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詞書にある 「これさだのみこの家の歌合せ」とは、宇多天皇の兄である是貞親王の家で行なわれた歌合であり、この歌合からは古今和歌集に二十三首の歌が採られている。そのすべてが秋の歌である。 893年9月成立の 「新撰万葉集」に、この歌合の歌が含まれていることから、催された時期はそれ以前と推定されている。この歌が古歌として持ち込まれたものか、歌合に出席した誰かの作であったかは不明である。百人一首では猿丸太夫の歌として有名なこの歌も、古今和歌集では 「読人知らず」であり、左注もついていない。
奥山にもみぢを踏み分けて鳴く鹿の声を聞く時こそ、秋はかなしいものだと感じる、という歌で、この歌の "もみぢ" がカエデなどの 「紅葉」ではなく、萩の葉の 「黄葉」であるという解釈は有名である。 「新撰万葉集」でペアになっている漢詩に 「黄葉」の文字があることや、「鹿−萩」の結びつきからすると、確かに古今和歌集の撰者たちにはそうした認識があったと思われる。
ただし、「奥山に もみぢ踏みわけ」の主体を鹿ではなく、作者だとする説もあり、そうすると "もみぢ" は必ずしも 「黄葉」でなくともよいことになる。しかし 「もみぢ踏みわけ」ているのが人だと言われるとまるで 「人面鹿」のようなイメージが浮かぶので、ここでは直感的に感じられる鹿を主体として見ておきたい。それを前提とすれば、この歌は "奥山に もみぢ踏みわけ 鳴く鹿の" までで心を遠く秋の景色に引き込み、そこから一転、 "声聞く時ぞ 秋はかなしき" で胸元に戻すという 「行って/来い」の効果を持っていると考えられる。
214番の歌のページに 「鹿」を詠った歌を一覧してあるが、それらの歌はすべて鹿の鳴き声を詠ったものである。また、それ以外のものとしては、次の喜撰法師の歌の 「しか」もあるが、これは 「然り」の 「しか」であって 「鹿」ではないという説が一般的である。ただ、それでもせめて掛詞として そこに 「鹿」を見てみたいような気がする。
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