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       内侍のかみの、右大将藤原の朝臣の四十の賀しける時に、四季のゑかけるうしろの屏風にかきたりけるうた 凡河内躬恒  
360   
   住の江の  松を秋風  吹くからに  声うちそふる  沖つ白浪
          
     
  • 沖つ ・・・ 沖の
  • うちそふる ・・・ 加える
  藤原満子が兄の藤原定国の四十の賀をした時(905年二月)の屏風絵につけられた歌で、古今和歌集には作者名が明記されていないが、「拾遺和歌集」巻十七1112に「躬恒」とあり、「躬恒集」にも含まれているので躬恒の歌とされる。これについて、賀茂真淵「古今和歌集打聴」では、「
此うた六帖には素性とあれど歌ざま必躬恒にてしかも家集家隆卿の本にもいちじるき也」 とまで書かれている。しかし、どうも歌の格調の高さからは、躬恒の歌ではないような気がする。

  "吹くからに" は、吹くにつれて、吹くとすぐ、という意味。 「からに」という言葉を使った歌の一覧は 249番の歌のページを参照。 "うちそふる" の 「うち」は動きを表し、言葉に調子をつけるための接頭語である。また、424番の「浪の打つ 瀬見れば玉ぞ 乱れける」という在原滋春の 「うつせみ」の物名の歌などを見ると、「浪が打つ(=打ち寄せる)」ということにも掛けているようである。接頭語「うち」が使われている歌の一覧については 12番の歌のページを参照。

  
住ノ江の松に秋風が吹くと、合わせて音を響かせる沖の白波、という歌。 586番の「秋風に かきなす琴の 声にさへ」という忠岑の歌と並べて見ると、「秋風」を 「琴(キン)」、「白波」を 「瑟(シツ)」に譬え、「琴瑟相和す」(「詩経」:夫婦の仲がむつまじいこと)ということを表しているような感じでもあり、「住ノ江の松」を詠みつつ、秋風と沖の白浪をうまく合わせた隙のない歌である。

  "沖つ白浪" という言葉を使った他の歌としては、伊勢物語の第二十三段の 「井筒」で有名な次の読人知らずの歌と、在原元方の恋歌の二つがある。

 
994   
   風吹けば  沖つ白浪   たつた山  夜半にや君が  ひとりこゆらむ
     
474   
   立ち返り  あはれとぞ思ふ  よそにても  人に心を  沖つ白浪  
     
        「住の江」は現在の大阪府大阪市住吉区あたり。 917番の「住吉と 海人は告ぐとも 長居すな」と詠われている 「住吉(すみよし)」も同じ場所であり、元々は 「住吉」と書いて 「スミノエ」と読んでいたものとされている。この 「住の江(および住吉)」を詠った歌を一覧にしてみると次の通り。

 
     
360番    住の江  松を秋風 吹くからに  凡河内躬恒
559番    住の江  岸による浪 よるさへや  藤原敏行
778番    住の江  松は苦しき ものにぞありける  読人知らず
779番    住の江  松ほどひさに なりぬれば  兼覧王
905番    住の江  岸の姫松 幾世へぬらむ  読人知らず
906番    住吉  岸の姫松 人ならば  読人知らず
917番    住吉  海人は告ぐとも 長居すな  壬生忠岑


 
        「秋風」を詠った歌の一覧は 85番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/29 )   
(改 2004/03/11 )   
 
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