Top  > 古今和歌集の部屋  > 巻二

       うつろへる花を見てよめる 凡河内躬恒  
104   
   花見れば  心さへにぞ  うつりける  色にはいでじ  人もこそ知れ
          
        盛りが過ぎた花を見ていると、自分の心までもが心変わりしまった、でも顔には出さないでおこう、知られるとまずいから、という歌。

  92番に素性法師の「花の木も  今はほり植ゑじ」という歌がある。「うつろふ色に  人ならひけり」と詠うその歌は、「うつろへる花を見てよめる」という詞書を持つこの躬恒の歌と並べてみると、女性の立場(素性):男性の立場(躬恒)という対になっているようで面白い。

  また、「うつろへる花を見てよめる」という詞書で、歌には "うつりける" とあるので、この歌の場合 「うつろふ」と 「うつる」は同じことを指しているものと考えられ、 "色にはいでじ" (=表には出すまい)とあるので、詞書の方の花が 「うつろふ」も 「散る」よりは 「色褪せる」意味が強いと思われる。 「うつろふ」という言葉が歌の中で使われている一覧については、45番の歌のページを参照。

  一方、「うつる」には 876番の友則の歌で使われている「移り香」のように本来の「移る(移動する)」という意味で使われることもあるが、「色が変わる/散る」という「うつろふ」と同じ意味で使われている歌として次のようなものがある。

 
     
104番    花見れば 心さへにぞ  うつりける  読人知らず
113番    花の色は うつりにけりな  いたづらに  小野小町
781番    秋萩の うつりもゆくか  人の心の  雲林院親王
1044番    人をあくには  うつるてふなり  読人知らず


 
        また同じ躬恒の歌で、秋歌上にある219番を見ると、「古枝に咲ける 花見れば」元の心は忘れない、とある。春に萎む(あるいは散る)花を見れば心が萎え、秋に古い枝に新しく咲く花を見れば新鮮に思うという、それぞれの花に寄せる思いが、その場の雰囲気、つまり季節感と共にうまく詠まれているため、これらの歌は春歌/秋歌に分類されているのであろう。

  さらにこの歌は 52番の藤原良房(=前太政大臣)の「花をし見れば  物思ひもなし」の逆を言っているものとして見ることもできる。

  「色に出づ」という言葉は、顔色に出すということで、花や色彩のあるものに合わせやすいため、この歌を含め十首に使われている。その中でも"色にはいでじ" と使っている他の歌としては、661番の友則の「紅の 色にはいでじ」や、次の読人知らずの歌がある。

 
503   
   思ふには  忍ぶることぞ  負けにける  色にはいでじと   思ひしものを
     
        「さへに」という言葉を使った歌の一覧は 280番の歌のページを参照。

 
( 2001/10/29 )   
(改 2004/02/17 )   
 
前歌    戻る    次歌