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       題しらず 読人知らず  
505   
   あさぢふの  小野のしの原  しのぶとも  人知るらめや  言ふ人なしに
          
     
  • あさぢふの ・・・ チガヤで覆われた場所 (浅茅生の)/小野の枕詞
  • 小野 ・・・ 野原
  • しの原 ・・・ シノが茂っている野原
  一つ前の504番の歌と "人知るらめや " という言葉を引き継ぐように置かれている。
忍んで偲ぶとしても、あの人はこの気持ちを知るだろうか、それを告げる人がいなければ、という歌。はじめの 
「人」は思う相手のことで、二つ目の 「人」はまわりの人々ということである。 「しの」の繰り返しと共にこの 「人」の繰り返しが歌のリズムを生んでいる。

  "あさぢふの" という言葉は「小野」がその後ろに続くと、それに掛かる枕詞と考えられるが、790番の「枯れゆく小野の あさぢには」というように使われている例もある。ここでは "あさぢふの  小野のしの原" までが、「しのぶ」を導く序詞で、「しの原」が「しのぶ」に掛かっていて、「浅茅(チガヤ)−篠(シノ)−しのぶ(ノキシノブ)」という草の名つながりと見ることもできる。

  古今和歌集の配列からいえば、この歌の 「しのぶ」は 「忍ぶ」と考えられるが、それが 「忍ぶ」か 「偲ぶ」かという問題は少し微妙である。 「忍ぶ」と 「偲ぶ」のそれぞれの本来の意味は、
  • 忍ぶ ・・・ 人目を避ける/我慢する
  • 偲ぶ ・・・ 思い慕う/なつかしむ/賞賛する
ということで、この歌の場合 「偲ぶけれども−あの人はそれを知らない」というようにも見える。次の貫之の歌のように 「恋ふ」というような言葉が歌の中に出くれば 「忍ぶ」とわかりやすいのだが、それがないためである。

 
633   
   しのぶれど    恋しき時は   あしひきの  山より月の  いでてこそくれ
     
        そこでここでは、この「小野のしの原」の歌の場合、 「忍ぶ」に 「偲ぶ」を掛けた 「しのぶ」であると見ておきたい。ちなみに古今和歌集の歌の中の 「しのぶ」を 「忍ぶ」か 「偲ぶ」かで分けてみると次のようになる。

 
        [忍ぶ]  
     
503番    思ふには 忍ぶることぞ 負けにける  読人知らず
519番    忍ぶれば 苦しきものを 人知れず  読人知らず
576番    唐衣 しのびに袖は しぼらざらまし  藤原忠房
633番    しのぶれど 恋しき時は あしひきの  紀貫之
668番    我が恋を しのびかねては あしひきの  紀友則
1078番    末さへよりこ しのびしのび  読人知らず


 
        [忍ぶ|偲ぶ]  
     
505番    あさぢふの 小野のしの原 しのぶとも  読人知らず


 
        [偲ぶ]  
     
200番    君しのぶ 草にやつるる ふるさとは  読人知らず
285番    恋しくは 見てもしのばむ もみぢ葉を  読人知らず
724番    陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに  源融
769番    人をしのぶの 草ぞおひける  貞登
800番    花をばひとり 見てやしのばむ  読人知らず
813番    いづこをしのぶ 涙なるらむ  読人知らず
996番    忘られむ 時しのべとぞ 浜千鳥  読人知らず
1002番    竜田の山の もみぢ葉を 見てのみしのぶ  紀貫之


 
        「人知るらめや」という言葉を使った歌の一覧については 485番の歌のページを参照。

 
( 2001/10/29 )   
(改 2004/02/24 )   
 
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