Top  > 古今和歌集の部屋  > 本居宣長「遠鏡」篇  > 巻一 春歌上

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1   
  年の内に  春は来にけり  ひととせを  こぞとや言はむ  今年とや言はむ
遠鏡
  年内ニ春ガキタワイ  コレデハ  同ジ一年ノ内ヲ  去年ト云タモノデアラウカ  ヤツハリ  コトシト云タモノデアラウカ

2   
  袖ひちて  むすびし水の  こほれるを  春立つ今日の  風やとくらむ
遠鏡
  袖ヲヌラシテスクウタ水ノコホツテアルノヲ  春ノキタ今日ノ風ガ  フイテトカスデアラウカ

3   
  春霞  立てるやいづこ  み吉野の  吉野の山に  雪は降りつつ
遠鏡
  春ガキテ  霞ノ立タハドレドコヂヤゾ  見レバ吉野山ニハマダ雪ガフツテ  ナカ/\春ノケシキハミエヌガ

4   
  雪の内に  春はきにけり  うぐひすの  こほれる涙  今やとくらむ
遠鏡
  マダ雪ノツモツテアル処ヘ  春ガキタワイ  コレデハ鶯ノ氷ツタ涙モモウトケルデアラウカ

5   
  梅が枝に  きゐるうぐひす  春かけて  鳴けども今だ  雪は降りつつ
遠鏡
  梅ノ枝ヘキテ居ル鶯ハハヤ鳴クケレドモ  マダ此ヤウニ  春マデカケテ雪ガフツテ  春ノヤウニモナイ
鶯なけども。春かけて。いまだ雪はとつゞく意也。

6   
  春たてば  花とや見らむ  白雪の  かかれる枝に  うぐひすの鳴く
遠鏡
  春ニナツタレバ  花ヂト思フテヤラ  雪ノフリカヽツテアル木ノ枝デ鶯ガナク

7   
  心ざし  深く染めてし  折りければ  消えあへぬ雪の  花と見ゆらむ
遠鏡
  トウカラ花ノ事ヲ深ウ思ヒコンデ  居ルガソレユヱヂヤヤラシテ春ニナツタレバ  ソノマヽ  雪サヘマダロクニ消ヌノニ  ソノ残ツテアル  木ノ枝ノ雪ガ  ハヤ花ニミエル
此歌古く聞ゆれば。三の句。をりけれなるべし。をりければにやの意なり。この格萬葉に多し。然るを此集のころにいたりては。けれかといふ詞は。耳なれぬ故に。ければととなへ来つるか。はた後の人の。の誤と心得て。さかしらに改めたるにもあるべし。然れども。ければにては結びのらむとかけあひわろし。されば結を一本に。見ゆるかとあるも。後にかけあひを思ひて。改めたるにやあらん。

8   
  春の日の  光に当たる  我なれど  かしらの雪と  なるぞわびしき
遠鏡
  此節ノ春ノ日ノ光ノヤウナ難有イ御恵ミヲ蒙リマスル私デゴザリマスレドモ  年ヨリマシテカヤウニ頭ガ雪ニナリマスルハサ難儀ニ存ジマスル  コマリマシタ物デゴザリマス

9   
  霞立ち  木の芽もはるの  雪降れば  花なき里も  花ぞ散りける
遠鏡
  霞ガタツテ木ドモノコノメモ張リ出ル春ノコロ  此ヤウニ雪ガフレバ花ノナイ里ニモサ  花ガチルワイ  トント花トミエル

10   
  春やとき  花やおそきと  聞きわかむ  うぐひすだにも  鳴かずもあるかな
遠鏡
  ハヤ春ニナツタコトナレバ  モウ花ガ咲サウナ物ヂヤニ  マダサカヌハ春ノ来タガホドヨリ早イノカ  花ノサクノガホドヨリオソイカ鶯ナリトモ鳴イタラ  ソレデドチラヂヤト云フコトガシレウニ  サテモマア鶯サヘナカヌコトカナ

11   
  春きぬと  人は言へども  うぐひすの  鳴かぬかぎりは  あらじとぞ思ふ
遠鏡
  春ガキタト人ハ云ケレドモ  マダ鶯ガナカヌ  ナンデモ鶯ノナカヌウチハイツマデモ  オレハ春デハ  アルマイトサ思フ

