Top  > 古今和歌集の部屋  > 巻十七

       法皇、西川におはしましたりける日、鶴、州に立てり、といふことを題にてよませたまひける 紀貫之  
919   
   あしたづの  立てる川辺を  吹く風に  寄せてかへらぬ  浪かとぞ見る
          
     
  • あしたづ ・・・ 鶴
  詞書は 「宇多上皇が大井川へ御幸を行なった日、「鶴、州に立てり」ということを題にして歌を詠ませた」時の歌ということ。 「法皇、西川におはしましたりける日」とは、宇多上皇が大井川へ御幸を行なった 907年九月十日。

  
鶴の立っている川辺を見ると、それは吹く風により寄せてきたまま、返らない波かと見える、という歌。恐らくこの歌は、複数の鶴が風に乗って舞い降りて川辺に止まった様子を、"寄せてかへらぬ"
白浪と見立てたものであろう。 「鶴洲に舞ひ降りたり」と言った方が近いような気がするが、それでは題そのままでつまらないかもしれない。 「立てり」という結果の状態から、その前の舞い降りる姿に思いをはせて、それを 「川」からのつながりで 「寄せる浪」とし、再び 「立てり」に戻って、「寄せてかへらぬ浪」と着地させたところにこの歌の面白味がある。また "吹く風に" という言葉の差し込み方が絶妙である。 「吹く風」を詠った歌の一覧については 99番の歌のページを参照。

  貫之の歌としては、89番の「桜花 散りぬる風の なごりには」の歌や、百人一首に採られている次の歌などが特に有名だが、それらよりも貫之の技量がよく感じられる歌であるような気がする。

 
42   
   人はいさ  心も知らず  ふるさとは  花ぞ昔の  香に匂ひける
     
        また、次の歌は雑体の中にあって五七七・五七七という形式の旋頭歌(せどうか)と言われるものであるが、それも貫之の歌の中で優れたものの一つである。

 
1010   
   君がさす  三笠の山の  もみぢ葉の色  神無月  時雨の雨の  染めるなりけり
     
        古今和歌集の中で 「鶴」を詠った歌には次のようなものがある。

 
     
355番    亀も  千歳の後は 知らなくに  在原滋春
356番    万代を  松にぞ君を 祝ひつる  素性法師
514番    あしたづ  思ひ乱れて 音をのみぞ鳴く  読人知らず
779番    あしたづの音に  なかぬ日はなし  兼覧王
913番    たみのの島に  たづ鳴き渡る  読人知らず
914番    おきつの浜に  鳴くたづの 尋ねくればぞ  藤原忠房
919番    あしたづ  立てる川辺を 吹く風に  紀貫之
998番    あしたづ  ひとりおくれて 鳴く声は  大江千里
1071番    うねの野に  たづぞ鳴くなる 明けぬこの夜は  読人知らず


 
        「とぞ見る」という表現を使った歌の一覧は 301番の歌のページを参照。

 
( 2001/09/07 )   
(改 2004/03/09 )   
 
前歌    戻る    次歌