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       くらぶ山にてよめる 紀貫之  
39   
   梅の花  匂ふ春べは  くらぶ山  闇に越ゆれど  しるくぞありける
          
     
  • しるく ・・・ はっきりして(著く)
  
梅の花の香りが漂う春の頃は、くらぶの山を闇の中で越えても、花の存在がはっきりとわかる、という歌。躬恒の 40番の「月夜には それとも見えず 梅の花」および 41番の「春の夜の 闇はあやなし 梅の花」と同様、「闇に香る梅」の歌である。 "春べ" (=春の頃)という言葉は、仮名序の中で「そへ歌」の例としてあげられている次の歌にも見られる。

    難波津に  咲くやこの花  冬ごもり  今は春べと  咲くやこの花

  "くらぶ山 闇に越ゆれど" という部分には、暗いという名のくらぶの山をさらに実際の暗闇の中で越えても、という二重の畳みかけが見られ、それは "匂ふ" と先に言いながら、"しるくぞありける" 
と念をおしている表現とも対応している。 「匂ふ」という言葉を使った歌の一覧については 15番の歌のページを参照

  「くらぶ山」が 「暗い」の掛詞として使われているかどうかは微妙だが、詞書に「くらぶ山にてよめる」と書かれているように、「くらぶ山」という言葉が歌を誘発したことは確かである。このように一つの言葉が歌の水面から少し浮き上がって揺れているような感じは、同じ貫之の有名な次の歌にも感じられる。

 
89   
   桜花  散りぬる風の  なごり には  水なき空に  浪ぞたちける
     
        また、「くらぶ山」は 195番の在原元方の「秋の夜の 月の光し あかければ」の歌や、次の藤原敏行の歌でも 「暗い」というイメージを出すために使われている。

 
295   
   我がきつる  方も知られず  くらぶ山   木ぎの木の葉の  散るとまがふに
     
        しかし一方でこうした 「くらぶ山」のイメージを駄洒落によって突破している歌があって、こうしたところに当時の歌人たちは掛詞の可能性を見ていたようにも思われる。その歌とは次の坂上是則の恋歌である。

 
590   
   我が恋に  くらぶの山 の  桜花  間なく散るとも  数はまさらじ
     
        貫之の歌と作成時期の前後はわからないが、 「梅の花」に対する 「桜花」であるところも面白い。

  この歌で使われている 「くらぶ山」と 「闇」という言葉を含む歌を一覧してみると次のようになる。どちらも意外と使われている数は少ない。

 
        [くらぶ山]  
     
39番    くらぶ山  闇に越ゆれど しるくぞありける  紀貫之
195番    くらぶの山  越えぬべらなり  在原元方
295番    我がきつる  方も知られず くらぶ山  藤原敏行
590番    我が恋に  くらぶの山の 桜花  坂上是則


 
        [闇]  
     
39番    くらぶ山  に越ゆれど しるくぞありける  紀貫之
41番    春の夜の  はあやなし 梅の花  凡河内躬恒
646番    かきくらす  心のに 惑ひにき  在原業平
647番    むばたまの  のうつつは  読人知らず


 
( 2001/09/04 )   
(改 2004/03/07 )   
 
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