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       山崎より神なびのもりまで送りに人々まかりて、かへりがてにして別れ惜しみけるによめる 源実  
388   
   人やりの  道ならなくに  おほかたは  いき憂しといひて  いざ帰りなむ
          
     
  • 人やりの ・・・ 人に強制されて行く
  • おほかたは ・・・ だいたいのところ (大方は)
  詞書にある「山崎」は、現在の京都府乙訓郡大山崎町あたりで、「神なびのもり」はその近くの森(あるいは杜)であろう。
「古今和歌集全評釈(中)」 (1998 片桐洋一  講談社 ISBN4-06-205980-0) では、それは現在の大阪府高槻市上牧(かんまき)あたりではないか、と推測されている。

  この歌は源実(みなもとのさね)が筑紫に湯浴みに行く時の送別の際の歌であり、前後に白女(しろめ)と藤原兼茂の次の歌があって三つでワンセットになっている。これらについては
「古今集人物人事考」 (2000 山下道代  風間書房  ISBN 4-7599-1201-0) の「源実をめぐる離別歌」という章に詳しい考察がある。

 
387   
   命だに  心にかなふ  ものならば  なにか別れの  かなしからまし
     
389   
   したはれて  きにし心の  身にしあれば  帰るさまには  道も知られず
     
        歌の意味は、赴任でも左遷でもなく、自分のために行く旅なのだから、こうして別れを惜しまれると、もう気持ちの大部分は 「行きたくない」と言って 「さあ帰ろう」という気分になる、ということ。

  続く兼茂の歌の詞書に「今はこれよりかへりねと実がいひけるをりによみける」とあるのを見ると、「おほかた=ここにいるほとんどの人」として、「皆さんはさあ、帰りなさい」と言っているようにも思える。ただその場合、「なむ」が 「なむや」の意味と仮定しても、 "人やりの道" と "いき憂し" の意味のバランスが悪いようである。 「おほかた」という言葉を使った歌の一覧は 879番の歌のページを参照。

  "道ならなくに" の 「なくに」は 「道でないのだから」という順接である。 「〜なくに」という言葉を使った歌の一覧は 19番の歌のページを参照。また、次の在原行平の歌と並べてみると、 "いざ帰りなむ" と 「今かへりこむ」が似ているようにも思えて、もう旅の途中の大体のところで、引き返してこよう、と言っているようにも見える。

 
365   
   立ち別れ  いなばの山の  峰におふる  松とし聞かば  今かへりこむ  
     

( 2001/08/29 )   
(改 2004/02/24 )   
 
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