Top  > 古今和歌集の部屋  > 巻十五

       題しらず 兼芸法師  
803   
   秋の田の  いねてふことも  かけなくに  何を憂しとか  人のかるらむ
          
        飽きたのでどこかへ行って欲しい、と言ったわけでもないのに、何を嫌だと思って遠ざかっていってしまうのでしょう、という歌。 "秋の田のいね" には 「飽きたので往ね(=どこかに行って欲しい)」が、 "かけなくに" の 「かく」には 「稲を架ける−言葉をかける」が、 "かる" には「刈るー離(か)る」が掛けられている。 「〜てふ」という表現を持った歌の一覧は 36番の歌のページを参照。

  「かく」という言葉は 487番の読人知らずの歌に「ひと日も君を かけぬ日はなし」とあり、そこでは 「心にかける」ということだが、この歌の場合は 「言をかく」で 「言う」ということとされるのが一般的である。 「かく」という言葉の使われている歌の一覧については 483番の歌のページを参照。

  また、この歌での 「なくに」は 「〜でないのに」という逆接である。 「なくに」については 19番の歌のページを参照。

  この歌は定家本には作者名の記述がなく、それからすればこの歌の作者は、一つ前の 802番の素性法師ということになるが、
「古今和歌集全評釈(中)」 (1998 片桐洋一  講談社 ISBN4-06-205980-0) によれば、定家本以外の殆どの伝本では、作者を兼芸法師としているそうなので、ここではそれに合わせておく。

  兼芸法師は生没年不詳であるが、396番の歌の詞書に「仁和のみかどみこにおはしましける時」とあるので、光孝天皇の即位(884年)以前には歌を作っていたことがわかる。

  この 「秋の田」の歌は、次の貫之の離別歌に駄洒落を盛り付けたような感じもあるが、その作成時期の前後は不明である。

 
381   
   別れてふ   ことは色にも  あらなくに   心にしみて  わびし かるらむ  
     
        「離る(かる)」という言葉は、草などに合わせて 「枯る(かる)」と掛けられている場合もある。人が離れて来なくなる、というニュアンスの 「枯る」も含めて、「離る」が使われている歌を一覧にすると次の通り。

 
     
45番    くるとあくと  目かれぬものを 梅の花  紀貫之
315番    人目も草も  枯れぬと思へば  源宗于
338番    枯れにし人は  おとづれもせず  凡河内躬恒
623番    かれなで海人の  足たゆくくる  小野小町
686番    枯れはてむ  のちをば知らで 夏草の  凡河内躬恒
704番    枯れ行く君に  あはざらめやは  読人知らず
716番    忘れぬものの  かれぬべらなり  読人知らず
790番    時すぎて  枯れゆく小野の あさぢには  小野小町姉
791番    冬枯れ  野辺と我が身を 思ひせば  伊勢
799番    思ふとも  かれなむ人を いかがせむ  素性法師
800番    今はとて  君がかれなば 我が宿の  読人知らず
803番    何を憂しとか  人のかるらむ  兼芸法師
969番    里をばかれず  問ふべかりけり  在原業平


 
( 2001/11/21 )   
(改 2004/03/09 )   
 
前歌    戻る    次歌