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       近江ぶり 読人知らず  
1071   
   近江より  朝立ちくれば  うねの野に  たづぞ鳴くなる  明けぬこの夜は
          
     
  • たづ ・・・ 鶴
  詞書の「近江ぶり」とは「近江の曲」あるいは「近江風」ということ。この歌は宮中で楽器に合わせて歌う歌(大歌)の一つとして古今和歌集に採られている。

  
近江を朝発ち、旅行けば、「うねの野」に鶴が鳴く声が聞こえる、この夜はもうすっかり明けたのだ、という歌。 "うねの野" は現在の滋賀県近江八幡市あたり。まだ近江の範疇である。近江から奈良か京への都へ向かう時の歌であろう。 "鳴くなる" の 「なる」は、前に活用語の終止形をとる伝聞推量の助動詞「なり」の連体形。聞いて、なるほどと思う、というニュアンスを表す。 「鳴くなる」という言葉が使われている歌には次のようなものがある。

 
     
16番    うぐひすの  鳴くなる声は 朝な朝な聞く  読人知らず
140番    あしひきの  山郭公 今ぞ鳴くなる  読人知らず
142番    郭公  梢はるかに 今ぞ鳴くなる  紀友則
210番    雁がねは  今ぞ鳴くなる 秋霧の上に  読人知らず
233番    つま恋ふる  鹿ぞ鳴くなる 女郎花  凡河内躬恒
252番    霧立ちて  雁ぞ鳴くなる 片岡の  読人知らず
412番    北へ行く  雁ぞ鳴くなる つれてこし  読人知らず
423番    待ちわびて  鳴くなる声の 人をとよむる  藤原敏行
1071番    うねの野に  たづぞ鳴くなる 明けぬこの夜は  読人知らず


 
        「鶴」を詠った歌の一覧は 919番の歌のページを参照。

  "明けぬこの夜は" の 「ぬ」は一見、打消しの助動詞「ず」の連体形のようにも見えるが、それでは "朝立ちくれば" と意味が合わない。ここでの 「ぬ」は完了の助動詞「ぬ」の終止形で、「この夜は−明けぬ」を倒置したもの。この 「明けぬ」は、次の躬恒の誹諧歌でも使われているが、638番の藤原国経の歌や 639番の藤原敏行の歌の 「明けぬとて」や、1087番の 「みちのくうた」の 「明けぬとも」のように 「ぬ」という終止形で終わっている場合、まぎらわしく感じる。

 
1015   
   むつごとも  まだつきなくに  明けぬ めり  いづらは秋の  長してふ夜は  
     

( 2001/10/04 )   
(改 2004/02/23 )   
 
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