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       題しらず 兼覧王  
779   
   住の江の  松ほどひさに  なりぬれば  あしたづの音に  なかぬ日はなし
          
     
  • ひさ ・・・時間が経つ、久しくなる
  • あしたづ ・・・鶴
  
住の江の松が長く存在するほど久しくあなたを待つ身なので、そこに住む鶴のように、この私は声を上げて泣かない日はありません、という歌。

  「住の江−松(待つ)−鶴−音になく」がとてもスムーズにつなげられている歌である。 "松ほど" 
には 「松(が存在する)ほどに長く」ということと「待つ程(=時間)が長い」ということを掛けている。

 
     
  この「松ほど」には 「茯苓(まつほど=ブクリョウ)」が掛けられているのではないか、という説が、契沖「古今余材抄」で述べられている(「...茯苓の和名にかけて久しくしてなる物なれはいふ歟山さとのものは今も茯苓をまつほとゝ申ならへりとそ承はる...」)。ちなみに 「茯苓」はサルノコシカケ科のマツホドで、松の根に付着する。現在でも漢方薬(利尿効果など)として使われているようである。契沖がこの 「マツホド」を「久しくしてなる物なれは」と言っているのは、それが千年経った松の下にあると言われていたことを指している。

  771番の遍照の歌の 「ひぐらし」のように恋歌に分類されていても物名のような歌もあるが、この兼覧王の歌の場合は同じようなもの見るのは苦しいか。ただ 「マツホド」という名前自体にインパクトがあるので、一度聞くと印象に残る説ではある。


 
        また、この兼覧王の歌では 「鶴」から 「音になく」としているが、次の読人知らずの歌をベースにしていると考えれば、そこには 「松」から 「根−音」も掛けられていると考えられる。

 
671   
   風吹けば  浪うつ岸の  松なれや    ねに あらはれて  泣きぬ べらなり
     
        実際、この兼覧王のはじめの三句にこの読人知らずの終わりの二句をつなげて、

    住の江の 松ほどひさに なりぬれば  
ねにあらはれて 泣きぬべらなり

としても違和感がない。逆に言えば、そこに 「鶴」を合わせたところに、この歌の趣向があるとも言える。 「音に鳴く」という表現を持つ歌の一覧は 150番の歌のページを参照。 「住の江の松−久しい−待つ」ということでは、一つ前の次の読人知らずの歌とこの歌はセットのように置かれている。

 
778   
   久しくも   なりにけるかな  住の江の   松は 苦しき  ものにぞありける
     
        「住の江」という言葉を使った歌の一覧は 360番の歌のページを、「鶴」を詠った歌の一覧は 919番の歌のページを参照。

 
( 2001/08/27 )   
(改 2004/02/12 )   
 
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