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       題しらず 読人知らず  
720   
   絶えずゆく  飛鳥の川の  よどみなば  心あるとや  人の思はむ
          
        絶えず流れる飛鳥川がもし淀むようなことがあれば、何か思いがあると人は思うだろうか、という歌。 「淀む」 「心ある」ということが何を指しているのかわかりづらい。

  一般的には "絶えずゆく" ということには、自分が相手の所に途絶えずに行く(通う)という意味が含まれているとされ、「淀む」はそれが滞ること、「心ある」とは二心がある、つまり別れようという心がある、ということと解釈されている。

  古今和歌集の歌では 145番の「夏山に 鳴く郭公 心あらば」という読人知らずの歌や、832番の「深草の 野辺の桜し 心あらば」という上野岑雄(かむつけのみねを)の歌のように、「いい方の心」で使っているのでわかりづらいが、ここでは万葉集・巻四538にある次の歌のような 「悪い方の心」として使われているのである。

    人言を 繁みこちたみ 逢はずありき 心あるごと な思ひ我が背子

  ただ、この歌の直後には次のような 「淀」を使った 「いい方の心」が並べてあるのでややこしい。

 
721   
   淀川の  よどむと人は  見るらめど  流れて深き    心あるものを  
     
        また、この 「飛鳥の川」の歌は、左注に 「このうた、ある人のいはく、なかとみのあづま人がうたなり」とある。中臣東人は生没年不詳、711年従五位下、721年従五位上、724年正五位下、726年正五位上、733年従四位下。万葉集・巻四515番に次の歌が採られている。

    ひとり寝て 絶えにし紐を ゆゆしみと せむすべ知らに 音のみしぞ泣く

 
( 2001/12/10 )   
(改 2004/01/15 )   
 
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