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       東宮の雅院にてさくらの花のみかは水に散りて流れけるを見てよめる 菅野高世  
81   
   枝よりも  あだに散りにし  花なれば  落ちても水の  泡とこそなれ
          
     
  • あだに ・・・ はかなく (徒)
  菅野高世(たかよ)は生没年不明。「続日本紀」の編纂者の一人である菅野真道(まみち)の子。820年に周防守となったらしい。古今和歌集に採られているのはこの一首のみ。

  詞書にある「東宮の雅院」は大内裏の東部にある雅院のことか。 「みかは水」(御溝水)は大内裏の中に流れる水路の水のこと。

  
枝からはかなく散った花びらだから、落ちても同じようにはかない水の泡となるのだ、という歌。内容は異なるが、似たような場の雰囲気を持つ歌として「春宮のたちはきの陣にてさくらの花の散るをよめる」という詞書を持つ 85番の藤原好風の「春風は 花のあたりを よぎて吹け」という歌がある。また、次の遍照の物名の歌では、散った後の花の姿を 「あくた」(=ゴミ)と詠んでいる。

 
435   
   散りぬれば    のちはあくたに   なる花を 思ひ知らずも  惑ふてふかな
     
        「あだ」という言葉を使った歌の一覧は 62番の歌のページを参照。

 
( 2001/10/30 )   
(改 2004/02/24 )   
 
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