12   
  谷風に  とくる氷の  ひまごとに  うち出づる浪や  春の初花
遠鏡
  春ノ初メニ  谷ノ風ニ  アソココヽトケル氷ノヒマ/゛\カラウチダス浪ハ  テウド花ノヤウニ見エルガ  コレガ春ノハツ花ト云モノデアラウカ

13   
  花の香を  風のたよりに  たぐへてぞ  うぐひすさそふ  しるべにはやる
遠鏡
  風ノ吹テイク幸便ニ花ノ香ヲコトツケテヤツテサソレヲ鶯ヲサソヒダシテクル案内者ニハスルヂヤ

14   
  うぐひすの  谷よりいづる  声なくは  春くることを  誰か知らまし
遠鏡
  谷カラ鳴テ出テクル鶯ノ声ガナクバ  春ノキタト云コトヲタレガシラウゾ

15   
  春たてど  花も匂はぬ  山里は  ものうかるねに  うぐひすぞ鳴く
遠鏡
  春ニナツテモ  花モナイ  山中ノ里デハ  ナニモハリアヒガナサニ  鳴キトモナサウナ声ヲシテサ  鶯ガナク
(千秋云。下の句。ものうかる音にぞ。鶯のなくという意にて。もじはものうかるねへかゝれるてにをは也。この類おほし。)

16   
  野辺近く  いへゐしせれば  うぐひすの  鳴くなる声は  朝な朝な聞く
遠鏡
  ワシハ野辺ノ近イ所ニスマヒヲシテヰレバ  鶯ガヨウ鳴テ毎日アサカラ聞マス

17   
  春日野は  今日はな焼きそ  若草の  つまもこもれり  我もこもれり
遠鏡
  此春日野ヲバ今日ハ焼テクレルナヨ  妻モ来テアソンデ居ル  我モキテ遊デ居ルホドニ

18   
  春日野の  とぶひの野守  いでて見よ  今いくかありて  若菜つみてむ
遠鏡
  此ノカスガ野ノ飛火野ノ番人ヨ出テヤウスヲ見テクレイ  ソチハコノ野ニ住デ居レバ  タイガイ知レルデアラウガ  マウイクカバカリアツテカラ  若菜ヲツミニハ来ウゾ

19   
  み山には  松の雪だに  消えなくに  みやこは野辺の  若菜つみけり
遠鏡
  山ニハアレ雪サヘマダキエズニアツテ  松ナドモ白ウミエルニ  京ハハヤメツキリト春メイテ  野ヘンヘ人ガデヽ  若菜ヲツムワイ

20   
  梓弓  押してはるさめ  今日降りぬ  明日さへ降らば  若菜つみてむ
遠鏡
  オシナメテドコモカモ  春雨ガマヅ今日フツタガ  アスマ一日フツタナラバ  オホカタ若菜ガツマルヽクラヰニナルデアラウホドニ  野ヘ出テ  若菜ヲツマウゾ
>> 「アスマ一日」というのは「明日もう一日」ということであろう。

21   
  君がため  春の野にいでて  若菜つむ  我が衣手に  雪は降りつつ
遠鏡
  ソコモトヘ  進ゼウト存ジテ  野ヘ出テ此ノ若菜ヲツンダガ殊ノ外寒イコトデ  袖ヘ雪ガフリカヽツテ  サテ/\ナンギヲ致シテ  ツンダ若菜デゴザル

22   
  春日野の  若菜つみにや  白妙の  袖ふりはへて  人のゆくらむ
遠鏡
  ワザ/\春日野ノ若菜ヲツミニヤラ  アレ白妙ノ袖ヲフツテ  ツレダツテ人ガイクワ
打聞ふりはへの説いかゞ。延(はへ)とはえあふはえとは。仮字さへ異なるものをや。

打聴
  ...ふりはへては打はへてと云に同じくふりはそえへし詞也はへは延の字を書彼と是とはへあふことにて倶々に袖をつらねてといはむが如し
    (嘉永二年 補刻版「古今和歌集打聴」より)    

