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       雲林院にてさくらの花をよめる 承均法師  
77   
   いざ桜  我も散りなむ  ひとさかり  ありなば人に  うきめ見えなむ
          
     
  • うきめ ・・・ つらいこと (憂き目)
  
さあ、桜よ、自分も共に散ろう、一時期盛りがあれば、その後は落ちぶれたように、人につらい姿を見られてしまうだろうから、という歌。

  承均法師(そうくほうし)は生没年不詳、古今和歌集にはこの歌を含め三首が採られていて、そのうちの一つはこの歌の二つ前にあり、「雲林院にてさくらの花の散りけるを見てよめる」という似たような詞書を持っている。雲林院で歌合が行われた記録はないようだが、同時期に同じ場所で詠まれた歌のように見える。

 
75   
   桜散る   花のところは  春ながら  雪ぞ降りつつ  消えがてにする
     
        そしてこれら二つの間に挟まれている次の素性法師の歌も、素性法師が雲林院で暮らしていたことと関連させて、三つで一セットのようなかたちをしている。

 
76   
   花散らす   風の宿りは  誰か知る  我に教へよ  行きてうらみむ
     
        これらは皆桜の散る姿を詠んでいるものだが、その中で "いざ桜" と呼びかけているこの歌は、法師の歌として見ると "ひとさかり" という言葉に俗っぽさがあって、鼻につくような感だが、逆にその底の浅さゆえにあっけらかんとしていて面白いと言えるかもしれない。次の二つの読人知らずの歌の間を行くような感じである。

 
97   
   春ごとに  花のさかりは   ありなめど  あひ見むことは  命なりけり
     
888   
   いにしへの  しづのをだまき  いやしきも  よきも さかりは   ありしものなり
     
        「うきめ」という言葉を使った歌の一覧は 755番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/12 )   
(改 2004/02/06 )   
 
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