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       やよひのつごもりがたに山をこえけるに、山川より花の流れけるをよめる 清原深養父  
129   
   花散れる  水のまにまに  とめくれば  山には春も  なくなりにけり
          
     
  • まにまに ・・・ ままに・まかせて
  • とめくれば ・・・ 求めて来ると
  清原深養父(ふかやぶ)は生没年不詳。930年従五位下。古今和歌集にはこの歌も含めて十七首が採られている。908年生れで後撰和歌集の編纂に携わった清原元輔は深養父の孫(または子)と言われる。清少納言は元輔の娘であるので、深養父は彼女の曾祖父(あるいは祖父)ということになる。

  詞書の「やよひのつごもりがた」とは旧暦三月の終り頃ということ。その頃に山を越えたところ川から花が流れてきたので詠んだということである。

  
花が散って流れる川の流れのままに求めてゆくと、山では花だけでなく春もなくなっていた、という歌。詞書と歌の内容のギャップが少し気になる。詞書によれば深養父は山を越えてそこで川に花が流れるのを見ただけで、水の流れに従って山に花を求めて行ったわけではない。単に詞書の書き方の問題、あるいは歌なのだからどうでもいいと言えばそれまでだが、わざわざ露呈されると興ざめすることもある。118番の貫之の歌より具体性があるためそう思えるのかもしれない。

  この歌の "水のまにまに" に対して、「山のまにまに」という言葉を使っているものに次の読人知らずの歌がある。

 
953   
   あしひきの  山のまにまに   隠れなむ  うき世の中は  あるかひもなし
     
        「まにまに」という言葉が使われている歌を一覧にしてみると次の通り。

 
     
129番    花散れる  水のまにまに  清原深養父
391番    越の白山  雪のまにまに  藤原兼輔
393番    山の桜  花のまにまに  幽仙法師
420番    紅葉の錦  神のまにまに  菅原朝臣
783番    心の木の葉  風のまにまに  小野貞樹
953番    あしひきの  山のまにまに  読人知らず


 
( 2001/11/15 )   
(改 2004/03/08 )   
 
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