23   
  春の着る  霞の衣  ぬきを薄み  山風にこそ  乱るべらなれ
遠鏡
  春ノ着ル霞ノ衣ハ横ノ糸ガウスサニ  山風ニサミダレルデアラウサウ見エル

24   
  ときはなる  松の緑も  春くれば  今ひとしほの  色まさりけり
遠鏡
  イツモカハラヌ  松ノ青イ色モ  春ガキタレバ  マ一入染タヤウニ色ガマシタワイ
>> 「一入(ひとしほ)」の前にあるマは「今マ」の「今」が欠けたものか、それともマアという感じか。

25   
  我が背子が  衣はるさめ  ふるごとに  野辺の緑ぞ  色まさりける
遠鏡
  ハル雨ノフルタビニ  野ヘンノ草ノ青イ色ガサ  ダン/\増ワイ
わがせこがの説。打聞よろし。妻が夫の衣をはるといふ詞也。余材あやまれり。

余材
  ...萬葉集には夫婦に通するのみならす親族朋友にもよめり今は女をさせり但我妹子とあるはわきもこなるを六帖にはわかせことかける事おほけれは此集の此も我妹子をかくよめるにや又萬葉集第八に坂上郎女か妹か目を見そめか崎とよめるはをとこに成てよめれは今は女になりて夫をさしてわかせこといへるにやいつれにてもくるしからす...

打聴
  ...我せこは男を指て女の云なりしかるを是は貫之の妹をば指て我せこといひたるなりと云はわろしこは女の心になりてよめるなり衣を洗ひはり染などするは女の手わざなるをいかにおもひえぬにや

26   
  青柳の  糸よりかくる  春しもぞ  乱れて花の  ほころびにける
遠鏡
  糸ヲヨツテハホコロビモ  ヌフコトヂヤニ  青イ柳ノ糸ヲヨリカケル春ノコロハ  ケツクサ  花ガ咲ミダレテ  ホコロビルワイ
ほころぶるは。花のひらくをいふ
>> 「ケツクサ」は「ケツク/サ」。

27   
  浅緑  糸よりかけて  白露を  珠にもぬける  春の柳か
遠鏡
  アレアノ柳ヲ見レバ  ウスモエギ色ノ糸ヲヨツテカケテ  キレイナ白イ露ヲマア玉ニシテツナイデ  サテモ/\見事ナ春ノ柳カナ
余材わろし。

余材
  ...柳か枝もまことの糸ならす白露も誠の玉ならぬになとかくはいつはりなかるへき寺のほとりに玉の緒をぬきて人をあさむくかとよめる也...

28   
  ももちどり  さへづる春は  ものごとに  あらたまれども  我ぞふりゆく
遠鏡
  鶯ヤナニヤカヤ  鳥ノオモシロウサヘヅル春ハ物ゴトニナニモカモ改マツテ  アタラシウナルケレドモ  オレガ此身バカリハサ  春ノクルタビニダン/\トフルウナツテイク

29   
  をちこちの  たづきも知らぬ  山なかに  おぼつかなくも  呼子鳥かな
遠鏡
  アチモコチモ  案内モシラヌ此ノ山中ニ  ナンヂヤカ呼子鳥ガナイテ人ヲヨブガ  ドコヂヤヤラサテ
/\マアシツカリトシレヌコトカナ

30   
  春くれば  雁かへるなり  白雲の  道ゆきぶりに  ことやつてまし
遠鏡
  春ニナツタレバ  アレ雁ガカヘルワ  雁ハアノヤウニソラヲトンデ  北国ヘ方ヘユクヂヤガコレハヨイトコロデ  ユキアフタ  コトヅケヲシテヤラウカヨ

31   
  春霞  立つを見捨てて  ゆく雁は  花なき里に  住みやならへる
遠鏡
  オツヽケ花ガ咲ヂヤニマア  此ヤウニ春ノ霞ノタツタノヲ  ミステヽイヌルアノ雁ハ  花ト云モノヽ昔カラナイ里ニ  スミナレタコトカイ  ソレデ花ノ面白イコトヲ  シラヌデガナアラウ
余材花なき里の説わろし。

余材
  雁はとこよの国よりわたりくるといふ花さけはちる習なる故に常世には花有ましきことわりをもておさへて花なき里にといへり...

