Top  > 古今和歌集の部屋  > 巻十九

       寛平の御時きさいの宮の歌合せのうた 在原棟梁  
1020   
   秋風に  ほころびぬらし  藤ばかま  つづりさせてふ  きりぎりす鳴く
          
     
  • きりぎりす ・・・ コオロギ
  • つづり ・・・ つなぎ合わせる (綴る)
  
秋風にフジバカマが綻んだらしい、コオロギが 「綴らせよ」と言うように鳴いている、という歌。

  中国の故事でコオロギが鳴く声を、冬に備えて機を織れと言っている、とするものがあり、それをふまえて 「袴」という言葉を含むフジバカマに合わせたものである。よって "つづりさせてふ" は、「誰かに綴らせよ」ということで、「自分に綴らせてほしい」ということではないようである。 「〜てふ」という表現を持った歌の一覧は 36番の歌のページを参照。

  また、「綻ぶ(ほころぶ)」という言葉からは、26番の貫之の「乱れて花の ほころびにける」という歌が連想される。フジバカマの花は小さいが、「蕾がほころぶ」というイメージも合わせているようにも見える。ただし古今和歌集の誹諧歌の流れで見ると、フジバカマが秋風に吹かれて 「はしたなく」乱れている、というニュアンスが強い。 「〜ぬらし」というかたちが使われている歌の一覧は 192番の歌のページを参照。 「つづり」という言葉からは、421番の「たむけには つづりの袖も 切るべきに」という素性法師の歌も思い出される。 「きりぎりす」を詠った歌の一覧は 244番の歌のページを、 「秋風」を詠った歌の一覧は 85番の歌のページを参照。

  この棟梁の歌は「寛平の御時きさいの宮の歌合」では次の右方の読人知らずの歌と共に秋歌の歌群の中にある。

    秋の夜の  雨と聞こえて  降りつるは  風に散りつる  紅葉なりけり

  また、「寛平の御時きさいの宮の歌合」の秋歌のもう少し後の方には、次のような読人知らずのいかにも誹諧歌というような歌もある。現代では 「管を巻く」と言えば、「酔っ払って愚痴を繰り返し言う」ことだが、ここでの 「管」は、その元の意味で、機織の道具の「杼(ひ)」(=シャットル)の中の横糸を巻き付ける部分のこと。

    雁がねは  風をさむみや  機織り女  くだまく音の  きりきりとする

  また、この歌では虫だが、鳥などが 「〜というように鳴いている」ということを詠った歌の一覧は 
1034番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/08 )   
(改 2004/03/10 )   
 
前歌    戻る    次歌