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       題しらず 読人知らず  
73   
   空蝉の  世にも似たるか  花桜  咲くと見しまに  かつ散りにけり
          
     
  • かつ ・・・ すぐに
  
人の世の様子にも似ていることだ、桜の花は、咲いたと見ている間に早くも散ってしまった、という歌。 "世にも似たるか" の終助詞「か」は疑問というより感動の気持ちを表わしている。 "散りにけり" の 「にけり」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形+回想の助動詞「けり」による連語。

  梅の花を詠んだ貫之の 45番の歌の 「いつの人まに  うつろひぬらむ」と比べると、「空蝉(うつせみ)の世」と構えているせいか、空間的な広がりが感じられる。 「うつせみ」という言葉は、元々 「現し臣(うつしおみ)」からきているものと言われ、「世」にかかる枕詞であるが、ここでは 「うつせみの世」とは、人が生きて活動している様、ということで 「花」の世界と対比させている。

   「空蝉」という言葉を使った歌には次のようなものがあり、424番425番には 「うつせみ」の物名の歌もある。

 
     
73番    空蝉  世にも似たるか 花桜  読人知らず
443番    空蝉  世をばなしとや 思ひなしてむ  読人知らず
448番    空蝉  殻は木ごとに とどむれど  読人知らず
716番    空蝉  世の人ごとの しげければ  読人知らず
831番    空蝉  殻を見つつも なぐさめつ  僧都勝延
833番    おほかたは  空蝉の世ぞ 夢にはありける  紀友則
1003番    夏は空蝉  鳴きくらし  壬生忠岑


 
        また、この歌で目につくのは "花桜" という言い方である。 「桜花」は多く出てくるが、「花桜」という言葉は古今和歌集の中でこの歌だけで使われている。桜の一つの種類とする見方がある一方、元永本などの伝本では 「桜花」としているものもあるという。

  歌の調べは 「桜花(サクラバナ)」だと最後の 「バナ」が下向きで落ち着いた感じ、「花桜(ハナザクラ)」だと 「ザ」が中間にあって 「クラ」と抜けるので少し明るい感じがする。「桜花」ばかりでは飽きるので 「花桜」が混じってもよい、という程度に考えてもよいような気もする。

 
( 2001/12/10 )   
(改 2004/02/24 )   
 
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