32   
  折りつれば  袖こそ匂へ  梅の花  ありとやここに  うぐひすの鳴く
遠鏡
  梅ノ枝ヲ折タニヨツテ  ソレデ袖ガニホフノデコソアレ  コヽニ梅ノ花ハアリモセヌノニ  此ノ袖ノニホフノヲ  梅ノ花ガコヽニアルト思フカシテ  鶯ガ来テ鳴ク
打聞わろし。

打聴
  我梅がえを折つれば袖にこそにほひはとまれりと思ふを彼もしかりとや鶯のまぢかう来て鳴はと云は梅が香の深く袖にとまれるをひたすらに愛ていふ也こそと云にてさる意は聞えたりこゝとは袖のあたりに来鳴かといへどさまではことわりに過たり野山にすむ鳥のちかくは軒ばなどにや来鳴けんをこゝとはいふなるべし下に我宿の花ふみしだく鳥うたむ野はなければやこゝにしも来ると云こゝに同じ

33   
  色よりも  香こそあはれと  思ほゆれ  たが袖ふれし  宿の梅ぞも
遠鏡
  梅ノ花ハ色モヨイガ  色ヨリ香ガサ  ナホヨイワイ  アヽハレヨイニホヒヂヤ  此ノヤウニヨイニホヒノスルハ  タレガ袖ヲフレタ此庭ノ梅ノ花ゾイマア

34   
  宿近く  梅の花植ゑじ  あぢきなく  待つ人の香に  あやまたれけり
遠鏡
  ムヤクナコトヂヤニ  庭ノ近イ所ニ梅ハウヱマイゾ  花ガサケバアマリヨウ匂ウデ  待人ハ来モセヌニ  ソノ人ノ袖ノニホヒニトリチガヘラレルワイ
(千秋云。梅うゑじ。花のあぢきなくと心得べし。)

35   
  梅の花  立ち寄るばかり  ありしより  人のとがむる  香にぞしみぬる
遠鏡
  梅ノ花ノ下ヘチヨツト立ヨツタト云ホドノコトガアツタガ  ソレカラ  人ノフシンヲウツヤウニサ  衣モノガ香ニソマツタワイ  キツイ匂ヒナモノヂヤ

36   
  うぐひすの  笠にぬふてふ  梅の花  折りてかざさむ  老いかくるやと
遠鏡
  ソウタイ笠ハツムリヤカホヲカクス物ナレバ  鶯ガ笠ニヌウト云梅ノ花ヲヲツテ  吾ガ年ヨツタ形ガカクレルカドウヂヤトツムリヘサシテ見ヤウ

37   
  よそにのみ  あはれとぞ見し  梅の花  あかぬ色かは  折りてなりけり
遠鏡
  オレハアハウナ今マデハ  梅ノ花ヲタヾヨソニバツカリサアヽハレ見コトナコトカナト思フテ見テ居タガ  梅ノ花ノドウモイヘヌ色ヤ香ハ折テカウ近ウミテノコトヂヤワイノ  又々ヨソニ見タヤウナコトデハナイ
余材わろし。

余材
  物ことにかりそめにみれはなつかしくて常になるれはさらぬ習なるを此梅の花はよそに哀とみつるよりはまことにあかぬ色香とは折ての後しれりと也

38   
  君ならで  誰にか見せむ  梅の花  色をも香をも  知る人ぞ知る
遠鏡
  此ノ梅ノ花ヲ  貴様デナウテハ  誰ニ見セウゾイ  色デモ香デモヨウ知テ居ル人ガサ  ヨシアシハヨウシリマス  ソレデ知ラヌ人ニ見セテハ  ナンノセンモナイコトサ

39   
  梅の花  匂ふ春べは  くらぶ山  闇に越ゆれど  しるくぞありける
遠鏡
  梅ノ花ノニホウ  春サキノコロハ  暗部山ヲクライ闇ノ夜ニコユル時デモ  梅ガサイテアルト云コトハ  見エイデモソノ匂ヒデサ  ヨウシレルワイ

40   
  月夜には  それとも見えず  梅の花  香をたづねてぞ  知るべかりける
遠鏡
  ハテヨイトコロヲ一枝折テヤラウト思フガ  此ヤウナ月夜ニハ月影ノサス所ガミナオンナジヤウニ白ウ見エルニヨツテ  梅ノ花ガソレヂヤトドウモ見分ラレヌ  コレデハ匂ヒヲタヅネテ行テサ  知ラウヨリホカハナイ

