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 3首  
   大友黒主 おほとものくろぬし
 
 
   生年   不明    没年   不明
 父   ?    母   ?

弘文天皇(=大友皇子)の子である与多王の孫とも言われている。近江の国の人。

−− 年代考 −−
生れに関しては不明。
1086番の歌の左注によれば、その歌を醍醐天皇の大嘗祭のあった 897年(寛平 九)に詠んでいる。 「大和物語」第百七十二段に、黒主が宇多法皇の石山寺御幸の際に、打出の浜で歌を詠んだ話があり、「石山寺縁起」によれば、それは 917年(延喜 十七)九月のことであるらしい。とすれば、古今和歌集成立の頃にはまだ存命であったことになるが微妙なところである。
以上のことと、真名序・仮名序で、遍照(816年生)、業平(825年生)と同じ扱いをされ、古今和歌集の撰者たちの前の世代であることを考えると、黒主の生れは 830年代か、840年代前半か。

ちなみに上記の 「大和物語」の話に出てくる 「近江の守」は、参議・藤原興範と思われる(平中興 という説もある)が、「躬恒集」には、916年(延喜 十六)九月に、凡河内躬恒 が近江介からの依頼で宇多法皇の石山寺御幸に随行して屏風絵に歌をつけたという記述がある。その近江介は、914年(延喜 十四)から近江介を兼任していた当時正五位下・左近少将だった 藤原兼輔 のようである。
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巻二  0088  春雨の 降るは涙か 桜花 散るを惜しまぬ 人しなければ  春歌下
巻十四  0735  思ひいでて 恋しき時は 初雁の なきて渡ると 人知るらめや  恋歌四
巻二十  1086  近江のや 鏡の山を 立てたれば かねてぞ見ゆる 君が千歳は  神遊びのうた

■ 左注に名前が出てくる歌
巻十七  0899  鏡山 いざ立ち寄りて 見てゆかむ 年へぬる身は 老いやしぬると  雑歌上