Top  > 古今和歌集の部屋  > 巻六

       雪の降りけるをよみける 清原深養父  
330   
   冬ながら  空より花の  散りくるは  雲のあなたは  春にやあるらむ
          
        冬だけれども、そらから花が散ってくるのは、きっと雲の向こうは春なのだな、という雪を花と見立てたシンプルで軽い歌である。深養父には 1021番に「冬ながら 春のとなりの 近ければ」という誹諧歌もある。自分の歌のパロディというところか。

  一つの言葉や発想を色々に変化させることは自然なことであるが、派生した歌に何か面白味がないとその存在価値はないだろう。ただ、その判定は難しく、例えば深養父の歌には 「恋死ぬ」という歌が、603番 ・ 613番 ・ 698番と三つ採られていて、どれが優れているとも言い難い。他にもこの歌の "雲のあなた" 関係で言えば、「雲ゐ」という言葉を使った歌は古今和歌集に七首あるが、そのうち二つは深養父の歌である。

 
378   
   雲ゐにも   かよふ心の  おくれねば  わかると人に  見ゆばかりなり
     
585   
   人を思ふ  心は雁に  あらねども  雲ゐにのみも   なき渡るかな
     
        上は離別歌、下は恋歌二に置かれて異なった色づけをされているが、こう並べてみると 「雁」があるかないか程度で内容はさほど違わないような気がする。両方共に捨てるのは簡単だが、片方を残すとしたら、どちらの歌を残すべきか。 「雁」の方はシンプルだが、どこかウソ臭く、離別歌の方が切れがあるが、似たような読人知らずの歌( 367番 )がある。百人一首に採られている深養父の歌( 166番 )も 「雲」を使った歌である。

  「あなた」という言葉を使った歌の一覧は 379番の歌のページを参照。

 
( 2001/10/04 )   
(改 2004/02/06 )   
 
前歌    戻る    次歌