Top  > 古今和歌集の部屋  > 巻十七

       中務のみこの家の池に舟をつくりて、おろしはじめて遊びける日、法皇御覧じにおはしましたりけり、夕さりつかた、かへりおはしまさむとしけるをりによみてたてまつりける 伊勢  
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   水の上に  浮かべる舟の  君ならば  ここぞとまりと  言はましものを
          
     
  • とまり ・・・ 停泊所
  詞書の意味は 「敦慶親王の家の池に舟を浮かべてはじめて管絃の催しをした日に法皇がそれを見にきた。そして夕方法皇がお帰りになろうとした時に詠んだ」歌ということ。 「中務のみこ」とは宇多天皇の皇子である敦慶親王のことで、「法皇」とはその父である宇多法皇のこと。伊勢は宇多天皇が法皇になる前にその子を産んでおり、この歌の作成時期との前後はわからないが、敦慶親王との間に中務を生んでいる。

  歌の意味は、
水の上に浮かべる舟が法皇様であるなら、ここが停泊所でありますと言いたいところですが、ということ。 "浮かべる舟の  君ならば" という部分が少しわかりづらいが、舟遊びをした余韻で法皇を舟に譬えたものか。これと似たような格助詞「の」が使われているものとしては、1090番の 「みちのくのうた」に 「をぐろさき みつの小島 人ならば」というものがある。 「〜ましものを」という言葉を使った歌の一覧については、125番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/14 )   
(改 2004/02/03 )   
 
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