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       返し 在原業平  
63   
   今日こずは  明日は雪とぞ  降りなまし  消えずはありとも  花と見ましや
          
        今日来なければ、明日は雪と降って散ってしまうであろう、消えずにあるといってもそんなものを誰が花と見ようか、という歌。

  この歌は一つ前の 62番の読人知らずの「あだなりと 名にこそたてれ 桜花」という歌に対する返しである。元の歌は 「うつろいやすいと評判が立っていますが、年にたまにしかこないあなたをこうしてちゃんと待っています」という内容で、それに対して 「そうは言っても今日こなければ明日には散ってしまったに違いない、ならばそれは花ではなく雪と同じだ」と答えている。

  「雪のように花が散る」という譬えは、111番の読人知らずの歌の「雪とのみこそ 花は散るらめ」などにも見られるが、それをさらに進めて、 "消えずはありとも  花と見ましや" と念を押して、辛辣な「返し」にしている点にこの歌の特徴がある。 「お前の言っている桜花は、見た目には歓迎してくれているようで、実は偽物、今にも降り出す雪のように冷たい心を持っているのさ」ということだろう。

  雪を使ったこの切り返しは、宗岳大頼(むねおかのおおより)が 「おのが思ひはこの雪のごとくなむつもれる」と言った時の躬恒の次の歌にも引き継がれているように見える。

 
978   
   君が思ひ  雪とつもらば  たのまれず  春よりのちは  あらじと思へば
     
        この歌には "降りなまし" と "見ましや" と二回、反実仮想の助動詞「まし」が使われている。

  "降りなまし" の 「なまし」は 「な+まし」で完了の助動詞「ぬ」の未然形+反実仮想の助動詞「まし」の連体形。完了の助動詞「ぬ」は前に連用形をとる。 「なまし」で一つの連語と考えられ、「〜してしまうだろう」という意味で、次のような歌で使われている。

 
     
63番    明日は雪とぞ  降りなまし  在原業平
98番    すぐしてし 昔はまたも  かへりきなまし  読人知らず
238番    女郎花 おほかる野辺に  寝なましものを  平貞文
572番    唐衣 胸のあたりは  色もえなまし  紀貫之
613番    今ははや  恋ひ死なまし  清原深養父
810番    人知れず  絶えなましかば  伊勢
954番    奥山の 木の葉に降れる  雪やけなまし  読人知らず


 
        一方、 "見ましや" の 「ましや」は 「まし+や」でここでは 「や」は終助詞であるため、その前の「まし」は終止形と考えられる。また、ここでの 「や」は反語を表している。 「ましや」というかたちが使われている歌の一覧は 118番の歌のページを、その他のかたちで 「まし」を使っている歌については 46番の歌のページを参照。

 
( 2001/12/03 )   
(改 2004/03/08 )   
 
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