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       題しらず 藤原興風  
909   
   誰をかも  知る人にせむ  高砂の  松も昔の  友ならなくに
          
        誰を知人としようか、古くからある高砂の松も旧友というわけでもないし、という歌で、百人一首にも採られている。もう古い知人はみんないなくなってしまった、という老いの歌と見てよいだろう。

  離れたところにある 「高砂の松」も人であって知り合いであれば、たとえ向こうは根を張って動けず、自分も老いて訪ねてはいけないが、友人がいるというその気持ちだけでなぐさめられるのに、そんな状況ですらない、孤独だ、ということであろう。 906番の「住吉の 岸の姫松 人ならば」という歌も思い出される。

  一つ前の 908番の「松ならなくに」と合わせるように置かれているこの歌の "友ならなくに" の 
「なくに」は、「高砂の 松も昔の 友ならなくに」が倒置で後ろに回っているかたちで、順接(=〜ないのだから)として 「知る人にせむ」に接続する。 「〜なくに」という言葉を使った歌の一覧は 19番の歌のページを参照。

  また、"誰をかも" という部分で使われている、疑問と詠嘆を表す係助詞の 「かも」を使った歌の一覧については 664番の歌のページを参照。

 
( 2001/10/09 )   
(改 2004/02/02 )   
 
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