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       あひ知りて侍りける人の、東の方へまかりけるを送るとてよめる 清原深養父  
378   
   雲ゐにも  かよふ心の  おくれねば  わかると人に  見ゆばかりなり
          
     
  • 雲ゐ ・・・ 雲の遠く
  
たとえ雲の遠くであったとしても、あなたへ通じる心は後れをとるということがないので、別れるとは人目にそう見えるだけです、という歌。

  「おくる(後る)」とは 「後に取り残される」ということで、この言葉を使っている他の歌としては、1049番の左大臣(=藤原時平)の「おくれむと思ふ 我ならなくに」という歌や、次の読人知らずの歌がある。

 
367   
   かぎりなき  雲ゐ のよそに  わかる とも  人を心に    おくらさむやは  
     
        上記の歌は一見深養父の歌とそっくりだが、「人を心に」という部分に微妙な違いがあり、深養父の歌が送る側のものであるのに対して、旅に出る側の歌となっている。この深養父の歌は東国へ行く人を送る歌のグループの中にあって、二つの離別歌は離されて置かれているが、並べると言葉が似すぎていて、擬似的な贈答歌にもならないためか。

 
( 2001/11/21 )   
(改 2003/12/05 )   
 
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