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       題しらず 読人知らず  
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   みなせ川  ありて行く水  なくはこそ  つひに我が身を  絶えぬと思はめ
          
     
  • みなせ川 ・・・ 水が地下に伏流として流れている川 (水無瀬川)
   
水無瀬川の地下にも流れる水がないとしたなら、もうこの身も終わりだと思いましょう、という歌。つれない相手の態度が表面だけではなく、その心にもまったく脈がないとしたら...という意味である。 「行く水」を詠った歌の一覧は 522番の歌のページを参照。 "ありて行く水 なくはこそ" という部分がわかりづらいが、これは万葉集・巻十一2817にある次の歌をベースにしていると言われている。

    うらぶれて  物は思はじ  水無瀬川  ありても水は  行くといふものを

  この万葉集の歌は、「水無し」という名の 「水無瀬川」が 「あったとしても」ということで、
  • 水の存在 ・・・ 無
  • 水無瀬川の存在 ・・・ 有
  • (地下に)行く水 ・・・ 有
というかたちになっている。それをはじめの 「水の存在−無」は 「水無瀬川」という名の中に入っているので省略して
  • 水無瀬川の存在 ・・・ 有
  • (地下に)行く水 ・・・ 無
ならば、と縮めて "みなせ川  ありて行く水  なくはこそ" と言っているのである。

  また、「なくは」は 「なく+は」で 「なかったなら」という仮定の表現である。 「あり」の場合は、740番の閑院の「ゆふつけ鳥に あらばこそ...なくなくも見め」という歌や、783番の小野貞樹の「心の木の葉に あらばこそ...散りも乱れめ」のように、「あら」であるが、「なし」の場合はこの歌のように 「なく」で、この 「は」は係助詞、「ば」は接続助詞として区別されているようである。「なくは」という言葉を使った歌の一覧は 14番の歌のページを参照。

  「あり−なし」と 「川」いうことでは、 628番に忠岑の 「名取川」の歌があり、歌の先頭に川の名前を出して 「あり−なし」のような対比を次に置いた歌としては次の 「みちのくのうた」がある。

 
1092   
   最上川    のぼればくだる   稲舟の  いなにはあらず  この月ばかり
     
        他に 「水無瀬川」を詠った歌には 607番の友則の歌と 760番の読人知らずの歌がある。 「つひに」という言葉を使った歌の一覧は 707番の歌のページを参照。

 
( 2001/10/30 )   
(改 2004/03/06 )   
 
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