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       おきび 都良香  
466   
   流れいづる  方だに見えぬ  涙川  おきひむ時や  底は知られむ
          
        「オキヒむときや」という部分に 「おきび(熾火)」が含まれている。 「おきび(熾火)」とは赤く燃える炭火のこと。 "おきひむ時" は 「沖干む時」である。

  歌の意味は、
流れ出る方向さえもわからない涙川は、その沖が干上がる時にこそ底が見えるだろう、ということで、涙が大量にあふれる理由を 「底」に譬えて、それは決して誰にもわからないだろう、ということを言っている。物名の部分は微妙だが、全体としては 「見えぬ」「知られむ」とバランスよく作られている。

   "涙川" は、ここでは涙が流れる様子のことで実際の川ではないが、物名の歌を古今和歌集の配列の順で読んでくると、460番や 461番に貫之の川の名前の題の物名があるので、歌の地の言葉に "涙川" とあるのが新鮮に見える。また、 "流れいづる  方だに見えぬ" という表現は、462番の忠岑の 「行く方のなき」という部分を思い出させる。 「方」という言葉を使った歌の一覧は 201番の歌のページを参照。 「だに」という言葉を使った歌の一覧については 48番の歌のページを参照。

  ちなみに古今和歌集の中で 「涙川・涙の川」という言葉を使った歌には次のようなものがある。

 
     
466番    涙川  おきひむ時や 底は知られむ  都良香
511番    涙川  なに水上を 尋ねけむ  読人知らず
527番    涙川  枕流るる うきねには  読人知らず
529番    涙の川  浮きてもゆらむ  読人知らず
531番    涙の川  植ゑましものを  読人知らず
573番    涙川  冬もこほらぬ みなわなりけり  紀貫之
617番    涙川  袖のみ濡れて あふよしもなし  藤原敏行
618番    涙川  身さへ流ると 聞かばたのまむ  在原業平


 
        そして 「沖」と 「出(いづ)る」から、「底」を涙川ではなく酒瓶の底へと転換すると、次の雑歌上の藤原敏行の歌へとつながる。

 
874   
   玉だれの  こがめやいづら  こよろぎの  磯の浪わけ  沖にいでにけり  
     
        作者の都良香(みやこのよしか)は、834年生れ、879年没で没時四十六歳。 860年文章生となり、873年従五位下。古今和歌集にはこの歌しか残されていないが、漢詩文を得意とし、例えば 「和漢朗詠集」の秋の部には、蘭の詩として次のものが採られている。

    凝つては鳳女(ほうぢよ)の顔(おもて)に粉(ふん)を施せるがごとし
    滴つては鮫人(かうじん)の眼(まなこ)の珠(たま)に泣くに似たり

  これは紅蘭に露が溜まっている姿と、そこから露がこぼれ落ちる様を表わしたもので、「鳳女」・「鮫人」という組み合わせが奇抜で面白い。

  都良香(よしか)という名前は、他に藤原因香(よるか)という名の人物もいてまぎらわしいが、因香(よるか)は女性、良香(よしか)は男性である。

 
( 2001/08/22 )   
(改 2004/03/09 )   
 
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