Top  > 古今和歌集の部屋  > 巻二

       題しらず 春澄洽子  
107   
   散る花の  なくにしとまる  ものならば  我うぐひすに  おとらましやは
          
        散る花が泣いて止まるものならば、私はウグイスに劣るものではないのに、という歌。歌の内容はシンプルで会話の一部のようになめらかな口調だが、若干、品がないような気がしないでもない。

  ここでの 「やは」は詠嘆のニュアンスを持った反語。 「やは」を使った歌の一覧については 106番の歌のページを参照。 「ましや」については 118番の歌のページを参照。

  春澄洽子(はるすみのあまねいこ)は生没年不詳。春澄善縄(よしなわ)の娘。 877年正五位下、887年従四位下、896年従四位上、902年従三位。洽子の歌は古今和歌集ではこの一首のみだが、洽子と同じ 「典侍」(ないしのすけ:後宮十二司の一つである内侍司の次官)では、藤原直子が一首( 807番 )、藤原因香が四首( 80番 / 364番 / 736番 / 738番 )採られている。この三人は直子が従五位下になったのが 874年、因香が従五位下になったのが 871年、洽子が正五位下になったのが877年であるので、同時期に内侍司にいたと見てよいだろう。

  春歌の 「〜ものならば」という言葉を使った歌として、 70番の読人知らずの「待てと言ふに 散らでしとまる ものならば」と 99番の読人知らずの「吹く風に あつらへつくる ものならば」の二つの歌と合わせて三角形を作っているようにも見える。

 
( 2001/10/08 )   
(改 2004/02/26 )   
 
前歌    戻る    次歌