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       題しらず 藤原敏行  
578   
   我がごとく  ものやかなしき  郭公  時ぞともなく  夜ただ鳴くらむ
          
     
  • 時ぞともなく ・・・ 時間に関係なく
  
自分と同じように悲しいことがあってか、ホトトギスは時間も気にせず、夜ひたすら鳴いているのだろう、という歌。 この歌は恋歌二に置かれているが、秋歌上の 197番には同じ敏行の「秋の夜の 
明くるも知らず 鳴く虫は」という歌があり、どちらかを切ってもいいような感じだが、このホトトギスの歌は、次の 579番の貫之の歌との関係でここに置かれているように見える。

  また 「我ごと〜」というパターンは他にも、秋歌上の 198番の「秋萩も 色づきぬれば きりぎりす」という読人知らずの 「きりぎりす」バージョン、恋歌一の 536番の読人知らずの「人や恋しき 音のみ鳴くらむ」という 「ゆふつけ鳥」バージョンがある。

  さらに、160番の貫之の「五月雨の 空もとどろに 郭公」という歌は、この敏行の歌と同じくホトトギスを詠って "夜ただ鳴くらむ" で結んでいるというように、歌の置かれている位置から見ると混沌としている。これらすべてが撰者たちの完全なコントロール下にあるとは思えず、かといってでたらめでもなく、そこがまた古今和歌集の面白味の一つであるような気がする。

  「かなし」には 「愛しい/いとおしい」という意味と 「悲しい/哀しい」という意味の二つの場合があり、この歌の場合は 「悲しい/哀しい」であろうが、どちらともとれる場合は 「胸がつまるような感じ」と考えてよさそうである。 「かなし」という言葉を使った歌には次のようなものがある。数が多いので 「かなしき」とそれ以外に分けてみる。なお、「うれし」については 709番の歌のページを参照。

 
        [かなしき]  
     
185番    我が身こそ  かなしきものと 思ひ知りぬれ  読人知らず
186番    虫の音聞けば  まづぞかなしき  読人知らず
187番    ものごとに  秋ぞかなしき  読人知らず
198番    きりぎりす 我が寝ぬごとや  夜はかなしき  読人知らず
215番    鳴く鹿の 声聞く時ぞ  秋はかなしき  読人知らず
286番    もみぢ葉の ゆくへさだめぬ  我ぞかなしき  読人知らず
448番    魂のゆくへを  見ぬぞかなしき  読人知らず
578番    我がごとく  ものやかなしき 郭公  藤原敏行
637番    おのがきぬぎぬ  なるぞかなしき  読人知らず
643番    思ひいづるぞ  消えてかなしき  大江千里
813番    わびはつる 時さへものの  かなしき  読人知らず
837番    先立たぬ くいのやちたび  かなしき  閑院
858番    なき床に寝む  君ぞかなしき  読人知らず
1006番    よらむ方なく  かなしき  伊勢


 
        [その他]  
     
193番    月見れば ちぢにものこそ  かなしけれ  大江千里
197番    鳴く虫は 我がごとものや  かなしかるらむ  藤原敏行
200番    松虫の音ぞ  かなしかりける  読人知らず
387番    なにか別れの  かなしからまし  白女
429番    あふからも ものはなほこそ  かなしけれ  清原深養父
612番    我のみぞ  かなしかりける 彦星も  凡河内躬恒
715番    蝉の声  聞けばかなし  紀友則
819番    行く雁の いや遠ざかる  我が身かなし  読人知らず
822番    秋風に あふたのみこそ  かなしけれ  小野小町
838番    暮れぬ間の 今日は人こそ  かなしかりけれ  紀貫之
960番    人のためさへ  かなしかるらむ  読人知らず
1088番    塩釜の 浦こぐ舟の  綱手かなし  読人知らず
1096番    知るも知らぬも  なべてかなし  読人知らず


 
( 2001/11/15 )   
(改 2004/03/07 )   
 
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