41   
  春の夜の  闇はあやなし  梅の花  色こそ見えね  香やは隠るる
遠鏡
  春ノ夜ノ闇ト云モノハ  ワケノタヽヌ物ヂヤ  ナゼト云ニ  梅ノ花ガ  暗ウテ色コソ見エネ  香ガカクレルカ 香ハナンボクラウテモ隠レハセヌ  色ハカクレテ香ハカクレネバ  隠レルデモナシ隠レヌデモナシドチラトモワケノタヽヌ闇ヂヤハサテ

42   
  人はいさ  心も知らず  ふるさとは  花ぞ昔の  香に匂ひける
遠鏡
  人ハドウヂヤラ  心モカハラヌカ  カハツタカシラヌガ  ナジミノ所ハ梅ノ花ガサ  ワシガ来タレバ  コレ此ヤウニマヘカタノトホリノ匂ヒニアヒカハラズ  ニホウワイノ

43   
  春ごとに  流るる川を  花と見て  折られぬ水に  袖や濡れなむ
遠鏡
  流レテイク川ヘ花ノ影ノウツヽタノヲ  アノ水ノ中ニモガアルトミテハ  イツノ春デモダマサレテ  折ラレモセヌニ  ヲラウトシテハソノ水デ袖ガヌレルガ  今年モ又ヌレルデカナアラウ
詞書に水とあるは。京極院の庭の池なれば。歌にながるゝ川とよめるは。その池につゞきたるやり水をいふなるべし。上句。ニ三一と句を次第して心得べし。

44   
  年をへて  花の鏡と  なる水は  散りかかるをや  曇ると言ふらむ
遠鏡
  年ヲ重ネテ  毎年春ハ花ノ影ガウツヽテ  其ノ花ノ鏡ニナル水ハ  花ノチリカヽルヲ鏡ノクモルト云ノデアラウカ  花ノチリカヽルト云ト  年ヘテ鏡ヘ塵ガカヽルト云ト詞ガ同ジコトヂヤニヨツテ  カウヨンダノヂヤゾエ
(千秋云。としをへてといふ詞は。上の句にはさして用なきを。たゞ鏡の年をへてくもることをいはんためにおける也。さてこの歌などは。俳諧の部にいるべきさまにあらずや。)

45   
  くるとあくと  目かれぬものを  梅の花  いつの人まに  うつろひぬらむ
遠鏡
  日ガクレルト云テハ見  夜ガアケルト云テハ見イシテ  シバシモ目モハナサズ見テ居ルノニ  此ノ梅ノ花ハ  イツノヒマニ  此ノヤウニチツテシマウタコトヤラ
打聞。うつろふの説。なか/\にわろし。
(千秋云。此初句の二つのとての意なり。与[と]にはあらず。)
>> 「与にはあらず」というのは、並列を表す「と(=与)」ではないということ。

打聴
  ...うつろふは色の変るをいへどこゝは端に散と書て歌にうつろふとよめば色のかはるより散までをかねていへりたゞ散とならはいつの人まとはよむべからず散はさだかに見るものなれば也

46   
  梅が香を  袖にうつして  とどめては  春はすぐとも  形見ならまし
遠鏡
  梅ノニホヒヲ  袖ヘウツシテ  トメテオイタラバ  春ハ過テシマウタト云テモ  ソレガ春ノ形見デアラウニ

47   
  散ると見て  あるべきものを  梅の花  うたて匂ひの  袖にとまれる
遠鏡
  ハアチツタワトバカリ  見テソノブンデアラフコトヂヤニ  ヒヨンナコトヤ  匂ガ袖ヘノコツタ  コレデドウモチツタ梅ノ花ノコトガ忘レラレヌ

48   
  散りぬとも  香をだに残せ  梅の花  恋しき時の  思ひ出にせむ
遠鏡
  梅ノ花ヨ  チツタリトモ  セメテハ香ヲナリトモノコシテオケ  ソレヲ後ニ恋シイトキ/\ノ思ヒダシグサニセウ

49   
  今年より  春知りそむる  桜花  散ると言ふことは  ならはざらなむ
遠鏡
  春ハサク物ヂヤト云コトヲ外ノ桜ニナラウテ  今年カラ始メテ知テ  咲イタ此ノサクラ花ヨ  ドウゾチルト云コトヲバ  外ノ桜ニナラハヌガヨイゾヨ

