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       二条のきさきの春のはじめの御うた 二条后  
 
   雪の内に  春はきにけり  うぐひすの  こほれる涙  今やとくらむ
          
        雪の降っている中に春が来ました、ウグイスの凍っていた涙は今、とけるでしょうか、という歌。

  美しいイメージを持つこの歌の中心は鶯の涙であり、それはちょうど前の三つの歌からの引き算によって求められる。「涙がとける−泣き始める−鳴き始める」という駄洒落の含みもあるが、それによって歌の姿が損なわれることはない。

 
     
  二条の后、藤原高子(たかきこ)は842年に藤原長良の次女として生まれ、859年に五節の舞姫となり、その後、清和天皇の后となる。陽成天皇を生んで、883年には皇太后になるが、896年に東光寺の座主であった善祐という僧と密通した疑いで后位を止められ、そのまま910年に69歳で没する。 没後、943年に復位。

  「伊勢物語」などで在原業平との関係を物語化されているが、業平より十七歳年下である。古今和歌集成立の時期(905年ごろ)には廃位されている状態であるにもかかわらず、詞書に "二条のきさき"と明記されている理由は、諸説あるが不明。

  僧・善祐は伊豆に流され、その時にその母によって詠まれた歌が「拾遺集」に
    (925)  泣く涙  世はみな海と  なりななん  同じなぎさに  流れよるべく
  とあり、「後撰集」にも伊勢の歌が
    (1319)  別れては  いつあひ見むと  思ふらむ  限りある世の  命ともなし
  とある。 二条の后については次の本が詳しい。

  
「古今集人物人事考」 (2000 山下道代  風間書房  ISBN 4-7599-1201-0)


 
        二条の后を母とする陽成天皇は奇行が目立ち、十七歳で退位させられてしまうが、そのきっかけの一つとなったのが殿上で源益という者の命を奪ったことである。その者の母は陽成天皇の乳母・紀全子で、紀乳母(きのめのと)と呼ばれ、古今和歌集の中にも二首とられている。

  次の歌はその一つで、歌の中に笹・松・枇杷・芭蕉葉の四つが詠み込まれている。

 
454   
   い ささ めに   時 まつ まにぞ   日は へぬる   ばせをば   人に見えつつ
     

( 2001/11/20 )   
(改 2003/10/07 )   
 
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