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       冬のうたとてよめる 源宗于  
315   
   山里は  冬ぞさびしさ  まさりける  人目も草も  枯れぬと思へば
          
        「枯る−離(か)る」を掛けたもので、「人目が離れる」とは、ここでは 「人の訪れがなくなる」と解釈してよいだろう。山里は冬になるとことに寂しさが増してくる、人も訪れず、草も枯れてしまうと思えば、という歌。 「枯る−離る」の掛詞は次のような歌でも使われている。

 
338   
   我が待たぬ  年はきぬれど  冬草の    枯れにし人は   おとづれもせず
     
704   
   里人の   ことは夏野の  しげくとも  枯れ行く君に   あはざらめやは
     
        似た表現として、45番の貫之の歌に「くるとあくと 目かれぬものを 梅の花」というものがあるが、その 「目かれぬ」の 「ぬ」は否定の助動詞「ず」の連体形で 「目を離さない、見飽きない」ということで、この歌の 「枯れぬ」の 「ぬ」は完了の助動詞「ぬ」の終止形で 「枯れてしまった」ということ。 
「離る(かる)」という言葉を使った歌の一覧は 803番の歌のページを参照。

  また、この宗于の歌は百人一首にも採られていて、"人目も草も" という言葉が目につくが、古今和歌集の配列の中で見れば、214番の忠岑の歌の「山里は 秋こそことに わびしけれ」に対して
"冬ぞさびしさ まさりける" という対比になっている。

  そしてこの歌の 「寂しさ−まさる」は、319番の歌で 「たぎつ瀬の音−まさる」、320番の歌で 「雪げの水−まさる」ということを経て、次の坂上是則の歌で、ようやく普通の 「寒さ−まさる」という言葉が出てくる。一種のじらしの効果のようにも見えなくもない。

 
325   
   み吉野の  山の白雪  つもるらし  ふるさと寒く    なりまさるなり  
     
        その後、この冬歌の 「まさる」の流れは、339番の元方の歌で 「雪も我が身も−ふりまさりつつ」とあって締め括られている。

 
( 2001/09/21 )   
(改 2003/11/29 )   
 
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