50   
  山高み  人もすさめぬ  桜花  いたくなわびそ  我見はやさむ
遠鏡
  山ガ高サニ  コヽヘハ誰モ来テ見テ  賞翫スル人モナイ此ノ桜花ヨ  人ガシヤウクワンセヌトテ  アマリツラウ思フナイ  オノレ見ハヤシテヤラウホドニ

51   
  山桜  我が見にくれば  春霞  峰にもをにも  立ち隠しつつ
遠鏡
  山ノ桜ヲオレガカウ見ニクレバ  霞ガ一チメンニドコモカモ立テカクシテ  花ヲミセヌワイ  サテモイヂノワルイカスミカナ

52   
  年ふれば  よはひは老いぬ  しかはあれど  花をし見れば  物思ひもなし
遠鏡
  年数ヲ経マシタレバ  ワタクシモイカウ年ハヨリマシタガ  サリナガラ  アナタノ御繁昌ナサルヽ此ノ御殿デ  カヤウニ花ヲ見マスレバ  ナンニモ物思ヒモゴザリマセヌ

53   
  世の中に  絶えて桜の  なかりせば  春の心は  のどけからまし
遠鏡
  イツソ世ノ中ニトント  桜ト云モノガナイナラバ  ケツク春ノジブンノ心ハ  ノドカニアラウニ  桜ト云モノガアルデ  此ヤウニイロ/\ト心ガサワツイテ  春モノドカニオモハヌ

54   
  石ばしる  滝なくもがな  桜花  手折りてもこむ  見ぬ人のため
遠鏡
  岩ノウヘヲハシル此ノ早イ川ガ  ナケレバヨイニ  ソシタラ内ニ居テ  エ見ヌ人ノタメニ  アノ川ノアチラナ桜ノ枝ヲ折テキテマア  ミヤゲニ持テイナウモノヲ  川ガアルデドウモヲリニイカレヌ

55   
  見てのみや  人にかたらむ  桜花  手ごとに折りて  いへづとにせむ
遠鏡
  カウシテアノ見事ナ桜花ヲ見テ  人ニハタヾ咄スバカリデ  オカウコトカイ  ソレデハ見タカヒガナイホドニ  手ンデニ折テ来テ  持テインデ内ヘミヤゲニセウ

56   
  見渡せば  柳桜を  こきまぜて  みやこぞ春の  錦なりける
遠鏡
  此ノ山ノ上カラカウ見渡セバ  柳ノ青イ色ト  桜ノ花ノ白イ色トヲコキマゼテ  トント錦ト見エル  此ノ見ワタシタトコロノ  京ノケシキガサ  春ノ錦ト云モノヂヤワイ

57   
  色も香も  同じ昔に  さくらめど  年ふる人ぞ  あらたまりける
遠鏡
  桜ハアノヤウニ色モ香モ  イツノ年モ同シコトデ昔ノトホリニサクケレドモ  年ヲ経テ人ハサ  コレ此ノトホリニ  若イトキトハ大キニカハツタワイ
此歌三の句。さくらめどゝいひては。いさゝかかなひがたきやうなるを。桜をたちいれむとて。しひたりときこゆ。
(千秋云。さくらめどは。げにさけれどもとか。さくなれどゝか。いはではかなひ難きさま也。)

58   
  誰しかも  とめて折りつる  春霞  立ち隠すらむ  山の桜を
遠鏡
  此ノ桜ノアツタ山ハ  サダメテ霞ガ立テカクシテ知レニクカラウニ  タレガマア  タンダヘテイテ折テキタコトゾ

59   
  桜花  さきにけらしな  あしひきの  山のかひより  見ゆる白雲
遠鏡
  桜ノ花モサイタサウナワイマア  アノ山ノアヒダカラ白イ雲ノ見ユルノハ

60   
  み吉野の  山辺にさける  桜花  雪かとのみぞ  あやまたれける
遠鏡
  吉野山ノアタリニ咲テアル桜花ヲ見レバ  トントサ  雪ヂヤナイカトトリチガヘラレルワイ

