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       雲林院のみこのもとに、花見に北山のほとりにまかれりける時によめる 素性法師  
95   
   いざ今日は  春の山辺に  まじりなむ  暮れなばなげの  花のかげかは
          
     
  • なげの ・・・ 無くなりそうな(無げの)
  
さあ今日は、春の山辺に入って心ゆくまで遊ぼう、暮れてしまえば無くなる花の陰でもないだろうから、という歌。最後の "かは" は反語であって、「日が暮れたら無くなってしまうような花の影とは思えません」ということを表わす。だから今日は時間を気にせず...ということを言っている。口語調なので "暮れなばなげの" から反語に至るまでの部分がやや分かりづらい。古今和歌集の中では 「春の山辺」は楽しい場のイメージを持ち、次の紀貫之や同じ素性法師の歌に詠まれている。

 
117   
   宿りして  春の山辺に   寝たる夜は  夢の内にも  花ぞ散りける
     
126   
   おもふどち  春の山辺に   うちむれて  そことも言はぬ  旅寝してしか
     
        103番の在原元方の「霞立つ 春の山辺は 遠けれど」という歌も忙しくて遊びに行けない男の歎きのようにも見えないこともない。また、115番の貫之の「梓弓 はるの山辺を 越えくれば」という歌は、志賀の山越えの時のもので、そこでは 「春の山辺」を越した先の出来事が詠われている。

 
( 2001/09/27 )   
(改 2004/03/11 )   
 
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