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       内侍のかみの、右大将藤原の朝臣の四十の賀しける時に、四季のゑかけるうしろの屏風にかきたりけるうた 素性法師  
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   春日野に  若菜つみつつ  万代を  祝ふ心は  神ぞ知るらむ
          
        詞書にある「内侍のかみの、右大将藤原の朝臣の四十の賀しける時」とは、藤原満子(=内侍のかみ)が兄の藤原定国(=右大将藤原の朝臣)の四十の賀をした時(905年二月)ということ。仮名序・真名序にある古今和歌集の成立の時期(905年四月)ときわめて近い。

  定国の弟である藤原定方は、三条右大臣として百人一首に歌があり、古今和歌集の中にも 231番に天の河原の女郎花の歌が採られている。また 「大和物語」第百二十五段には、定国の随身(警護のためのお付き)としての壬生忠岑の様子が描かれている。定国はこの四十の賀の翌年(906年七月)に没しているが、その死を菅原道真の左遷に加担したためと語られるのは、定国が道真が退けられた後の右大将であったこともあるだろう。

  歌の内容は、
春日野に若菜を摘みつつ、あなたの長寿を祝うこの心は、きっと神様がご存知でしょう、ということ。この歌は春の絵に対して付けた 「賀の歌」としてわかりやすいが、同じ詞書にまとめられている他の六つの歌は、特に賀歌という感じがしない。例えば次の歌は秋歌の巻にあってもいいような内容である。

 
361   
   千鳥鳴く  佐保の河霧  立ちぬらし  山の木の葉も  色まさりゆく
     
        つまり、詞書の補足があってはじめて賀の場の雰囲気が再現されるわけだが、それでも詞書だけでは賀歌として存在する理由が弱い。そこで、それらを牽引しているのが、この "祝ふ心" という言葉を含む春日野の歌である。一連の 「右大将藤原の朝臣の四十の賀」の歌の構成は、春歌が二つ、夏歌が一つ、秋歌が三つ、冬歌が一つの七つからなっており、秋が三つあるので古今和歌集の巻数とは正確には一致しないが、賀歌の巻の前にある四季の六巻のミニチュア化とも見えなくもない。それらを1つのセットとして置いているわけである。

 
( 2001/10/09 )   
(改 2003/12/04 )   
 
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