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       題しらず 紀友則  
792   
   水の泡の  消えてうき身と  言ひながら  流れてなほも  たのまるるかな
          
        水の泡のように消え入るように物憂いこの身でありながら、泣きながらも、ずっと、あなただけがたのみと思われることです、という歌。 「たのまるる」は 「たのま+るる」で四段活用の 「頼む」の未然形+自発の助動詞「る」の連体形である。 「たのむ」という言葉を使った歌の一覧については 
613番の歌のページを参照。

  "消えて" を「消えで」とする解釈が一般的である。それは後ろの "うき身" の 「うき」が 「憂き−浮き」と掛かるとすると、「消えて」ではおかしく、さらに消えた泡が "流れてなほも" と言うのも不自然だからという考えによるものであろう。同じ恋歌五には友則の次の歌があり、この歌で消えずに流れていた泡が、やっぱり消えてしまったよ、と続くようにも見える。

 
827   
   浮きながら    けぬる泡 とも  なりななむ  流れてとだに  たのまれぬ身は
     
        また、近くには 「憂き身も消えず長らえる」という意味の次の読人知らずの歌もあり、雑歌上には 「泡が消えない」という意味の読人知らずの歌もある。

 
806   
   身を憂しと   思ふに 消えぬ   ものなれば  かくても へぬる   世にこそありけれ
     
910   
   わたつみの  沖つ潮あひに  浮かぶ泡の    消えぬものから   寄る方もなし
     
        それでもここでは 「水の泡」からのつながりの強さと、「消えで」と濁ると歌として調べが汚れるような気がするので、「消えて」ととっておく。なお、両方の説に関する考察が「古今和歌集全評釈  補訂版 」 (1987 竹岡正夫 右文書院 ISBN 4-8421-9605-X) にあり、そこでは結論として 「消えで」と否定形のかたちをよしとしている。

 
( 2001/09/10 )   
(改 2004/01/21 )   
 
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