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       かの女にかはりて返しによめる 在原業平  
618   
   浅みこそ  袖はひつらめ  涙川  身さへ流ると  聞かばたのまむ
          
     
  • ひつらめ ・・・ 濡れるのでしょう (漬つらめ)
  この歌は藤原敏行が送ってきた一つ前の 618番の「涙川の水で袖が濡れるばかりで逢う手だてもありません」という歌に対して、業平が当の女性に代わって返したものである。

  歌の意味は、
気持ちが浅いからこそ袖が濡れるのでしょう、その涙川に体が流れるほどだと言うなら、頼みにしようとも思いますが、ということ。 "浅み" には 「浅い所」ということと、「浅いので」という二つを掛けているようである。理由を表す接尾語の 「み」には次のように 「〜を〜み」という形と、その 「を」が抜けて 「名詞+形容詞の語幹+み」となっているタイプがよく使われる。その他の歌の例については 50番の歌のページを参照。

 
672   
   池にすむ  名ををし鳥の  水を浅み   かくるとすれど  あらはれにけり
     
785   
   行きかへり  空にのみして  ふることは  我がゐる山の  風はやみ なり
     
        "身さへ流る" ということについて、本居宣長は「古今和歌集遠鏡」の中で「身さへながるとは。たゞ袖のみひづるにむかへて。深きことをいへるのみ也。たとへたる意はなし。」と述べている。ただ、ここには 「涙川」の縁語としての例の 「流る−泣かる」も含まれていて、その意味的には一本筋にいかない 「薄い掛かり」も含めての歌なので、これを「深きことをいへるのみ」と切り捨ててしまうのは、少し無粋であるような気もする。 「涙川」を詠った歌の一覧は 466番の歌のページを参照。

    この歌と一つ前の歌のやりとりは、「伊勢物語」の第一〇七段にも採られていて、そこにこの返しをもらった敏行が 「めでてまどひにけり。」と書かれている。思いがけず機知に富んだ歌が返ってきたので、すばらしいと感嘆しつつ、これはこれは、と一層恋する気持ちが深くなった、という感じか。歌の調べとしては、「アサ
 − ヒツラ − ナダ − サヘ」 と 「み」が 「身」に共鳴し、最後の 「聞かばたのまむ」の 「き (ki)」にも i の音で自然なつながりとして聞こえる。

   「さへ」を使った歌の一覧は 122番の歌のページを、「たのむ」という言葉を使った歌の一覧は 
613番の歌のページを参照。

 
( 2001/09/20 )   
(改 2004/03/09 )   
 
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