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       内侍のかみの、右大将藤原の朝臣の四十の賀しける時に、四季のゑかけるうしろの屏風にかきたりけるうた 凡河内躬恒  
358   
   山高み  雲ゐに見ゆる  桜花  心のゆきて  折らぬ日ぞなき
          
     
  • 山高み ・・・ 山が高いので
  • 雲ゐ ・・・ 雲、あるいは雲のある場所
  
山が高いので、雲のある場所に見える桜花、とうてい辿り着つけないけれど、心がそこに向かって折ってこようとしない日はない、という歌。

  藤原定国の四十の賀の屏風絵に付けられた歌の一つで、古今和歌集には作者名が明記されていないが、「躬恒集」にあるので躬恒の作とされるのが一般的である。賀歌に分類されているが、屏風絵の賛として詠まれているので春歌と変わらない。「山高み+桜花」の歌としては、読人知らずと貫之の歌が春歌上、春歌下にある。

 
50   
   山高み   人もすさめぬ  桜花   いたくなわびそ  我見はやさむ
     
87   
   山高み   見つつ我がこし  桜花   風は心に  まかすべらなり
     
        いずれの歌も 「山高み」に起因する出来事を二句目で言い、それを三句目の 「桜花」で閉じた上で後半につなげるというかたちをとっている。この躬恒の歌も 「山が高いので−雲の合間に見えている−桜花」と言い、そんな場所にあるので体はそこまで行けないが、花を求める心は遠く飛んで、その枝を折りたいと思わない日はない、という内容になっている。 「名詞+形容詞の語幹+み」というかたちの言葉を使った歌の一覧は 50番の歌のページを参照。

  賀歌として解釈すれば、 "雲ゐに見ゆる 桜花" は、幽玄境にある長寿への鍵で、それをあなたのために折ってきて差し上げたいという感じか。そう考えると 54番の「手折りてもこむ 見ぬ人のため」という読人知らずの歌にも通じるものがあるように感じられる。

  また、次の素性法師の歌は賀歌の歌群から見ると 「千代」という言葉が目につき、賀歌の中にあっても違和感がない。詞書にわざわざ 「春のうたとてよめる」とあるのはそのためかもしれない。

 
96   
   いつまでか   野辺に心の  あくがれむ  花し散らずは  千代もへぬべし  
     

( 2001/11/01 )   
(改 2004/03/10 )   
 
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