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       題しらず 凡河内躬恒  
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   枯れはてむ  のちをば知らで  夏草の  深くも人の  思ほゆるかな
          
     
  • 思ほゆ ・・・ ひとりでに思われる
  
枯れ果ててしまう後のことも考えず、夏草が深く茂るように、あの人のことを自然と深く思い込んでしまう、という歌。

  "枯れはてむ" の 「かれ」には 「枯る」と 「離る(かる)」が掛けられている。 「離る(かる)」という言葉を使った歌の一覧は 803番の歌のページを参照。 「はて」(=果つ:すっかり〜する)は 「む」という推量の助動詞で多少弱められているものの、どこか 「苦さ」を感じさせる。夏関係ということもあり、どこか同じ躬恒の 600番の「夏虫を 何か言ひけむ」という歌や、読人知らずの 544番の「夏虫の 身をいたづらに なすことも」という歌などが連想される。

  また、704番には「ことは夏野の しげくとも 枯れ行く君に」という読人知らずの歌もあり、「夏草−深し」と 「夏野の−茂し」と似ているが、譬えられているものは 「恋心」と 「世間の噂」という違いがあって面白い。 「思ほゆ」という言葉を使った歌の一覧は 33番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/28 )   
(改 2004/03/05 )   
 
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