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       題しらず 坂上是則  
590   
   我が恋に  くらぶの山の  桜花  間なく散るとも  数はまさらじ
          
        自分のこの恋にくれべれば、いくら 「くらぶの山」の桜が間なく散るといっても、その量の多さでは比較にならないだろう、という歌 "くらぶの山" を 「比ぶ」に掛けている。この歌だけを見るとつまらない駄洒落のようだが、「暗い」に掛けている他の歌( 39番など)を見た後だと新鮮な感じがする。

  ここで「数が多い」ということは、「気が多い(=あちこちの相手に気がひかれる)」ということではなく、これといった限界がない、はてしない、ということである。 思いの多さを "数" で言うということは、 
「古今和歌集全評釈(中)」 (1998 片桐洋一 講談社 ISBN4-06-205980-0) でも指摘されているとおり、仮名序の中で 「たとへ歌」の例として上げられている 「わが恋は よむともつきじ 荒磯海の」などの歌に見られ、次の歌はそれをひねった物言いと考えられる。

 
818   
   ありそ海の    浜の真砂と   たのめしは  忘るることの  数 にぞありける
     
        なお、この是則の歌は 「散る」という言葉を重く見ると、「恋の嘆き」あるいは 「物思ひ」が多いというネガティブな意味にもとれそうだが、「我が恋に数は優(勝)らないだろう」という表現は、 587番の貫之の歌の 「常よりことに増さる我が恋」と並べてみると、やはりそのまま 「恋しい気持ちが」と見た方が素直である。

  また、「間なく散るとも」 「数は」とあるので、恋しい気持ちを 「桜が散ることが惜しい気持ち」と対比しているわけではなく、単純に 「量(ボリューム)」を 「くらぶ」という歌であると思われる。

 
( 2001/11/01 )   
(改 2004/03/14 )   
 
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