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       題しらず 読人知らず  
17   
   春日野は  今日はな焼きそ  若草の  つまもこもれり  我もこもれり
          
        春日野は今日は焼くな、若草の妻も自分も篭っているから、という歌。

  有名ではあるが、ある意味難解な歌である。前半の 「焼かないで欲しい」という理由を後半の 
"つまもこもれり  我もこもれり" で説明しているのだが、何故二人はこもっているのか、いったい誰に "今日はな焼きそ" と言っているのか、そしてその誰かは何故 "春日野" を焼こうとしているのか、という疑問が宙ぶらりんのまま残る。

  それに理屈をつけているのが「伊勢物語」の第十二段で、そこでは "春日野" は 「武蔵野」となり、上記の三つに対する答えは次のように語られている。

  • 何故こもっているのか ・・・ 男が女を盗み、二人に追手がかかったから
  • 誰に焼くなと言っているのか ・・・ 盗人を追う人々
  • 何故焼こうとするのか ・・・ 野に紛れ込んだ盗人を燻り出すため
  この話では、男は女を盗み、途中で女を草むらに置き去りにして逃げたにもかかわらず、火をつけようとした追っ手に女が男のことも思って 「つまもこもれり  我もこもれり」と詠んだため、誘拐ではなく駆け落ちと見なされて女も捕まった、という筋になっている。

  もちろんこれがこの歌の意味の正解だとは思えないが、「伊勢物語」が古今和歌集の歌を変えて物語化したとすれば、それはこの歌への理屈付けの欲求があったのであろう。逆に「伊勢物語」(あるいはその原型となったもの)が先にあって、そこからの 「春日野」というバリエーションを古今和歌集の撰者たちが採ったのだとすれば、「春日野−若草−野焼き」という 「古」のイメージが気に入ったのだと思われる。

  古今和歌集の配列から言えば、この歌は前の読人知らずの歌から 「野に近く、家にいる」ということから 「こもる」と引継ぎ、後ろの 18番の歌に 「春日野」を渡す働きをしている。

 
16   
   野辺近く  いへゐしせれば   うぐひすの  鳴くなる声は  朝な朝な聞く
     
        また、この歌とは直接関係はないが、万葉集巻七1336に次のような歌がある。

    冬こもり  春の大野を  焼く人は  焼き足らねかも  我が心焼く

 
( 2001/07/17 )   
(改 2003/12/01 )   
 
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