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       題しらず 読人知らず  
19   
   み山には  松の雪だに  消えなくに  みやこは野辺の  若菜つみけり
          
     
  • み山 ・・・ 山の美称
  
山では松の上の雪さえ消えていないのに、都ではもう野原の若菜を摘んでいるのか、という歌。
"若菜つみけり" の「けり」は詠嘆の助動詞で、「摘んでいるのか?」ではなく 「摘んでいるのか、そうかそうか」という感じである。

  白い雪がかかる松の
深い緑に対し、若菜の淡い緑はまばらに残る雪の間から葉を伸ばしていて、山と都、それぞれの場所にいる人の服装もそれに合わせて異なっているという、俯瞰した屏風絵のような歌であると見たい。

  「だに」という言葉を使った歌の一覧については 48番の歌のページを参照。

  言葉という点では、
「古今和歌集全評釈(上)」 (1998 片桐洋一  講談社 ISBN4-06-205979-7) に紹介されている藤原公任の「新撰髄脳」での指摘が面白い。それは 「ミヤマ」と 「ミヤコ」で 「ミヤ」がかぶっているというものである。次の素性法師の歌に 「都−春の錦:山−秋の錦」の意味が込められているように、都と山を対にすることは一般的であり、この歌の作者が意識して 「ミヤ」を重ねたのかはわからないが、同音反復の効果で歌に良いリズムを与える効果となっている。

 
56   
   見渡せば  柳桜を  こきまぜて  みやこぞ 春の  錦なりける
     
        「み山」のペアとして 「と山」を持ってきているものとして、次の読人知らずの歌がある。この例では 「と山」(=外山)に対して、「み山」は深山(=深い山)の意味が強いが、「みやこは野辺の」の歌では、都と比較されているので、特に「深い」と強調しなくても意味が通る。そのため、この 「若菜」の歌では 「み」は美称として単に山を指しているものと考えておく。

 
1077   
   み山には   あられ降るらし  と山なる   まさきのかづら  色づきにけり
     
        "消えなくに" の 「〜なくに」はここでは逆接として 「〜ではないのに」という意味を表しているが、時には 「〜でないのだから」という順接の意味を表すこともある。順接にも逆接にもなるという点で 
100番の歌の 「ものゆゑ」、 147番の歌の 「ものから」という言葉に似ている。また、「〜なくに」は文末や文の切れ目に置かれて否定の詠嘆(=〜でないことだ...)としても使われる。

 
        [なくに:逆接(〜でないのに)]  
     
19番    松の雪だに  消えなくに  読人知らず
110番    今年のみ散る  花ならなくに  凡河内躬恒
122番    匂へる色も  あかなくに  読人知らず
155番    花橘も  枯れなくに  大江千里
186番    我がために くる秋にしも  あらなくに  読人知らず
209番    色どる木ぎも  もみぢあへなくに  読人知らず
228番    名をむつまじみ  旅ならなくに  藤原敏行
253番    時雨もいまだ  降らなくに  読人知らず
359番    めづらしき  声ならなくに  紀友則
381番    別れてふ ことは色にも  あらなくに  紀貫之
415番    糸による  ものならなくに  紀貫之
597番    我が恋は 知らぬ山ぢに  あらなくに  紀貫之
727番    海人の住む 里のしるべに  あらなくに  小野小町
751番    天つ空にも  すまなくに  在原元方
787番    秋風は 身をわけてしも  吹かなくに  紀友則
803番    秋の田の いねてふことも  かけなくに  兼芸法師
884番    あかなくに まだきも月の  隠るるか  在原業平
936番    しかりとて そむかれなくに  ことしあれば  小野篁
941番    世の中の うきもつらきも  告げなくに  読人知らず
964番    うき世には 門させりとも  見えなくに  平貞文
1015番    むつごとも  まだつきなくに  凡河内躬恒


 
        [なくに:順接(〜ないのだから/理由付け)]  
     
74番    ふるさと人の  きても見なくに  惟喬親王
123番    植ゑけむ君が  今宵来なくに  読人知らず
355番    鶴亀も 千歳の後は  知らなくに  在原滋春
388番    人やりの  道ならなくに  源実
873番    主や誰 問へど白玉  言はなくに  源融
908番    高砂の 尾上に立てる  松ならなくに  読人知らず
909番    高砂の 松も昔の  友ならなくに  藤原興風


 
        [なくに:文末/区切れで否定の詠嘆(〜でないことだ...)]  
     
130番    惜しめども  とどまらなくに  在原元方
580番    たちゐの空も  思ほえなくに  凡河内躬恒
615番    あふにしかへば  惜しからなくに  紀友則
629番    渡らでやまむ  ものならなくに  御春有輔
724番    乱れむと思ふ  我ならなくに  源融
726番    ちぢの色に うつろふらめど  知らなくに  読人知らず
729番    うつろはむとは  思ほえなくに  紀貫之
744番    見ても心の  なぐさまなくに  読人知らず
885番    雲隠せども  光けなくに  尼敬信
886番    もとの心は  忘られなくに  読人知らず
1049番    おくれむと思ふ  我ならなくに  藤原時平


 
        ただ、実際の歌の中では 74番 / 110番 / 123番 / 209番 / 228番 のようにどちらともとれるケースがあり、区別が難しい。一応ここでは、理由を述べているニュアンスのあるもので、倒置と見ることが可能なものは順接のグループに置いている。

  なお、この 「〜なくに」については、上記のグループ分けとは異なるが、
「古今和歌集全評釈  補訂版 」 (1987 竹岡正夫 右文書院 ISBN 4-8421-9605-X) の228番の歌の釈に 「反(か)へるなくに」、「反へらぬなくに」という言葉を使った考察がある。

 
( 2001/09/19 )   
(改 2004/02/10 )   
 
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