤウニ思ハレル

917   
  住吉と  海人は告ぐとも  長居すな  人忘れ草  おふと言ふなり
遠鏡
  住吉ヘゴザツテ  モシソコノ海士ハ住ヨイトコロデゴザルト云テキカストモ必ズ長居ハシサツシヤルナヤ  住吉ハ在所ノ人ヲ忘レルト云  ワスレ草ガハエテアルト云コトヂヤホドニ

918   
  雨により  たみのの島を  今日ゆけど  名には隠れぬ  ものにぞありける
遠鏡
  雨ガフルニヨツテ  蓑ト云フ名ヲ頼モシウ思フテ  此ノ難波ノ田蓑ノ島ヲ今日トホツテユケバ  所ノ名ハ蓑ナレド  名ニハ身ガ隠レヌモノデ  雨フリノ間ニハアハヌ物デゴザルワイ

919   
  あしたづの  立てる川辺を  吹く風に  寄せてかへらぬ  浪かとぞ見る
遠鏡
  川ノハタニ白イ鶴ノ立テヰルヲ  ワシハ  風ガフイテヨセタ浪ノカヘラズニアルノカトサ見タ
(千秋云。すべてあしたづとは。白き鶴をいへり。芦の花の白きによれる名なり。万葉にも白鶴[あしたづ]とあり。なほおのれくはしき考あり。)

920   
  水の上に  浮かべる舟の  君ならば  ここぞとまりと  言はましものを
遠鏡
  君ガ水ノ上ニウイテアル船デアラセラレウナラ  コヽガ船ノ泊リマストコロデサゴザリマスト申シ上ゲテ  コヨヒハ御留メ申シマセウモノヲ
(千秋云。この歌上の句の意。此訳にていとよく聞えたり。)

921   
  みやこまで  ひびきかよへる  からことは  浪のをすげて  風ぞひきける
遠鏡
  京マデ聞エテ名ノトホツテアル唐琴ト云フ所ヲ来テ見レバ  風ガ吹ケバ浪ガ立テ音ガスル  スレヤ此唐琴ハ  浪ハ糸ヲスゲテ風ガ弾ノヂヤワイ

922   
  こき散らす  滝の白玉  拾ひおきて  世の憂き時の  涙にぞかる
遠鏡
  此瀧ヲ見レバ  水ノトンデ走ルノガテウド玉ヲ緒カラコキチラスヤウナカ此玉ヲヒロウテオイテ借リマス  ソシテワシガ身ノウヘノカヤウニウイ此節ノ涙ニセウト存ズル

923   
  ぬき乱る  人こそあるらし  白玉の  まなくも散るか  袖のせばきに
遠鏡
  此マアセバイ袖ヘツヽマレモセヌホド  玉ガアヒダナシニ  シヂウマアチツテクルコトカナ  コレハナンデモツナヒデアル玉ヲ  誰ゾ緒ヲトイテ  ハラ/\ニシテコノ瀧ノ上ノ方カラ  チラス人ガサアルサウナ

924   
  誰がために  引きてさらせる  布なれや  世をへて見れど  とる人もなき
遠鏡
  アノヒツハツテサラシテアル布ハ  誰ガキルモノニスル布ヂヤカ  ヅヽトマヘカタカラ見ルガ  イツ見テモソノマヽデアツテ  トリイレル人モナイ
瀧をすなはち布にしてよみたるなり。次なる三首もおなじ

925   
  清滝の  瀬ぜの白糸  くりためて  山わけごろも  織りて着ましを
遠鏡
  此ノ清滝川ノ瀬ヾニタツ浪ハトント白イ糸ヂヤ  コノ糸ヲクツテタントタメテ  山ヲアルク時ノ衣ヲ織テ着ヤウニ  清滝ノ清イ糸ナレヤ出家ノ山アルキノ衣ニヨカロウワサテ

926   
  たちぬはぬ  衣着し人も  なきものを  なに山姫の  布さらすらむ
遠鏡
  タチモヌヒモセヌ衣ヲ着タト云フ昔ノ仙人モ今ハ居モセヌノニ  ナンノタメニ山姫ノアノヤウニ布ヲサラシナサルコトヤラ

927   
  主なくて  さらせる布を  七夕に  我が心とや  今日はかさまし
遠鏡
  ヌシモナウテサラシテアルアノ布ヲ  オレガ物デハナケレド  ヌシガナケレバオレガ心デタナバタニ借テ進ゼウカイ  今日ハ七夕ヂヤニ

928   
  落ちたぎつ  滝の水上  年つもり  老いにけらしな  黒き筋なし
遠鏡
  タギツテ落ルアノ滝ノミナカミガ  久シウナツテ 年ガヨツタサウナワイナ  ミナ白髪バツカリデ黒イ筋ハ一スヂモナイ  カウ云ノハミナカミヲ髪ニシテヂヤゾヘサウ聞エルカノ

929   
  風吹けど  ところも去らぬ  白雲は  世をへて落つる  水にぞありける
遠鏡
  雲ハ風ガフケバ段々ヨソヘウツヽテユク物ヂヤガ  風ガフイテモ同ジ所ヲサラズニ  イツデモ同ジヤウニアルアノ白イ雲ト見エルノハ  昔カラ落ル滝ノ水デサゴザルワイ

930   
  思ひせく  心の内の  滝なれや  落つとは見れど  音の聞こえぬ
遠鏡
  人思ヒヲコラエテ隠クシテ居リマスル心ノ内ハ瀧ノヤウニワキカヘリマスルモノデゴザリマスルガ  此ノ絵ノ瀧ハサヤウノ心ノ内ノ瀧ヂヤ致シマシテ落ルトハ見エマスレド  ネカラ音ガ聞エマセヌ

931   
  咲きそめし  時よりのちは  うちはへて  世は春なれや  色の常なる
遠鏡
  咲ソメタ時カラシテハ  ウチツヾイテ世ノ中ハイツヽモ春ヂヤカシテ此ノ花ハ色ガジヤウヂウオンナジコトヂヤ

932   
  かりてほす  山田の稲の  こきたれて  なきこそわたれ  秋の憂ければ
遠鏡
  オレハ秋ガツライニヨツテ  此ノヤウニヒタ/\ト涙ヲ流シテ泣テサ  クラスワイ
かりてに。雁をこめて下句の縁とせり。

( 2004/02/20 )   
 
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