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       題しらず 下野雄宗  
728   
   曇り日の  影としなれる  我なれば  目にこそ見えね  身をば離れず
          
        下野雄宗(しもつけのおむね)は生没年および仔細不明。古今和歌集に採られている歌はこの一首のみ。似たような名前でやはり伝不詳の人として、 832番で「今年ばかりは 墨染めに咲け」と詠ってる上野岑雄(かむつけのみねお)がいる。

  歌の内容は、
曇りの日の影のようになったこの身は、目には見えないけれどあなたのそばは離れません、ということ。微妙な歌である。

  影がくっきり出る晴れの日と比べ、影の見えない曇りの日ということを、恋のお天気マークとして言っている。問題は "目にこそ見えね" という部分で、これを 「あなたの目には見えないでしょうけれど」というニュアンスでとると、灰色の保護色で曇りの日に身を隠す蜘蛛のようで不気味である。そう考えると "我なれば" という言い方も自己顕示欲の強いストーカーのような感じがしないでもない。 「吹く風の 目に見ぬ人も 恋しかりけり」という475番の貫之の歌とは明らかにトーンが違う。

  「くも」といえば 「蜘蛛」を詠った 225番の文屋朝康の「つらぬきかくる くもの糸すぢ」という歌があるが、「蜘蛛」にはあまり良いイメージがない。ただ、これを 「ささがに(笹蟹)」と言えば何かかわいらしい感じがするので不思議である。

 
773   
   今しはと  わびにしものを  ささがにの   衣にかかり  我をたのむる
     
        「ささがに」は 「日本書紀」にある 「ささがね」(=笹)という歌謡の誤記から生れた言葉だと言われるが、それでも 「笹の蟹」と言われると、なるほどと思わせるところがあって面白い。

  「〜こそ〜をば」というかたちを持った歌の一覧は 278番の歌のページを参照。

 
( 2001/09/21 )   
(改 2004/03/09 )   
 
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