61   
  桜花  春くははれる  年だにも  人の心に  あかれやはせぬ
遠鏡
  桜花ヨイツモノ年ハ早ウチルトモ  セメテ春ノ一月加ハツテ長イ  今年バカリナリトモ  人ノ心ニタンノウスルホド  ユルリト咲テアツタガヨイニ  ナゼニイツモト同ジヤウニ今年モ早ウチルゾイ
此結句のてにをは。一格也。例多し。詞の玉の緒に出せるがごとし。打聞いひざまあしくて。いかなる意とも。きゝとりがたし。

打聴
  年毎の春にもあかぬをかく一月加はれるにさへ猶あかぬはいかにぞやと也やはせぬと云詞朗詠集又俊頼朝臣の本にはあかれやはするとあれど是は常にやはかはの打反して聞とはたがひてかく春のくはゝれる年だにもいかてかくばかりあかれやはせぬと花に向ひて云也

62   
  あだなりと  名にこそたてれ  桜花  年にまれなる  人も待ちけり
遠鏡
  桜花ハアダナ物ヂヤト  名ニコソタツテアレ  ナカ/\アダナモノデハゴザラヌ  一年ノ内ニモタマ/\ナラデハ  尋ネテクダサレヌ  人ヲサヘ  キドクニ今日マデチラズニ  待テ居タワイノ  スレヤ久シウ尋ネテモ下サレヌ貴様ノアダナ御心ヨリハ  桜ガハルカマシヂヤ

63   
  今日こずは  明日は雪とぞ  降りなまし  消えずはありとも  花と見ましや
遠鏡
  貴様ハ  桜ハアダニハナイ  業平ヲアダナト云ハシヤルガ  ソレヤ大キナチガイジヤ  ワシガ今日参ツタレバコソ  アノ桜ヲ花ヂヤトハ見レ  モシ今日参ラズハ  明日ハモウ雪ニナツテ降テシマウデアラウ  タトヒソノ雪ニナツタノガ  消ズニアツタトテモ  雪ヂヤトコソ見ヤウケレドモ  モトノ花トハ見ヤウカヤ

64   
  散りぬれば  恋ふれどしるし  なきものを  今日こそ桜  折らば折りてめ
遠鏡
  桜花ハチツテシマウテカラハ  ナンボ見タウ思フテモ  ソノセンハナイモノヲ  折ルナラ早ウ今日ノ内ニコソ折ウコトナレ  明日ハモウチルデアラウ

65   
  折りとらば  惜しげにもあるか  桜花  いざ宿かりて  散るまでは見む
遠鏡
  コノ桜ガアマリ見事サニ  一枝ヲリテミヤウカト思ヘド  折テ取ルハ  イカニシテモマア惜イヤウナ物カナ  サイ/\ナントセウゾ  イヤ/\折ルノハ惜イコトヂヤニ  ドレヤ  此木ノ下デ宿ヲカツテ居テ  チルマデハ  ソノマヽデ見ヤウ
>> 「サイ/\」は「サテ/\」の底本の誤りか。

66   
  桜色に  衣は深く  染めて着む  花の散りなむ  のちの形見に
遠鏡
  花ハオツヽケ散テシマウデ  アラウ  ソノ後ノ形見ニ  キル物ヲ桜イロニコウ染テ着ヤウゾ
(千秋云。此さくら色といへるはたゞさくらの花のいろにといへるなるべし。さくら色とて定れるそめ色をいへるにはあらじ。)

67   
  我が宿の  花見がてらに  くる人は  散りなむのちぞ  恋しかるべき
遠鏡
  コチノ花ヲ見ガテラニ尋ネテクル人ハ  花見ガテラノコトナレバ花ガチツタラモウ来ハスマイヂヤニヨツテ  散テシマウタ後ニサ  其人ガ恋シカラウ

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  見る人も  なき山里の  桜花  ほかの散りなむ  のちぞ咲かまし
遠鏡
  来テ見ル人モナイ山里ノ桜花ハ  ヨソホカノ花ガミンナ散テシマウテ後ニサ  咲ウコトヂヤニ  今ハドコニデモ沢山ニ花ハアルヂヤニヨツテ  ソレデ遠イ山里ナドヘハ  誰モ見ニクル人モナイヂヤガ  ホカノ所ノ花ガモウ無イジブンニナツテカラ  咲クヲイヤトモ遠イ所デモ見ニクルデアラウワサ

( 2003/01/18 )   
 
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