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       題しらず 大友黒主  
88   
   春雨の  降るは涙か  桜花  散るを惜しまぬ  人しなければ
          
        大友黒主は生没年不詳。近江国滋賀郡大友郷の豪族とされ、1086番の歌の左注から 897年の醍醐天皇の大嘗会の際には生存していたと思われる。古今和歌集にはこの歌を含めて三首が採られており、その他 899番の歌には左注に「このうたは、ある人のいはく、大友の黒主がなり」とある。また、「古今和歌集全評釈(上)」 (1998 片桐洋一  講談社 ISBN4-06-205979-7)によれば、元永本などの伝本にはこの歌の詞書として「仁和御時中将の御息所の家歌合によめる」とあるようで、とすると108番114番と同じ歌合に出されたものであるかもしれない。

  歌の内容は、
春雨が降るのは涙だろうか、桜の花が散るのを惜しまない人はいないので、ということ。散りがたになった桜を見に来ている人たちの前で、折りしも降ってきた春雨を、この雨はみなさんの涙でしょうか、と言っているような感じである。

  あるいは、桜を惜しむ人の心に応じて、天が涙として雨を降らせたのか、と見ることもできる。とすると、それは仮名序の中で言われている 「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」に近いものがあるはずだが、その仮名序で黒主は 「そのさまいやし。いはば薪負へる山びとの、花のかげに休めるがごとし。」と散々な言われようである。また、六歌仙の中で唯一人、百人一首に歌を採られていない。この歌の出来は大江千里の 193番の歌などと変わらないような気がするのだが。

   「春雨/五月雨/時雨」を詠った歌をまとめてみると次のとおり。

 
        [春雨]  
     
88番    春雨  降るは涙か 桜花  大友黒主
122番    春雨  匂へる色も あかなくに  読人知らず
402番    春雨  濡衣きせて 君をとどめむ  読人知らず
577番    春雨  濡れにし袖と とはば答へむ  大江千里
731番    春雨  降る日となれば 袖ぞ濡れぬる  読人知らず
1002番    ふる春雨  もりやしぬらむ  紀貫之


 
        [五月雨]  
     
153番    五月雨  物思ひをれば 郭公  紀友則
160番    五月雨  空もとどろに 郭公  紀貫之
1002番    五月雨  空もとどろに 小夜ふけて  紀貫之


 
        [時雨]  
     
253番    神無月  時雨もいまだ 降らなくに  読人知らず
260番    白露も  時雨もいたく もる山は  紀貫之
284番    神なびの  みむろの山に 時雨降るらし  読人知らず
314番    神無月  時雨の雨を たてぬきにして  読人知らず
398番    秋の時雨  身ぞふりにける  兼覧王
763番    我が袖に  まだき時雨の 降りぬるは  読人知らず
782番    今はとて  我が身時雨に ふりぬれば  小野小町
820番    時雨つつ  もみづるよりも 言の葉の  読人知らず
840番    神無月  時雨に濡るる もみぢ葉は  凡河内躬恒
997番    神無月  時雨降りおける ならの葉の  文屋有季
1002番    神無月  時雨しぐれて 冬の夜の  紀貫之
1003番    秋は時雨  袖をかし  壬生忠岑
1006番    我らが中の  時雨にて  伊勢
1010番    神無月  時雨の雨の 染めるなりけり  紀貫之


 
( 2001/11/09 )   
(改 2004/02/26 )   
 
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