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       内侍のかみの、右大将藤原の朝臣の四十の賀しける時に、四季のゑかけるうしろの屏風にかきたりけるうた 紀友則  
359   
   めづらしき  声ならなくに  郭公  ここらの年を  あかずもあるかな
          
     
  • ここらの ・・・ 多くの
  藤原定国の四十の賀の四季の屏風絵に付けられた歌の一つで、古今和歌集には作者名が記されていないが、「友則集」やいくつかの古今和歌集の伝本に 「友則」とあることから一般的には友則の作とされる。

  この歌は恐らく絵の中の人物に成り代わって詠んだもので、
めずらしい声でもないけれど、ホトトギスの声は、何年聞いても飽きることがないことだ、という意味であろう。 「〜なくに」という言葉を使った歌の一覧は 19番の歌のページを、 「あかず」という言葉を使った歌の一覧は 157番の歌のページを参照。これを絵の中のホトトギスだから、ずっと鳴いているというようにとれば、次の貫之の歌にも通じるところがある。

 
931   
   咲きそめし  時よりのちは  うちはへて  世は春なれや    色の常なる  
     
        また、次の平篤行(あつゆき)の 「やまし」の物名の歌で詠われているように 「声はするけれども姿が見えない」というのがホトトギスの一つのパターンだとすると、絵の中でも隠れて鳴いているホトトギスの姿が思い浮かぶ。

 
447   
   郭公  峰の雲にや  まじりにし  ありとは聞けど    見るよしもなき  
     
        賀歌としては "ここらの年" で、長寿を指していると考えられなくもない。 「ここらの」という言葉を使った他の歌としては、誹諧歌に置かれている次の在原元方の歌がある。 「ここら」という言葉を使った歌の一覧は、その 1062番の歌のページを参照。

 
1062   
   世の中は  いかにくるしと  思ふらむ  ここらの人に   うらみらるれば
     

( 2001/11/06 )   
(改 2004/02/20 )   
 
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