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       これさだのみこの家の歌合せのうた 読人知らず  
215   
   奥山に  もみぢ踏みわけ  鳴く鹿の  声聞く時ぞ  秋はかなしき
          
        詞書にある 「これさだのみこの家の歌合せ」とは、宇多天皇の兄である是貞親王の家で行なわれた歌合であり、この歌合からは古今和歌集に二十三首の歌が採られている。そのすべてが秋の歌である。 893年9月成立の 「新撰万葉集」に、この歌合の歌が含まれていることから、催された時期はそれ以前と推定されている。この歌が古歌として持ち込まれたものか、歌合に出席した誰かの作であったかは不明である。百人一首では猿丸太夫の歌として有名なこの歌も、古今和歌集では 「読人知らず」であり、左注もついていない。

  
奥山にもみぢを踏み分けて鳴く鹿の声を聞く時こそ、秋はかなしいものだと感じる、という歌で、この歌の "もみぢ" がカエデなどの 「紅葉」ではなく、萩の葉の 「黄葉」であるという解釈は有名である。 「新撰万葉集」でペアになっている漢詩に 「黄葉」の文字があることや、「鹿−萩」の結びつきからすると、確かに古今和歌集の撰者たちにはそうした認識があったと思われる。

  ただし、「奥山に もみぢ踏みわけ」の主体を鹿ではなく、作者だとする説もあり、そうすると "もみぢ" は必ずしも 「黄葉」でなくともよいことになる。しかし 「もみぢ踏みわけ」ているのが人だと言われるとまるで 「人面鹿」のようなイメージが浮かぶので、ここでは直感的に感じられる鹿を主体として見ておきたい。それを前提とすれば、この歌は "奥山に  もみぢ踏みわけ  鳴く鹿の" までで心を遠く秋の景色に引き込み、そこから一転、 "声聞く時ぞ  秋はかなしき" で胸元に戻すという 「行って/来い」の効果を持っていると考えられる。

  214番の歌のページに 「鹿」を詠った歌を一覧してあるが、それらの歌はすべて鹿の鳴き声を詠ったものである。また、それ以外のものとしては、次の喜撰法師の歌の 「しか」もあるが、これは 「然り」の 「しか」であって 「鹿」ではないという説が一般的である。ただ、それでもせめて掛詞として そこに 「鹿」を見てみたいような気がする。

 
983   
   我が庵は  みやこのたつみ  しか ぞすむ  世をうぢ山と  人は言ふなり
     
        鳥以外の動物の声にも反応することは、次の躬恒の猿(=ましら)の歌などにも見られ、こうした声の響きに対する感性を見ると、真名序の 「曲折無しと雖(いへど)も、各(おのおの)歌謡を発(いだ)す。」という言葉が思い出される。

 
1067   
   わびしらに ましらな鳴きそ   あしひきの  山のかひある  今日にやはあらぬ
     
        「かなし」という言葉を使った歌の一覧については、578番の歌のページを参照。

 
( 2001/09/06 )   
(改 2004/02/26 )   
 
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