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       内侍のかみの、右大将藤原の朝臣の四十の賀しける時に、四季のゑかけるうしろの屏風にかきたりけるうた 紀貫之  
363   
   白雪の  降りしく時は  み吉野の  山下風に  花ぞ散りける
          
        この歌は藤原定国の四十の賀(905年)の四季の屏風絵のうち、冬の絵に付けられたものである。古今和歌集には明示的に作者名が記されていないが、「拾遺和歌集」巻四253に 「貫之」とあり、「貫之集」にも含まれているので貫之の歌とされる。

  歌の意味は、
白雪が降りしきっている時は、吉野山の麓で風に花が散っている、という歌。 "降りしく" はこの場合 「降り頻く」(=絶え間なく降る)であろう。同じ貫之の 9番の「花なき里も 花ぞ散りける」という歌のスケールを大きくしたような感じである。 「花ぞ散りける」という言葉を使った歌の一覧は 117番の歌のページを参照。

  "山下風" について、
「例解 古語辞典 第三版」 (1993 三省堂 ISBN4-385-13327-1)には、「万葉集」巻一74の「見吉野乃 山下風之 寒久尓 為當也今夜毛 我獨宿牟」(みよしのの やまのあらしの さむけくに はたやこよひも わがひとりねむ)という歌の第二句を 「「やましたかぜに」と誤って訓読してつくられた語」と書かれている。 「誤って」かどうかは別として、つまり 「山の下に風」で 「嵐」ということで、それは 249番の文屋康秀の「むべ山風を 嵐と言ふらむ」という歌を思い出させる。 
「山風」を詠った歌の一覧は 394番の歌のページを参照。

  この歌は他の藤原定国の四十の賀と違って、長寿のシンボルは見つけづらいが(無理にそうする必要もないのだが)、あえて言えば、 "白雪の  降りしく時" ということで老境を表し、それでもそれは花であって、白髪ではないと言っているようにも見えないこともない。また、偶然かもしれないが、同じ時の次の二つの歌と微かに響き合っているような気がする。

 
358   
   山高み    雲ゐに見ゆる    桜花   心のゆきて  折らぬ日ぞなき
     
362   
   秋くれど  色もかはらぬ  ときは山  よそのもみぢを  風ぞかしける  
     

( 2001/07/24 )   
(改 2004/03/11 )   
 
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