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       題しらず 在原行平  
365   
   立ち別れ  いなばの山の  峰におふる  松とし聞かば  今かへりこむ
          
        在原行平は 818年生まれで 893年没。業平の兄。855年従四位下因幡守、882年中納言、884年正三位。七十歳になった 887年に致仕(ちじ:官職をやめること、退職)。この歌の詞書は「題しらず」であるが、855年に因幡守となっていることから、そのころの歌であろうとされる。

  離別歌のはじめにあって、百人一首にも採られている有名な歌である。
立ち別れても、因幡の山の峰に生える松のごとくに待つと聞けば、すぐに帰ってこよう、ということ。 「因幡−往(い)なば」/「松−待つ」が掛けられている。一般的には因幡へ向かう時のものであると解釈されている。 "今かえりこむ" というのは、やはり都に帰ってくるということで、388番の源実の 「いざ帰りなむ」という歌と同じで「行きたくない」 (I  hate to go) ということであろう。

  この歌で使われている 「立ち別れる」という言葉は離別歌の中の他の三首でも使われている。

 
370   
   かへる山  ありとは聞けど  春霞  立ち別れなば   恋しかるべし
     
379   
   白雲の  こなたかなたに  立ち別れ   心をぬさと  くだく旅かな
     
386   
   秋霧の  共に 立ちいでて   別れなば   はれぬ思ひに  恋やわたらむ
     
        これらの歌は皆、春霞や白雲や秋霧に 「立ち」が掛けられている。行平の歌ではそれに当たるものが見当たらない。 「立つ」と 「松」との次のような読人知らずの歌もあるが、この行平の歌では 「立ち待つ」とするには言葉の距離が遠い。

 
908   
   かくしつつ  世をやつくさむ  高砂の  尾上に 立てる    松 ならなくに
     
        また、古今和歌集に採られている行平の歌は、この歌を含めて四首と少ないが、古今和歌集の写本を多く残した藤原定家は高く評価していたようで、定家が八代集からそれぞれ十首づつ選んで編んだ 「八代集秀逸」(「新編  国歌大観  第十巻 」 (1992 角川書店 ISBN 4-04-021102-2
 C3592)
 )の古今和歌集の部は次のようになっている。

 
     
113番    花の色は  うつりにけりな  いたづらに  わが身世にふる  ながめせしまに  小野小町
221番    鳴き渡る  雁の涙や  落ちつらむ  物思ふ宿の  萩の上の露  読人知らず
260番    白露も  時雨もいたく  もる山は  下葉残らず  色づきにけり  紀貫之
332番    朝ぼらけ  有明の月と  見るまでに  吉野の里に  降れる白雪  坂上是則
365番    立ち別れ  いなばの山の  峰におふる  松とし聞かば  今かへりこむ  在原行平
420番    このたびは  ぬさもとりあへず  たむけ山  紅葉の錦  神のまにまに  菅原朝臣
625番    有明の  つれなく見えし  別れより  暁ばかり  憂きものはなし  壬生忠岑
650番    名取川  瀬ぜのむもれ木  あらはれば  いかにせむとか  あひ見そめけむ  読人知らず
962番    わくらばに  問ふ人あらば  須磨の浦に  藻塩たれつつ  わぶと答へよ  在原行平
995番    たがみそぎ  ゆふつけ鳥か  唐衣  たつたの山に  をりはへて鳴く  読人知らず


 
        この十選については、特に読人知らずの歌の選び方に地味さを感じるが、現在知られているだけでも十回以上も古今和歌集を写している定家の撰にはそれなりの理由があるのだろう。加えて、行平の歌は 「後撰集」の中からも雑歌一1075にある次の一首が選ばれている。

    嵯峨の山  みゆきたえにし  芹河の  千世の古道  あとはありけり    

  「八代集秀逸」の作成が1234年ごろとすれば、七十歳を越えた頃の定家はかなり行平の歌が気に入っていたものと思われる。

 
( 2001/12/07 )   
(改 2004/02/08 )   
 
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