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       題しらず 素性法師  
799   
   思ふとも  かれなむ人を  いかがせむ  あかず散りぬる  花とこそ見め
          
     
  • かれなむ ・・・ 離れていってしまうだろう (離る:かる)
  • いかが ・・・ どのように
  
いくら恋しく思っても、離れていってしまうような人を、どうしたものか、心ゆくまで見る前に散ってしまう花とでも見ましょう、という歌。 "あかず散りぬる花" とは、「思っても−去って行く人」に対して 
「堪能していないのに−散る花」と合わせているものである。よってここでの 「あかず」は自分が満足しないことを表している。

   464番の読人知らずの物名の歌にも「花ごとに あかず散らしし 風なれば」という似た表現があり、この素性の歌からの類推で言えば、その 「あかず」も自分が満足しないのに 「花ごとに」散らした 「風」と見ることができるが、その歌の場合は、「あかず」を 「どこまでも満足せずに」として 「花ごとに」飽くことなく散らした 「風」と見ることができるので、微妙なところである。

  「あかず」という言葉を使った歌の一覧は 157番の歌のページを参照。また、「離る(かる)」という言葉を使った歌の一覧は 803番の歌のページを参照。

 
( 2001/12/03 )   
(改 2004/03/05 )   
 
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